【小説】 旅草 —空に浮かぶ街 福楽実 前半
一頁
清々しい青空に、まばらに浮かぶ雲。その下では、旅草たちが、暇を潰していた。
歌龍が琵琶を奏で、葉緒と埜良、葉緒の懐に納まる月夜が、ゆららさららと耳に入れていた。
その三人の様子を、離れたところから恵虹が、絵に写していた。それに気づいた葉緒が、恵虹に近づく。
「何を描いてるんですか?」
「葉緒ちゃんたち三人の様子です」
「へぇー」
「上手いものだな」
「ですから、葉緒ちゃんが動いてしまった以上、もう描けなくなってしまったのですけどね」
「主様! 主様!」
この船の操縦、周囲の見張りを担う、“虹色隊” の一人の黄色いやつが、帆柱の上の見張台から声を張った。
恵虹と葉緒、歌龍や|埜良も、それぞれ作業を中断し、その声に注目した。
「どうしましたか? 黄太!」
恵虹が返事をする。
「前方から、何者かが接近して来ます!」
『え!?』
驚いた皆は、船の先頭へ急いだ。
二頁
船の行く先を見ると、確かに、変なやつがこっちに飛んで来ている。
「な、何だあれ」
「人のようですが、妙な格好ですね」
妙な格好というのも、やつは体の大半が、大きな白玉に覆われて、頭にも白く丸い帽子を被っている。種族は、黄鬼の一つ目。前頭に、一本の立派な角が、帽子を貫いて生えている。
「おーい! 白玉ー!」
「おーい!」
埜良と葉緒は、やつに向かって、大きく手を振った。
これに気づいたのか、空を飛ぶ白玉のやつも、大きく手を振り、さらに速度を上げた。
「初めまして、皆さん! 僕の名は、舞林! 我らが空気の神様、天象様が治める空気の街、『福楽実』 から来ましたー! リン!」
『りん?』
「なあ、その、『ふくらみ』 ってのは、何処にあるんだ?」
「僕の後ろに見えるだろう? でっかいでっかい、透明の樹が!」
「あれですね」
舞林の背後にあるのは、空へ届かんと、高く高く背を伸ばし、地上を見下すように堂々とそびえ立つ、透明のデッカい大樹だ。
太い太い幹から、左右二つの方向に枝分かれした、木の葉の如く楕円の形をしたあの中に、民の住む街や村がある。この透明な楕円の双葉は、上に二段、三段と階層があり、頂上まで、十階ある。一番上の十階には、この国の長が住む、城が建っている。
この大樹の名は、“風樹” といい、その中に栄える国の名を『福楽実』という。
「わあ、すごい!」
「たっかーい!」
「本当に、あの樹の中に国があんのか?」
「そうだよ、我らが天象様の、すんごいお力のおかげさ! リン!」
「ということは、あの大樹は、空気でできているということですか?」
「そういうさ! リン!」
空気でできた建造物。にわかには信じ難い事実に、葉緒は目を輝かせ、埜良と歌龍は愕然とした。
「お姉さんは、これがどういう仕組みか、分かるかい? リン!」
と舞林は、恵虹に話を振った。
(お姉さん!?)
これには、他の三人は目を丸くした。
だが恵虹は、気にせず問いに答えた。
「空気を凝固してるのではないですか? それで壁や床を創り、そこに土地及び街を創ったみたいな」
「大名答! 物知りだねー! リン! 神の力の達人の中じゃ、非固形物を固形化するってのは、常識ごとなんだってねー! リン!」
「私もよくやっていますよ」
「玉兎様や、月の兎さんたちもよくやってたよね」
「葉緒……」
「じゃあ、俺の音も固形化できんの? 音を固形化って何だ?」
「アタシの雷も? ……雷を固めたらどうなるんだろう」
三頁
仕方ねぇから、俺が出てきて、有難い教えを説いてやった。
「いいか、小僧ども。この世界じゃ “想像力” が強さのカギだ。たとえば、火の神を信仰し、火の力を得たとしよう。
普通なら、単に火を発生させ、物を燃やしたり、夕食作りに役立てたりするだろうな。もちろん、それも悪くないが、神の力は無限大だ。火から連想したモンなら、あり得ねェことでも、屁理屈でも現実となる。
