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田子の浦にうちいでて見れば幽玄・華麗な百人一首の世界 冬の百人一首①

田子の浦に出た
富士が見える
真っ白だ
山の上では雪がしとしと降っている

田子の浦たごのうらにうちいでて見れば白妙しろたえの富士の高嶺たかねに雪は降りつつ  山部赤人やまべのあかひと


田子の浦に出てみれば、遠くに雪をかぶった富士山、富士の峰に雪が降っている。


 百人一首の通番四番。有名な歌だ。
 百人一首の冬の歌をしばらく見ていこう。

 百人一首は鎌倉時代に、藤原定家ふじわらのさだいえが、今までの短歌から百人の歌を一首ずつ選んだもの。それまでの短歌から優秀作を選びほうだい。
 文字が出来る前から、日本では五七五七七の短歌=歌がつくられていた。その伝統が一番輝いていたころに百人一首は選ばれた。

 歌は文字のない時代には、あらゆる人がつくっていたけど、文字ができてからは、文字の書ける貴族と坊主のものとなった。
 百人一首の時代は武士の時代。貴族は表舞台から消え、武士の世となる。それにともなって、短歌もすたれていく。
 短歌が一番栄えて、かつ消えていく直前の超新星爆発が百人一首なのだ。
江戸時代に短歌をつくっていた良寛りょうかんさんなどもいるが、明治の正岡子規を待つまで、百人一首を最後に短歌は表舞台から消えていた。(ゲームとしての百人一首はあったけど)


 百人一首と同じ時代に藤原定家が編集したのが「新古今和歌集」。新古今の歌風は、幽玄ゆうげん華麗かれいといわれる。幽玄とは、おもむきが奥深く、気品があり優雅なことをさす。なんか奥深くてロマン的な作品が多いのが特色。そして現実の風景だけでなく、頭の中で考えた作品もふえた。
 「田子の浦に」の歌も、よく考えると変だ。いや、ロマンチックだ。遠くに雪をかぶった富士山が見える。うわあ、綺麗。そこまではいい。「雪は降りつつ」=今、雪が降っている。ええっ。遠くの富士山に雪が降っているのなんて見えるわけがない。それを「雪が降っている」と表現している。雪の降る情景を想像しているのだ。頭で考える作品となっている。本当の自然ではなく、頭の中で考えた自然なのだ。

 この歌の作者、山部赤人は万葉集の歌人。万葉集は奈良時代につくられている。そのころは、そんなに頭で考えて歌を作ることもない。自分の気持ちにストレートに言葉を並べる。

 万葉集に載っている本歌は、

田子の浦たごのうらゆうちいでて見れば真白ましろにぞ富士の高嶺たかねに雪は降りける


田子の浦を通って見晴らしのよいところへ出て見れば、真っ白に雪が降り積もった富士山が見える。


田子の浦を通り抜けた
おお、富士だ
真っ白に雪が降り積もっている
きれいだ

 「雪は降りける」は、「雪が降り終わった」=「降り積もっている」ということなので、ただ見ただけの風景を詠っている。
 この歌が、奈良時代→鎌倉時代と伝わるうちに、時代にあわせて百人一首の歌に伝言ゲームで変化していった。
 季節は冬。雪をいただく富士山の季節。その美しさを歌にのせる。


 我が国で語り継がれてきた短歌。

 あんまり長い文章は載せないので、今回はここまで。次回も百人一首の冬の歌を並べてみる。


タイトル画像はぱくたそからお借りしました。


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