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ワーキングマザーの睡眠時間って何時間くらい?

2021年に実施された生活基本調査(総務省)によると、日本人の平均睡眠時間は7時間54分。ではワーキングマザーはどうなのか。データセットをダウンロードして「平日、有業者、子育て期」でフィルタリングしてみると、女性の睡眠時間は7時間15分だった。ちなみに同条件の男性は7時間23分、「平日、無業者、子育て期」の女性は7時間30分だ。


日本のワーキングマザー、睡眠時間は世界最短レベル

詳しく見てみると、仕事時間は、男性9時間9分、女性は5時間16分。女性の仕事時間は男性の6割にも満たない。しかし、無償労働である「家事、介護・看護、育児、買い物」の時間は男性44分、女性4時間55分。女性が男性の約6.7倍だ。有償の仕事と無償の労働をあわせた労働時間は男性9時間53分、女性10時間11分で、女性の方が18分長い。労働時間が長い分、睡眠や趣味・娯楽などの時間が削られているのだろう。 

 総務省 令和3年社会生活基本調査 生活時間-全国(調査票A)第3-1表のデータを元に作成

OECD加盟国の中では日本人の睡眠時間がもっとも短く、男性よりも女性が短い。日本で働く母たちの睡眠時間は世界最短レベルなのだ。

雑誌で見た「ワーキングマザーの一日」に絶望した

それでも「7時間15分」という数字を見て「思ったより長いな」と思った人も多いのではないだろうか? 筆者もその一人だ。

1人目の子を妊娠したのは20代おわりの2004年。ワーキングマザーはまだそこまで市民権を得ておらず、身近なロールモデルもいなかった。産後の生活がイメージできなくて、ワーキングマザー関連の記事が載った雑誌を片っ端から買いあさると、そこには有名企業やマスコミ、ファッション業界などで働くキラキラした母たちがいた。一日の生活時間が紹介されているのを見れば、睡眠時間はだいたい5時間前後。週末に1週間分のおかずを作り置きするとか、子どもを寝かしつけた後に仕事を再開するとか、夜明け前に起きて自分時間を確保するとか、見れば見るほど「無理だ…」と絶望しかなかった。

1985年の男女雇用機会均等法制定から20年が経とうとしていた当時は、それまで都会でDINKS(※)生活を楽しんでいたバリキャリ女性たちが出産のタイムリミットに直面し、子どものいる人生にシフトし始めた時期だったのではないかと思う。TVの脚本家や雑誌の編集者など、第一線で活躍していた30~40代の女性たちが出産後もキャリアを継続し、「子持ちのキャリアウーマン」としてメディアに顔を出し始めていた。また、安室奈美恵や椎名林檎など、若くして出産し、母になってなおイメージを大きく変えずに活動する女性アーティストも増えてきていた。

もっとも、1997年から日本の賃金は下がり続けていたので、働く母親が増えていった要因がポジティブなものばかりだったとは限らないが。

※double income, no kidsの略。子どもを持たない共働き夫婦。

「ちゃんと」してたら眠れない

実際に私が職場復帰した後は、子どもの夜泣きや持ち帰り仕事などで、思うように眠れない状況が続いた。大人だけの暮らしなら休日に寝溜めをすることもできるのだが、乳幼児のお世話は待ってくれない。日々の仕事と育児、家事だけでも精一杯なのに、なんとかして仕事で成果を出さなければと勉強したり、職場やママ友の輪に入らなければと飲み会に参加したり、いっぱいいっぱいだった。

必要な睡眠時間には個人差があるというが、筆者はできれば8時間寝たい人間だ。子どもが小さいうちは慢性的に睡眠不足で、ここぞというタイミングで判断を間違えたり、うっかり寝過ごしたり体調を崩したり、寝不足からの失敗は数えきれない。

それでどうしたかというと、色々諦めた。具体的には「ちゃんとすること」をあきらめた。子どもを寝かしつけてからもう一度起きるなんて無理だ。洗い物は放棄して夜は子どもと一緒に寝た。部屋はいつも散らかり放題で、友達にも親戚にも不義理ばかり。最低限生存できるレベルの生活環境で、仕事もできる範囲でやる姿勢で続けた結果、7時間くらいの睡眠は確保できるようになった。