自他を熱血漢に変えたり、炎が獅子の立髪に見えるなら【炎の獅子】なんてモンになってもいいかもしれん。逆転の発想で、火を冷てぇモンにするのもありかもな」
「冷たい火?」
「そんなんあんのか?」
「やってみっか?」と俺の色の力で実践する。
【冷火】
メラメラと燃え上がる水色の炎。だが発しているのは熱ではなく冷気だ。炎は辺りの温度をみるみる下げていく。
『さ、寒い!』
「燃えているのに寒い」
俺は炎を消し、話を続けた。
「そういうことだ。固定概念を取っ払い、柔らかい頭で他を出し抜くことができりゃあ最強だな」
「固定概念を取っ払うか〜。めっちゃ頭使うやつだよね……むりだ〜」
「変幻自在に多彩な技……、俺そんな天才じゃねぇし」
埜良と歌龍は頭を抱え、唸った。
恵虹のやつは言った。
「ですからまずは、夢やロマン、好きなやり方を貫いて行けば良いと思います。
十人十色。十人には十通りの色があるように、埜良さんには埜良さんの、歌龍さんには歌龍さんの、葉緒ちゃんには葉緒ちゃんの、私には私の色があるのですから」
「まあ、そうだな。好きなこと、少しでも興味の湧いたものは突き詰めて、それらをかき集めれば、他とは違う、自分ならではの戦法が見つかるはずだ」
「……本当、素敵な考えだな。……リン」
気を取り直して、舞林は言った。
「皆さんて、旅人さんだよね? リン!」
「そうですが」と言う恵虹を半ば遮って、葉緒が語気を強めて言い放った。
「いいえ! わたしたちは、旅人ではありません!」
他三人は、「えっ?」と呆気に取られた。
「旅草です!!」
「いや、さほど変わりませんよ。葉緒ちゃん……」
舞林は、口元に手を当てて、くすくす笑った。
「ごめんなさい。では、旅草さんたち。よければ『福楽実』に寄っていかないかい? リン!」
これに旅草たちは、一寸の迷いもなく賛同した。
船を船着き場に泊めて、恵虹たちは『福楽実』に上陸した。
四頁
「ようこそ! 空に浮かぶ街、『福楽実』へ!! リン!」
玉響、舞林のパンパンの体に、棘のついた太い蔓が巻きついた。
突然のことで、恵虹たち一同は驚嘆した。この蔓を操るのは、舞林と似て、一つ目一本角の黄鬼。髪や眼の色は黄緑。これは、植物の神を信じている者の証だ。
舞林は、随分ときつく巻き付けられており、鈍く呻いていた。
「まったく、馬鹿兄! 勝手にふわふわ飛んで行くなって言ってるだろ!」
「ミキ……棘付きはやめてって言ってるだろ……自慢のふわふわが割れる……リン……」
「割れて本望」
しかし、棘はそこまで鋭利ではないため、舞林のパンパンな体は割れなかった。
「それで、その人たちは?」
「お客さんだよ、旅草さんたちさ」
舞林に紹介され、恵虹たち一行は、弟に自己紹介をした。
「僕は、姓を風前、諱を幹助、字を枢基と申します。ここには、面白いものなんて何もありませんよ」
枢基のこの言葉に、恵虹たちは反論する。
「いいえ、今の時点でもすごく面白いですよ。私は興味が尽きません」
「そうです、そうです」
「“空に浮かぶ街” なんて見たことないよ!」
「一番テッペンまで行けんのかな?」
歌龍の何気ないこの一言に、舞林、枢基の二人は、ドキッと青ざめた。
「無理です。僕らじゃ最上階には行けない」
「風樹の最上階にあるのは、王族や貴族の住むお城やお屋敷で、僕らみたいな下市民が立ち入るのは場違いだし、禁忌なんだよ。リン!」
「一般市民が自由に行き来できるのは、一階から七階までです。そこから上は富裕層の行き交う範囲ですから。
「まあ、そうだよな〜」
歌龍は、少し残念そうに、明るく笑い飛ばした。
舞林と枢基の顔には、陰りが見えた。
甚だ極太い風樹の幹の麓には、数多くの扉が、等間隔で並んでいた。
「ここから上にあがるのですか?」
恵虹が尋ねた。
「そうさ! リン! 真ん中のでっかい赤いやつは、富裕層の御用達。だから、下市民は使えない。普通の民は、その他の透明なやつを使うのさ。リン!
