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3話「突然のわかれ」

最後の約束をよく覚えている。


「来週、僕のともだちを紹介するね!」


帰り際、僕は恐竜のぬいぐるみをチラ見せしてそう言った。
先週コウタ君が、家族である白い恐竜のぬいぐるみを僕に見せてくれたから。
何かお返しをしたかった。
コウタ君は、僕と両手を繋いで「うん!」と満足げに頷いた。

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でもそれは結局、叶うことは無かった。




それは放デイに勤務して2ヶ月をすぎた、雨の日だった。


時刻は11時過ぎ。12時が出勤時間なのに、体が重くて動かない。

世界がよどんだ灰色に見えた。
行かなきゃいけないと心ではわかっていたけど、体が動かなかった。
全身が重い鎖で縛られているように感じた。

布団の中にもぐりこんで、時間だけが刻々と過ぎる。
今まで何とか出勤できたけど、もう限界だった。



原因は、大人の人間関係。

「あなたのことは全く信じてません!」
「代わりはいくらでもいます!」
「だから早くしてくださーい!!」
「早く出てっ!!」


代表のカネイさんは、最初こそ親切だったものの、段々と態度が豹変した。
僕は負けじと頑張っていたけど、ついに心が折れてしまった。


何を言っても否定されて、どう頑張っても怒られる。怒られては萎縮して、ミスが増えてはさらに怒られる。
頭が真っ白になって、簡単な検温や連絡帳の記入すら何度も間違えた。
毎日のように子供との接し方を突き放すように注意された。
カネイさんの冷酷で高圧的な態度は段々とエスカレートしていった。


怒られるのが嫌なのではなく、何で怒られてるのか理解できないのがストレスだった。
普段のコミュニケーションがほとんど無いから、カネイさんの言葉の裏がわからない。何を理想としてるのか?何をしたらいけないのだろうか?

信頼関係が築けていないと思い、勇気を出して理解しあう場を設けた。でも、あなたは信じていないと真向から否定された。
一体何を考えているのかわからない。
ルールも信用もない関係に、僕は動けなくなってしまった。

いつ怒られるのかと、カネイさんと同じ部屋にいるだけで冷や汗が出る。
もう相談もできない。話しかける気力もない。



怒られる度にハンマーで叩かれるようなめまいに襲われ、心を無にして別の部屋へ逃げる。自分の弱さにひどく落ち込んだ。
子供たちともどう接すれば良いかわからなくなって、見守るだけが多くなった。
気づけば子供たちのためではなく、カネイさんに怒られないための仕事をしていた。

「俺ってなんて使えない人間なんだ・・・」


神経が鋭利になっているのを感じる。何かがジワジワと壊れていく。
素直に笑えなくなっている自分がいた。


そんなある日の送迎帰り、僕は真っ暗な精神状態で車から降りると、遠くから明るくてみずみずしい声がした。


「カネザキユウタくんっ」


僕はびっくりして向こうを見上げた。
コウタ君だった。

彼は事業所の玄関で素直に立っていた。ドアを半分開けて笑顔をのぞかせ、おやつのおぼんを握りながら。
みんなすでにおやつを食べていたのに、僕のためにずっと待ってくれていたのだ。
僕は彼の純粋さに、思わず笑みがこぼれた。

所内に入ると、手を繋いで一緒に「おやつ一緒に食べよう」と「手品みせて〜!」とあたたかく接してくれる。
僕のふがいなさに、コウタ君のやさしさに思わず泣きそうになった。
玄関でのコウタ君の笑顔は一生忘れることはないだろう。


とにかく僕の心が弱いのが悪いと思ったから、我慢しなきゃと思った。
もっと頑張らなきゃと思った。
何より子供達のために。


そうして心を無にして頑張った。だけどやっぱり限界だった。

僕は知らぬ間に、自信を失ってしまった。



「今日もまた怒られるのか・・・」


雨降る日の布団の中、気づけば僕はカネイさんへ
ショートメッセージを送っていた。


「本当に辛いので、もう行けません。連絡はしないでください。」


数分後に「わかりました。」とだけ返信が来た。

その瞬間、僕を縛る強烈な苦しみから解放された。
体がみるみる軽くなるのを感じる。
これで楽になれると思った。

安心してそのまま、何時間も眠り続けた。

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