育児中に読んで首がもげるほど頷いたのはこの記事。
量産型ワーキングマザーでいこう

かつての私を絶望させた、睡眠5時間のスーパーマザーたちを恨んでも仕方がない。さほど優秀でもない普通の男性が普通に組織の中で生き残っていくように、特別な能力もガッツもない普通の女性が産休・育休を経ても働き続けられる環境を作るには、道なき道を切り開く開拓者が必要だったのだ。

何に睡眠を奪われているのか

最近、書店のビジネス書コーナーに行くと、睡眠関連の書籍が目につく。「いかに寝ないで頑張るか」という根性至上主義的な時代から「ちゃんと寝てパフォーマンスを上げる」という真っ当な発想に変わってきたのはいいことだ。

でも、私たちは働くために生きているわけではない。もちろん、「仕事が生きがい」という人もいるかもしれないが、私にとって仕事はそれ自体が目的ではなく、どちらかというと生活の糧を得るための手段だ。眠るのは単に生きるために必要なことで、寝不足では健康でいられず幸せにもなれないから十分に眠りたいのではないのか。もし、まともな睡眠時間を確保するのに「仕事のため」という大義名分が求められる社会なのであれば、なんだか不健全だ。

育児の終わりが見え始め、仕事のペースも落として時間ができたいま、かつての生活の慌ただしさを振り返って思う。どうしてあんなに余裕がなかったのかと。

仕事を辞めずに働き続けることを選んだから、子どもが小さい頃は双方の実家が遠くて簡単には頼れなかったから、都市部に住んでいて家賃が高く部屋が狭かったから、要領よくこなす能力が足りなかったから、そもそもちゃんとやる必要なんてないのに生真面目さで自分の首を絞めていたから、などなど、思いつく理由は色々ある。でもそれらの理由の前提にあるものに対して、根本的な問いも浮かんでくる。

「どうして子どもの教育にこんなにお金がかかるのか」

「どうして教育の機会は男女ほぼ均等なのに、社会に出るとこんなに役割や待遇に格差があるのか」

「どうして子育ての責任が母親ばかりに求められがちなのか」

「どうして都市部にこんなに人が住んでいるのか」

「どうして毎日こんなに沢山のやるべきことがあるのか」

「どうして『仕事で成長しなければ』と思うのか」

「どうして休日はレジャーも楽しまなければと思うのか」

「どうしてこんなに効率ばかり考えなければならないのか」

「そもそも無理な要求なのに、『ちゃんとできない』と罪悪感を抱いてしまうのはなぜなのか」

子ども持つのは自ら望んだことだし、子育てはかけがえのない経験だと思う。
自分の子どもは誰よりも可愛いし、子どもには罪がない。
でも、子育ての中でさまざまな理不尽に直面してきたのも事実だ。

〇〇が悪い、と犯人捜しをして腹を立てることはできる。
文句を言っても仕方がない、何事も気の持ちようだ、楽しく生きよう、とやり過ごすこともできる。

でも、そうして自分の目の前にあった問題が去っても、その問題は次の世代へと繰り越されていく。

だからこそ、かつてぶち当たった理不尽の感触を忘れずに、「あれは一体何だったのか」と考え続けたい。

 モモはじっくり考えてみました。
「時間はある――それはいずれにしろたしかだ。」おもいにしずんでつぶやきました。「でも、さわることはできない。つかまえられもしない。においみたいなものかな? でも時間て、ちっともとまってないで、動いていく。すると、どこからかやってくるにちがいない。風みたいなものかしら? いや、ちがう! そうだ、わかった! 一種の音楽なのよ――いつでもひびいているから、人間がとりたてて聞きもしない音楽。でもあたしは、ときどき聞いていたような気がする。とってもしずかな音楽よ。」

ミヒャエル・エンデ『モモ』 P.83より 大島かおり訳 (岩波少年文庫127 2005)

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Your Mouth (from Les Vieilles Histoires)
Henri de Toulouse-Lautrec French
Author Jean Goudezki French  1893
Public Domain
The Met collection

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