どの戸口を使っても、どこの階にも行けるから安心して! リン!」
説明をする舞林は、未だに蔓に括られて、宙を漂っていた。まさに風船。甚だ滑稽だな。
「それで? この扉からどうやって上に行くんですか?」
葉緒が首を傾けて言った。
「昇降の籠に乗って移動するんだよ」
そう言って、枢基は扉のすぐ隣に置いてある、小さな鐘を リン と鳴らした。
「その仕組みが、結構面白いんだよ〜! リン!」
すると、上から四角い大きな籠が降りてきた。扉があると言っても、ほとんどが透明で、籠は外から丸見えだ。
降りてきた籠を見て、恵虹たち一同は、衝撃を受けた。
「え、ウソでしょ……」
「ここって、海だったっけ?」
「いいえ、ここは地上ですよ。しかし、間違いありません」
「うわあ〜」
五頁
『海月だあ!』
「そう、福楽実名物、“海月籠” !! リン!」
こいつ、括られてるくせに、やけに楽しそうだな。
透明な扉が開いた。中には、女が一人、立っていた。
「お待たせしましたぁ。こちら、“海月籠” でございまぁす!」
気持ち悪ぃ言い草だな。
「彼女は、籠女さん! 海月籠を動かしてくれる方だよ! リン!」
「どの層に行かれますかぁ?」
「第一層で」
「かしこまりましたぁ」
一同は、籠に乗った。流石に舞林は地に降りて、枢基に引かれた。
籠の広さは、四畳半とまあまあな広さだ。
「では、第一層ヘ参りまぁす!」
風樹の第一層に着くと、二つある葉のうちの、右側に赴いた。
そこには、仄々とした農村が広がっていた。
『すごーい!』
村について早々、恵虹ら旅草どもは、馬鹿らしく感嘆の声を上げた。
「ここ、本当に上空にあるんだよな?」
「浮いてるはずなのに、ぴょんぴょんしても揺れないよ!」
「ほんとだー! ぴょんぴょん!」
「そりゃあ、それだけで揺れていては、生活なんてとてもできませんよ」
「そうだよ! これも空気の力でカッチカチに固定して、動かないようにしてるんだから! リン!」
「この土も、もしや空気の力ですか?」
「さすがに違います。土は地の力で、草木は植物の力で創られているんです」
「なるほど」
「川や池とかの水は、空気だけどね。天候も操れるから」
そう言って舞林は、小さな雲を現して、雨を降らせた。
「すごぉい! 雨降ってる!」
「チビ雨だ〜!」
「仕組みは軽く説明したし、早く行くよ〜。萌右が待ってるから」
「わかったよ〜。 リン!」
移動には、恵虹の白雲丸を使った。こいつは、変幻自在で、どこまでも大きくすることができ、何人でも乗せることができる、結構便利なやつだ。
舞林、枢基の案内のもと、やつらの住家へ向かう。白く透明な円頂屋根を越して差し込んでくる太陽の光、空の青を横切って。
「ここが僕らのお家だよ! リン!」
「素敵!」
広々とした田畑に、ぽつりとたたずむ茅葺の家。
「風情溢れる素敵なお家ですね〜」
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恵虹が仄々とした顔で言った。
「萌右! 今帰ったよー!」
「ただいま〜。 リン!」
舞林と枢基は、畑で作業している少年に声をかけた。
そいつも二人と同様、一つ目一本角の黄鬼であった。
「あっ、舞兄! 幹兄! おかえり〜」
仄々とした笑顔で、手を振った。
舞林は、恵虹たちに紹介する。
「彼は僕らの可愛い弟、萌右助さ。リン!」
萌右助の周りには、精霊族のやつらが飛び交って、一緒に農作業に取り掛かっていた。
「萌右ちゃん、お野菜いっぱい取れたよ〜!」「こっちも大量さ!」
「ありがとう、みんな」
やつはそう言って、精霊たちに指示を出した。見事に、精霊たちを従えていやがる。
それを見て、歌龍は目を丸くした。
「へぇ、こんなところにも、精霊っているんだな」
「精霊は、人の笑顔を好み、笑顔あるところに現れるんです」
説明をする枢基に、舞林は「ミキも笑えば、もっと増えると思うよ」と言った。枢基は「無理だね」と速攻で否定した。
「どうして?」と舞林が尋ねると、枢基は
「今はそんな、笑ってられる状況じゃないからだよ! なんで二人は、そんなヘラヘラと笑っていられるの!? 今がどんなに苦しいか分からないの!!」
「幹兄! そんなに怒らないでよ。……精霊たちが怯えてる」
