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妊婦をとりまく環境②

前回、ずいぶん荒ぶりましたが。。
妊婦になってみて初めて知った、良かったことというのも、勿論あります。

それは、

「世の中には私が思っていた以上に優しい人が沢山いて、優しい世界が存在している」

という事実を知ることが出来たことです。
(私がかなり悲観的な人間だったという可能性もありますが。。)

電車で席を譲ってくれる方
(意外といる!私が想像していたより、沢山の方に譲っていただいて世の中捨てたもんじゃないなと思ってます)

お店でご飯を食べている時に、「デザートがアルコールの入ったシャーベットなのですが、バニラアイスへ変更しましょうか?」と声をかけてくれた店員さん

勤務中、ずっと立っていると椅子を差し出してくれた先輩など

挙げればキリがないくらい、多くの方々に助けていただきました。

家族や友人たちも妊娠を報告すると、とても喜んでくれて「なんだ、私こんなに良い人たちに囲まれてたんだ」と再確認することが出来きました。
これにはもう、感謝しかありませんでした。

また、自分の身体や精神面を気遣うことの大切さにも気付きました。

妊娠する前までの私は、ちょっとの無理が通常運転で、割とすぐにストレスが限界まで貯まり、余裕のなさから厭世的な気持ちになって悪態をついたり、攻撃的な皮肉や悪口などを言いがちでした。

しかし妊娠してからは、「1人の身体じゃないんだから」という言葉を免罪符にしながら、途中からは「私が!私の身体ごと、この子を守らなければ!」という母性で、自分のことを大切に扱うことが出来るようになりました。

更に物理的に、体調を気遣って時間の余裕を作ったことで、日頃せかせか早足で歩いていた近所の道も、ゆっくり歩くと違う景色に見えてきました。

今まで平日の昼に家の近くを散歩することなんてほぼ無かったので、「この時間帯はここらへん、こんなに穏やかなんだ〜」なんて、嬉しい発見もありました。

こうして改めて考えてみると、いわゆる普通のフルタイム勤務の仕事をする社会人の生活というのは、身体的にも精神的にも余裕を作りようがないんですね。
これも、現場から離れてみて、初めて見えてきたことです。

全部、自分1人の力でやれるのが当たり前で、誰かの助けは得られないのが普通で、常に時間の制限を設けられて、急かされて。

こんな状態が続けば、自分のことしか考えられなくなるし、攻撃的な気持ちになるのも当然です。
もはや日常の風景として感じていた通勤電車の殺伐とした雰囲気も、こういう事情のせいじゃないかと思います。

そして、妊娠前の私の心が荒んでいたのもそういうことなんだと思います。

よく問題視されている「妊婦が歓迎されない社会」「マタハラ」などは、元々こういった問題が根底に潜んでいるのではないかとも思われます。

「社会人として仕事をする」ということが、余りにも非人間的な活動になってしまっている、ということなんでしょうね。

それでも、私は周囲の方々のお気遣いのおかげで、こうして出産を迎えるまでの短いひと時をゆっくり過ごさせていただいています。

今までの自分を振り返ったり、親になるにあたって自分の親への感謝を改めて感じたり、家族について再考する機会を得られたことをとても幸せに思います。

妊娠することに対して不安や心配ばかりだった私ですが、こうして妊娠期間を振り返ってみると、私にとっては、視野が広がる新しい出来事が沢山あって、何より人間として生きている実感のような手応えを感じることが出来ました。

今なら昔の私に「妊娠、そんなに悪くないよ!」と声をかけられる気がします。

まあ、妊娠期間の最後の仕上げである出産の苦しみをまだ経験していないので、こんな呑気なことを言えているのかもですが。。


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