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心理師からみた映画「夜明けのすべて」の感想・評価レビュー

私好みの恐ろしく感情移入してしまった
映画をまたも見つけてしまった。


「日常」という営みの中で生きている私たちは
「日常」に時に苦しめられるが
時に「日常」に助けられる。

癒しをもたらす「日常」を再起動
するためには「分かり合う事」
同じ傷つきを共感し肩代わりしてくれる
他者が絶対的に必要だ。

その様な「良き理解者」が近くに存在して
寄り添い話を聞いてくれる、頑張りきれない,
努力では如何ともしがたい不条理性を共に悩み
一緒に傷つき、それでいて共に伴走してくれる存在
がいるだけでもこの世に生まれ出た意味があるのでは
ないだろうか?


その様な人間同士の本質的な「触れ合い」は
「喜び」が内発的に見出され、人に優しく
なる事を可能にさせる。

そう、、「触れ合いこそが倫理の起こり」なのである。

それが、予告だけ見たときの感想である。


あらすじ


月に一度の月経前症候群でイライラが抑えられなくなる
藤澤さんはある日、同僚の山添君ととある小さな行動をきっかけに怒りを爆発させてしまう。だが転職してきたばかりだというのにやる気がなさそうに見えていた山添君もまたパニック障害を抱えていて、様々な事をあきらめ生きがいや気力を失っていたのであった。職場の人たちのの理解に支えられながら、友達での恋人でもないけれどどこか同志の様な気持ちに芽生えていく二人。いつしか自分の症状は改善できなかったとしても相手を助ける事ができるのではないかと思うようになる。

夜明けすべて,ホームページより引用

この手の作品は何故か心を打たれてしまう事が多い。
予告だけで良い映画だと予感したがその通りであった。


就労移行支援事業所の支援員として日々精神疾患の
利用者様と携わっている当事者として
藤澤さんの症状を観察していると、
月経前症候群と言うよりかは
むしろ月経前不快症候群なのではないかと疑ってしまった。

また、臨床所見上、月経前症候群は併発疾患であることが多く
主となる診断が他にあるのではないかと行動観察しながら
特異的な映画体験が出来たように思える。


さて、「初恋、ざらり」での記事でも少し触れたが
精神症状の全般は身体疾患の様に目に見える形で
分からないため本人の「努力」や「能力不足」に帰属され
やすい。グレーゾーン発達障碍はその典型だと
個人的に思っているが、登場人物である山添も藤澤も
ややその傾向があると思われる。

そして、問題の本質は「理解されない事」すなわち
「孤独」にあるのではないか?山添の場合は
内界に引きこもってしまい誰とも触れ合おうとしない
態度が如実だった。


そんな山添と藤澤の第一印象は最悪であった。
しかし、それでも、お互いに関心をもち
藤澤は、山添を理解するために、お土産や直接家に乗り込む
形で歩み寄り、山添は藤澤を理解するためにPMSの
書籍を読んだり職場でフォローする等の
行動に移す。


これらは「わかること」
「わかわろうとすること」
「わかってもらえたこと」のプロセスであり
それこそが癒しの基礎になるのだ。


この傷ついた魂同士の触れ合いは偶発的であり
必然的でもあるという点が感動的と言わざる得ない。


偶発性の中で見出される
リレーションの美しさを垣間見れた
そんな映画であり
プライベートでもに通っている点が多々あり
だからこそ相当楽しめたと思っている。


理解し共感を試みる態度、、すなわち「関心」
とは究極的には「愛」なのではないだろうか?


