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嫉妬はむしろ心地がよいものだ


嫉妬は可能性の疼きである

上記は河合隼雄先生の言葉を引用させて頂いた。

私は普段から就労移行支援事業所で講師をさせて頂いているが
時々同業他社のリサーチを行っている。

私の様な講師業を生業として就職支援を行っている
人間はごまんといる事は頭では分かっていた。

しかし、公の場で活躍している場面や広告を見ていると
何だかむず痒さを覚えてしまうのは認めざるえない。


「おいおい、メンタルの専門家の講師だろ?
 情けない、、」と言われても仕方がない・・


だって人間だもの・・by みつお


では、嫉妬とは情けないのであろうか。

実は意外と心地よかったりしたりもする。
(ドMかもしれないが)

手っ取り早く行動の動機を高めたい時にあえて
嫉妬心を駆り立てられる情報に触れる事で
行動力が爆発的に高まるのだ。

知り合いがついに「博士号」をとりやがったー
「チクショー,就労分野だけは負けん!」みたいなものだ

気合の入れ方がマゾヒズム的なのはドン引きするかもしれないが
大事なことは「嫉妬」を飼い慣らす事だ。

コントロールできない欲望を「執着」と呼ぶが、
執着が強い「嫉妬」は自己に不健全な形で
攻撃衝動に転換される。
(なんで自分だけ、、妬ましい、、等々)


私たちはよせば良いのに、
SMS等で表面的に幸せと思える情報を取り上げ
よせば良いのに勝手に比較し
よせば良いのに勝手に落ち込むのである。


でも、よく考えて頂きたいのはSMSの情報は
ほんの表面的な対象(部分対象)であり、個人の背景を
加味せず「羨ましい」であったり「才能があるからだ」
と判断するのはいささか洞察が浅すぎるのではないだろうか?


コンビニのサンドイッチのを想像して欲しい。
表面的にはみっちり具が詰まっていそうだが
中身を確認したら、中身のなさに驚かれる方はとても
多いであろう。

コンビニのサンドイッチの様に表面上は
成功者(ボリューミー)かもしれない中身はスカスカなんて事は
よくある。

一方で他者のある一面だけを捉えて
「天才」だと解釈するがそれも間違っているのだ。
ある、パフォーマンスの背景にとてつもない努力が
存在するし、失敗の数も私たちの想像を超えるのも
であるだろう。

ニーチェは以下の様に述べている。

「芸術家の素晴らしい作品を見ても
 それがどれほどの努力と鍛錬に裏打ちされているか
 を見抜ける人はいない。
 その方がむしろ好都合と言っていい。
 気の遠くなるような努力のたまものだと知ったら
 感動が薄れるかもしれないからだ
。」

耳が痛くなった方はいらっしゃるだろうか?


ちなみに、嫉妬と関連して『憧れる』という言葉があるが。

『憧れる』の由来(語源)は、
『憧れ』→『あくがる』を意味するそうだ。


『あくがる』の『あく』は場所、
『かる(がる)』は離れることを指す。


つまり、『その場所を離れて別の所へ行く』ことが、
『憧れる』の本来の意味だと言われている。


理想的な存在に用いる言葉が「憧れる」であるが
「場所を離れる」=「地に足をついていない」
それはつまり「現実を生きれていない」と解釈
できなくもない。

「憧れ」によって生じる「呪い」的な側面で
「現実受容」できず苦しむ人も多い様に思える。


「嫉妬」した箇所を「参考」にする。
「良い部分」を自分の中に取り入れ
自分が人生の主人公として「らしさ(個性)」を徹底的に
磨き上げていきたい。

これがよい帰結ではないか?

と言うわけで今日はこれまで。
簡単な日記の様な投稿も悪くはない!






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