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ラーメンが目標

「何をしたい?」

ギラン・バレー症候群で急性期病院に入院中、
OT(作業療法士)に最初に聞かれた。

何を・・したい・・???
手足の力が完全に抜け、寝返りも打てず
寝たままで膝を立てることも肘を曲げることも出来ないのに
「何をしたい?」とは。

OTの質問の真意が分からず、更に急性疾患の猛威
真っ只中だった私は、その言葉がグルグル頭を回っていた。

「何を出来るようになりたいか言ってごらん。
 手が動くようになったら、何をしたい?」

もう一度OTから聞かれたが、どう答えていいか迷った。
どういうことを答えてもいいのか、というか。

高望みとか無理だとか言われない?

って思ったから。
今こんな状態なのに、例えば足だったら
「富士山にまた登れるくらいになりたい」とか言えばいいの?
あまり些細なことだと、それは目標とは違うとかない?

だいたい食事と回診、清拭(体を拭く)とかの間
疲れでかほぼ気絶している人に、それ聞く?
とかなんとか、まあ一瞬で色々考えました。

でもまずは食事と排泄を自分で出来るようになりたい。
それが一番の、切実な目標だったからそれかなと。
そうしたら、どうもOTの求めている答えと違ったらしい。

「それはそうなんだろうけど、もっと具体的に」

具体的に。
今の私に一番難しいのですが。
だって何も考えられないんです。

治療に取り組む姿勢すらまだ出来ていない。
病気になったことを受け入れられてもいない。
手足が動かないこと、顔の表情筋が動かないこと、
全てがまだ現実と思えていないのに。

でも、真剣に、しかもニコニコとしながら待つ
OTに申し訳なくなり、私が言った答え。

「ラーメンが食べられるようになりたいです」

ラーメン???
OTは目をまん丸くした。
それはそうだ。
急にラーメン。飛躍しすぎ。

自分でも、なんでそうなったかわからないけど、
母の作ってくれる時計台ラーメンが、妙に懐かしくなっていた。
醤油ベースで、たくさんのトッピングが乗っている。
メンマ、コーン、カルビ焼肉、わかめ、ネギ・・。
受験の時に、勉強していると作ってくれた思い出の味。

そう話すと、OTはパーッと表情を明るくして
「よし、わかった!自宅に戻ったら、一番にそれ、
 お母さんに作ってもらおう!ねっ、お母さん!」
と、リハビリを横で見ていた母に言った。
母は、びっくりしながら「はいっ!作ります!」と。
満足げなOTを見て、可笑しくて笑いが止まらなかった。

それから、食べられるようになるためのリハビリが始まった。
道のりは果てしなく遠く、手のリハビリであるOTだけじゃなくて
急性期病院にはない、ST(言語聴覚士)の力も必要。

「ここでは無理だけど、リハビリ病院でみっちり見てもらってね」
申し訳無さそうにOTがいつも言っていた。
そのくせ、「かんちゃんの行くリハビリ病院は厳しいので有名だから
絶対泣くと思う、辛くて」と真顔で言うのは何なんだ。

でも今思えば、ラーメンはなかなかいい目標だったと思う。

まず、介護箸でもいいからお箸が使えて、
顔面神経麻痺で唇の力が全く無い私が麺をすすれるようになり、
さらに口の中では噛むだけじゃなく、舌などを動かして口内を移動させ
ゴクリと確実に飲み込む。
スープを飲むには、スプーンやれんげも使えなくてはいけないし、
あゆちゃん的に言えば、かなりのマルチタスクなのだ。

食事が辛い

しかし、OTの笑顔は長くは続かなかった。
私が食事を取るのが辛く、食に対する意欲を失くしてしまったから。
食べたくないのに、食事の練習に身が入るわけがない。
私はリハビリに関しても受け身で無気力な患者になり、
言われたことを最低限やる、そんな状態になってしまったから。

結局、身が入ることなくリハビリ病院への転院を迎えることに。
そんなだったのに、最後まで一番心配してくれたのはOTだった。

転院のために手配した、介護タクシーに乗るのに、
病室から付き添ってくれ、最後見えなくなるまで見送ってくれた。

リハビリ中、リハビリには全く関係ない内容だけどたくさん話をした。
その内容が次から次へと浮かんできて、泣きそうになった。

こんな時くらい、笑顔で手を振れたらいいのに。
両方できなくて、ごめんなさい。
そんな思いで小さくなるOTを見ていた。

未だにラーメンを見るとOTを思い出す。
決して上手にではないけど、食べられるようになったよ。
次に会ったら、必ず報告しようと決めている。
まだ笑顔は出来ないけど、精一杯の笑顔で。

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