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言葉の蛇口〜他者を見捨ててはいけない理由〜愛する理由

昔、ある国の長老が弟子たちにこう尋ねた。
「お前たちが王様からの書簡を届けるために隣国に向かう途中、強盗に襲われたのか、身ぐるみを剥がされて、行き倒れになっている男がいたとしよう。 さて、お前たちはどうするか。」
 弟子の一人が答えた。
「王様からの書簡を届けることを最優先にします。事件に巻き込まれたら大変ですから。
 私ではなくても、後から来る者が助けてくれるかもしれません。」
 他の弟子も続いた。
「私も同じ考えです。王様からの書簡を届けることが私の役割なのですから。先を急ぐ中で、誰かに頼んでおけばよいのではないでしょうか。
 急いで書簡を届けた後、帰り道にもまだその男がいれば助けるかもしれません。しかし、それまでには誰かが助けているでしょう。」
 他の弟子たちも、同じ考えのようであった。
長老は尋ねた。
「お前たちの考えはよく分かった。それでは、もう1つ尋ねよう。
 行き倒れになった者の前を通り過ぎる時、後に残されるのは誰か?」
弟子たちは首を傾げた。質問の意味が分からなかったのである。
長老は改めてこう尋ねた。
「行き倒れになった者を見捨ててゆく時、お前たちは誰を見捨てているのか?」
弟子たちは困惑して顔を見合わせた。
長老は言った。
「行き倒れになった者の前を通り過ぎる時、後に残されるのはお前たち自身だ。お前たち自身を見捨てているのだ。」
沈黙する弟子たちを見て長老は言った。
「まだ分からないのか。『助けてやりたい』と思う自分自身を見捨てることになるということだ。それは、困っている人を見捨てることと同じくらい深刻な問題なのだよ。他人を見捨てることは、自分自身を見捨てることに等しいのだ。逆に言えば、他人を救うことは自分自身を救うことに等しい。
 愛しなさい、親切にしなさい、許しなさいと教えられてきたのは、そうすることで、お前たち自身が満たされるからなのだ。」

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