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私にとっての宗教 2

心理学に傾倒する

自分も含め、人間の心のあり方に興味があったので、心理学を学ぶために大学に進学しました。
フロイト理論にはピントくるところを感じなかった一方で、ユングの元型論にひかれて投影法と物語の研究を主にやってました。
集合的無意識や錬金術で説明される心の成り立ちや、アニマ・アニズム、ペルソナ等々、今頃のゲームやアニメの素材になりそうな面白い単語がいっぱい出てきます。もっと評価されてもいいと思います。
解離性障害や多重人格、統合失調症の記録などを熱心に読み漁りました。
それは学問のためと言うよりは自分自身の興味だったように思います。
世界をどのように認識するか。認識した世界のどこに自分の居場所を作るか。
そんなことを探りながら、心理学やキリスト教や仏教に関する宗教の書籍などを漁りました。

生活という現実に向き合う

大学院にいこうなどと考えていた時期もありましたが、アルバイトで洋服の販売員をしてみて、「物を売るのは楽しい」と思いはじめました。
卒業に当たっては車のディーラーに就職して、ちょうどバブルの全盛期だったので、生き方とかアイデンティティとかのことを考える余裕もなく、当時は、とにかく売れるだけ売れという時代を経験しました。
バブル時代は長くは続きませんでした。そこで、公務員である刑務所の職員の試験を受けたのです。
面接時に「心理学を専攻してたのなら、少年施設で勤務するということは考えなかったのか」と聞かれたので、「興味あります」と答えたのですが、その後、少年院での勤務も経験させてもらいました。
そういったこともありましたが、結婚して子供も生まれ、仕事の責任も増していく中で、「心がどうとかこうとか」などということを考えている時間はなくなってしまいました。

絶頂期の罠

40歳代のことでした。
当時は、一番仕事で得意になっている時期です。評価されて指導的立場にはり、家庭も問題なく子供たちも順調に成長していました。
必死に仕事に取り組んでいた状況から、ちょっと環境が変わり、いろんな意味で充実感があったのです。
ずーっと精神的なものに興味を持ち続けていましたが、心理学より仏教に関する書籍を読む機会が増えていました。
「歎異抄」にひかれて親鸞聖人のことを調べはじめ、浄土真宗を学ぶようになりました。
きっかけは、「南無阿弥陀仏」だけで救われるという教義に関心があったのです。
学んでいくうちに、観無量寿経に内在する旃陀羅(せんだら)問題について行き着きました。

旃陀羅
 観経には「栴陀羅」とあるが、通常は「旃陀羅」と表記される。「旃陀羅」とは梵語チャンダーラ(candala)の音写であり、古来中国では「厳熾、執悪、険悪人、執暴悪人、主殺人、治狗人、屠者」などと訳されてきた。

一般的に、旃陀羅問題は仏教における被差別部落に関するものとされていますがここでは触れません。
ただ、私が考えたのは、「たとえ念仏で妻や子が救われ、浄土に生まれたとしても、私は救われることはできない」という強迫観念でした。
今では「刑務官」と言われていますが、死刑執行人です。
私は刑務官の仕事に誇りを持ち、教官として新任用職員を指導していましたが、プライドとか自信が音を立てて崩れてきたのです。

自分が壊れていく感覚

今考えれば、そういった問題はあくまでも教学や歴史的な論争であって、人生に直結するものではないのです。
しかし、当時の私にとっては自分自身の存在意義を脅かすような問題となっていました。
「阿弥陀如来の18願から除かれた者である」という妄想から、だんだんと「なぜ生きている」「生きる意味はあるのだろうか」「死んだらどうなる」ということに変わっていきました。
幼少からのアイデンティの問題を放置したまま生活に追われ、納得する答えのないままに生きてきました。
努力することが嫌いで、知識ばかりが先行し、知っていること、他人と違うことを鼻にかけて他人を馬鹿にして生きてきました。
人の弱みに付け込んだり、信じ込ませたり、心を操ったりして、自分はいつも正義の立場から他人を糾弾していました。
それまでの自分の行いが自分自身を追い詰めたのです。自分が壊れていくのがわかりました。
そんな苦しみの中で会ったのが「大石法夫先生」でした。

次回へ続きます。


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