※恋愛感情を超えたもの




ややベタな事を言って恐縮ではあるが
しかし山添は藤澤に対し関心をもつ態度を
貫く事でパニック障害という神経症状を
いつの間にか克服しているのである。
(「正しく向き合う」という表現が正しいかもしれないが)


なお、映画ではパニック障害を克服する手段として
「恐怖場面に慣らす」技法を山添は実践するが
上手くいかずに終わっている。


もちろん方法論も重要であるがそれ以上に根源的
な事は他者と触れ合を通した「安心・安全」の
基盤づくりかもしれない。


とりあえず色々述べてきたが、月経前症候群で悩まれて
いる方は本当に多い。
しかも、センスティブである事からも中々言い出せない
女性が多い現実がある。


だからこそ男性諸君は絶対に鑑賞しなければ
ならない映画であり、分かることで川添の様に
ケアが可能になるのだ。

星の配置から読み取る出会いの意味性

ややネタバレあり

言っておくが私はおそらくロマンチストである。
昔は現実主義者であったが心理を学ぶ
中でそうなってしまったのだ。
それは感情を打ち出す事の価値を見出したからだと思う。

さて、本映画に登場する舞台がプラネタリウムの職場である。
星や宇宙の話が登場する中でどうしても
ユング心理学の中核概念の一つである
「コンステレーション」を彷彿としてしまった。

https://youtu.be/TcW40V9pzpw?si=jxrTHpE5LJMaUIpm

※詳細を知りたい方はこちらの動画を参照にして欲しい

コンステレーションとは、「星座」や「星の配置」
を意味する言葉である。世の中にある様々な出来事が
自分にとって意味ある様に繋がっていく。
そのような体験や視座を指す言葉である。

皆さんも周りにその様な事はないだろうか。
コンステレーションは、オカルトではなく
あくまで人生に向き合う一つの態度として
理解して欲しい。


最終場面では
川添と藤沢を取り巻く周囲の人々を集めた
移動式プラネタリウムを使い鑑賞会
プロジェクトを立ち上げ実行する。

映画の題でもある「夜明けのすべて」の
「夜明け」とは西洋では最も苦しい
暗い状態をさす言葉だそうだ。

しかしながら、最も暗い「夜明け前」にこそ
「美しい星々」を観測する事が可能になる。
暗い苦しみの渦中にいるからこそ
様々な人間関係が「関係し合い」共生している事を
時に実感する事はないだろうか?

そして、夜が明け朝が始まり「日常」起動する。
エンドロールがひたすら「日常」である事も
今までにない体験である。


私たちは、星の輝きの様に様々な可能性を持ち
星の配置から、星座名を見出すが如く
関係性の中から人生の意味や役割を見出す。
目の前の出来事が
自分に何を訴えているのか?
どの様な意味をもつのか?
コンストレートする事もできる。


私たちは、例え物理的に離れてたとしても
星々の様に輝き、宇宙から生まれた物質
として深い部分で繋がっているのだ。


だからこそ、それを伝えたいからこそ
湿っぽくないさっぱりした藤澤と山添の別れと
新たな船出を描いたのだろう。


ここに恋愛感情を介在させれば見るに
絶えないベタベタな展開になっていたであろう。

※といっても山添の表情から少し寂しさが伺えたが・・


最後に・・・

知人と映画鑑賞したのだが明らかにコンストレート
していたと思わざる得ない。何でも「意味」
を読み取ろうとするのもいかがなものかと思うが
ストーリーの内容があまりにも自分たちの課題と
大きく類似していた。


内心は山添も藤澤もできれば共に
同じ職場で働いて欲しかったし
高架下を渡るシーンは共に歩んで欲しかった
思いがある。


せっかく見い出せた自分にとって良き職場を
藤澤は、ある理由から辞める決断をするが
個人的には複雑であった。


前向きな決断と分かっては
いるものの本当その様な決断は
良いのかとやや感情的になってしまった。

※あの様な優しい職場はもうないのでは・・・


ただ、それでもだ。
仮に別々の道を歩もうとも彼らは、単なる恋愛を
超えた深い部分で繋がっているだろう。
何故なら、同じ痛みを分かち合い
共に成長した同志だからだ。


彼らの物語はきっとその先も続いく。
実際の現実は惨く苦しみの連続で挫折も
容易に想像できるだろう。

それでも彼らは、時としてお互いに支え合い
どんな現実に対しても屈することなく
乗り越えていく。


自分が痛みを抱えながらも他者に
優しくなれる態度を英雄的態度と呼ぶが
彼らはそれが実践できた。


彼らは、それだけ強いからだ。

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