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私にとっての宗教 3

大石法夫先生について

大石法夫先生については、こちらの心光寺様の紹介に詳しいので、リンクさせていただきます。大石先生の御講話の記録もございますので、興味をお持ちの方はぜひ読んでみてください。
大石先生は、僧侶ですが寺院に所属していません。広島市内のご自宅で月に3回法話の会を行っておられました。
私は、大石先生が「ご同行」と呼ぶ、法話にご参加されている方々に向けたお手紙をまとめた著書を拝読し、ご自宅の住所を見て直接法話の会に訪問しました。
通常の法座の場合は、一方的に法話を拝聴することになるのですが、大石先生の法話会は参加者がそれぞれ自身の話を行い、最後に大石先生からお話をいただくという方法で行っていました。

友達になってください

最初の法話会から私も話をすることになりました。
今、自分が救われないと感じ、生きている意味がわからなくなっていること。藁をもつかむつもりでここにきていることをお話ししました。
自然と涙があふれてきて、大石先生の自宅のリビングに集まった十数人の方々の前で、最後の方は涙声で話していました。
大石先生は私の話を聞いても目をつぶっているだけで特に何のコメントをされる訳でもありません。それは他の人に対しても同じでした。ただただお聞きになっている。
その後、ご昼食を出していただき皆でいただくのですが、その際、隣に座った大石先生から、「若いのだからもっと食べなさい」と自分のおかずをいただきました。
法座が終わって帰る前に、大石先生の部屋にご挨拶にまいりました。
本日のお礼を申し上げたところ、大石先生が私に、
「友達になってください」
とお声が掛かりました。そして、そっと手を差し出してもらったのです。
私は、その手を握ってまた泣いてしまいました。

宗教的体験

大石先生の法話の会に参加し始めてしばらくたった頃です。
私は、日課の河川敷での散歩をしていました。特に変わったことを考えていた訳ではありません。
突然、何かが起こったような感覚がありました。自分と宇宙が一体になって何もかもが感覚的に理解できたのです。
何がわかったのか言葉にできませんが、降りて来た大きな力が私を貫いたのです。
自分が小さな存在であること。その一方で、全てがわかっており、その全てが私であること。過去から未来に生きた生命が歓喜の声をあげて私に語りかけていること。
その場にひざまずいて泣き出してしまいました。
私は大変な経験をしてしまったと感じたのです。
これが「悟りを開いた」ということかと信じ込んだのです。

神秘主義の危険性

先に言っておきますが、これは悟りでもなんでもありません。脳が見せた幻覚です。単なる現象です。
宗教的体験はヨガや座禅でも見られます。薬物でも体験できます。

ペンシルバニア大学のアンドリュー・ニューバーグ(英語版)は、深い瞑想状態や祈りの状態にある者の脳内の神経学的変化を研究した。ニューバーグによると、深い祈りを込めた瞑想は、上頭頂葉後部の活動を低下させ、血流を減少させていた。また瞑想者のメラトニンやセロトニン濃度は上昇し、コルチゾールやアドレナリン濃度は低下していた。前者2つのホルモンはリラックス時には上昇し、後者2つはストレス負荷により上昇するので、この変化は理に適っているとした。こうした研究成果は、あくまでも脳と体験に「対応関係」がある事を示すものである。(脳内の変化が体験を生み出すという因果関係を証明するものでは無い。)ニューバーグは、瞑想時における様々な神秘体験が「客観的な現実であるか」と問われた時に、それは「神経学的な現実」であると返している。

オウム真理教が極端な修行でこのような宗教的体験を経験させて、それを持って教団の結束を固めたように、カルトの常套手段です。
しかし、その当時の私には、自分は「悟りを開いた」という誤った認識を持ってしまいました。

次に続きます。

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