精霊どもは、萌右助の背中や作物の陰などに隠れて、震えていた。こいつらは逆に、不穏な空気には滅法弱い。過度に心労を与えられればポッカリ逝ってしまう。
「……だって……」
それ以上は、言葉は出なかった。
舞林は言った。
「いくら今が絶望的な状況でも、笑っちゃいけない理由にはなんないよ! リン!」
「兄……」
「さっ、今は、大事なお客さんをもてなそう! もう、お昼時だよね。ご飯にしよう! リン!」
そこで、葉緒がビシッと手を上げた。
「料理ならわたしにお任せを!」
「葉緒ちゃんは、腕の立つ料理人です」
「葉緒の料理は格別だよっ!」
恵虹と埜良が後ろ盾となった。
「へぇ、そうなんだ〜。じゃあ、葉緒ちゃんに作ってもらおうか」
「ありがとうございます!」
「食材なら、僕らの野菜を使ってよ」
「いいのですか?」
「たくさんの野菜を育てて収穫しているとね、あるんだよ。売り物にならない粗悪品が。
派手にひん曲がったきゅうりやピーマン、傷の入ったトマト、ぱっくり割れたジャガイモ……とか、いろいろね。リン。 でも、食べれないことはないから、僕らのご飯になってるのよ〜! リン!」
「なるほど」と恵虹は相槌をうつ。
葉緒は、丸めた掌をポンと胸に当てた。
「任せときなさい! この葉緒に、捌けない食材などありません!」
七頁
「よっ! 我らが名料理人!」と囃す埜良と「どこで覚えたんだ? その言葉」と突っ込む歌龍。「どこからでしょう」と同調する恵虹。
頼もしいと、舞林は、不格好な野菜を次々に籠に集めた。その野菜類を見て、葉緒は言った。
「もう、作る料理は決めました!」
「早い! 何を作るの!?」
「埜良も、ノリノリだな、おい」
「今回作るお品……それは —— “カリ煮込み” です!!」
「カリ煮込み?」
歌龍の頭上には、疑問符が湧き出てきた。月夜が説明をする。
「カリというのは、夏の海の一部地域に伝わる家庭料理で、たくさんの香辛料を使って調味した、肉や野菜、魚介類などの料理の総称だ。
葉緒が作ると言ったのは、その中の煮込み料理、これは、貿易の盛な国や大陸の都市部にも伝わって、広く親しまれている」
「私も食べたことありますよ」
「アタシもー!」
「俺は知らねーな。まあ、そこまででっかい国じゃねーし、ちっこい島だし」
「それで、香辛料はありますか?」
葉緒は舞林に尋ねた。
「さすがにそれはないけど、市場には売ってるよ。早速行ってみよう! リーン!」
そう言って舞林は飛び上がった。
「あっ、ちょっ、兄!!」
枢基が舞林に手をかざし、そこから、棘の蔓を放った。しかし、いとも容易く躱された。
「不意打ちじゃなきゃ、捕まらないよ! リン!」
「さあ、行こう、みんな!」と、恵虹たちを手招く。
「私は、ここに残ります」
恵虹は言った。
「俺も残るよ」
歌龍もそれに続いた。
買い物には、葉緒と埜良、それから月夜の三名が行くことになった。
失望した顔でため息をつく枢基。
「はあ、まったく、あの馬鹿兄は……」
「私たちが手伝います」
「いいのですか?」
「はい! 歌龍さんもいいですよね?」
「しゃーねー、俺の琵琶の音で、作業を捗らせてやる!」
「え?」
妙に決めた声で言ったが、ただサボりたいだけだろ。
歌龍は琵琶の音を弾いた。
「わあ! それは助かります〜」
萌右助一人だけは、目を輝かせて喜んだ。
「それでは聞いてください!『頑張れみんな』!!」
「頑張れ、頑張れ、みんな〜」とクソな応援歌を歌うやつに、三人ともども絶句した。
「粗末な応援歌ほど頭にくるものはありませんよ」
恵虹がきっぱりと言い放った。
結局、歌龍も農作業を手伝った。
八頁
一方、葉緒と埜良に私、そして舞林は、再び “海月籠” に乗り込む。
「お待たせしましたぁ。こちら、“海月籠” でございまぁす」
今度の籠女は、先程の者とは打って変わり、甚だ冷淡な者であった。
「どの階に行かれますか?」
「第五層で」
「かしこまりましたぁ。では、お乗りください」
一行は、籠に乗り込む。
「第五層へ参りまぁす」
第五層に到着すると、二つある部屋の左側へ赴いた。そこは、家屋が立ち並ぶ町であった。
舞林の案内で歩いて行くと、周囲の家屋とは違う、煉瓦造りの大きな建造物が二つ立ち並ぶ、大規模な施設があった。その入り口のすぐ上には、「五層左市」と書かれた横断幕が掲げられていた。
「ここだよ! リン!」舞林が言った。
「おっきい建物ですね」
「ここが市場?」
感心する葉緒と、困惑する埜良。
「入って見れば分かる」と、舞林は早速、硝子と木材でできた扉を引いた。
中に入ると、真っ直ぐに貫かれた大通り。その両端には、簡易的な屋台の店舗が立ち並んでいた。
「ここが、福楽実庶民にとっては、最大級のお買い物所「五層左市」さ! リン! ちなみに、五層左というのは、ここの町を示す名前だよ。五層目の左の町だからね。リン!」
「その独特な口癖は、舞林じゃないか」
初老辺りの男性に声を掛けられた。
「風詠さん、こんにちは〜。リン!」
「そちらの嬢ちゃんたちは?」
「この国に訪れてきてくれたお客さんだよ! リン!」
「へえ、客人とは珍しい」
「お昼作るために、香辛料を買いに来たんだ! リン!」
「そうか。じゃ、その調子で元気でな」
「風詠さんこそ! リン!」
男性が過ぎ去ると、今度は、二人の若い娘が駆け寄って来た。
「あ、舞林さんだ!」
「舞林さーん」
この舞林の人気ぶりに、葉緒と埜良は唖然としていた。
場所は変わって、一つ目黄鬼三兄弟の家の畑だ。そこで農作業を手伝う恵虹と歌龍。その宛ら、恵虹は枢基に尋ね事をした。
「先ほどおっしゃった “今は笑ってられる状況じゃない” って、どういうことですか?」
「……あなた方には、関係ないことです」
枢基は、無愛想な面をして言った。
「この福楽実の国は、黒鬼の人たちの支配下にあるのです」
代わりに萌右助が事を話した。枢基は「おい!」と突っ込んだ。
「何を余計な事を!
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「余計じゃないよ! 話すぐらいなら、いいだろ? ……話すくらいなら」
萌右助の真剣な眼差しに、枢基は黙りこくって、止めていた作業を再開した。
「支配……とは?」
強張った顔で恵虹が尋ねる。
「今から十二年前、突然、黒鬼の奴らがやってきて、城を襲って王様を倒し、福楽実を乗っ取ったのです。
負けた王様は、殺されはしませんでしたが、お妃様と王子様、王女様と共に城から追放され、第一層の右のこの村に建てられた木の小屋に幽閉されてしまったのです」
「それはさぞかし屈辱的でしょうね……」
「王族だけでなく、貴族の方々も同じような目に遭い、不便な生活を強いられています」
「でもよー、この国入るのって、そう簡単な事じゃないだろ? 住民でもないのに、どうやって入ったんだ?」
口を挟んだ歌龍。この問いには、枢基が答えた。
「籠女を脅して、無理やり海月を動かしたそうです」
「庶民たちも、お金や食べ物を大量に貢がされて、貧窮しています。貧しさから、病気になってもどうすることもできず、父も、母も……亡くなった」
「だから、兄には、長男としてしっかりして欲しいのに、いっつもふわふわどっか行って!」
「……両親が亡くなった悲しさや苦しさで、僕はずっと泣いていた。
そんな時、舞兄は、天象《てんしょう》様にお祈りして、髪の毛の色を空の色に変えた——」
泣いている僕。その前に舞兄はしゃがんで、こう言った。
「萌右、見てみて!」
右手の親指と人差し指をくっつけて、輪っかを作った。そして、その輪っかに息を吹き込んだ。
すると、輪っかからは、ぷくぷくとたくさんの泡玉が出てきて、空に舞った。
「どうどう? すごいでしょ?」
いきなり泡玉が出てきた驚きと、舞兄のその歳に見合わないはしゃぎっぷりに、僕は笑って言った。
「うん、すごい」
これに味を占めたのか、舞兄は、度々僕に泡玉の芸を見せてきた。僕だけじゃない、幹兄や近所たちにも見せまくって、幹兄には渋い顔をされ続けているが、たくさんの人を元気付けた。
出てくる泡玉は、だんだんと大きくなっていき、仕舞いには、舞兄自身が大きな泡玉となって空に舞った。
ふわふわと空を舞う舞兄の姿は、なんとも滑稽で可笑しくて、みんなの笑い者になった。
またある時、舞兄は言った。
「りん……りん……。“りん” って言ってると、何だか幸せな気持ちになるよね。リン!」
こうして「リン!」が、舞兄の口癖となった。
十頁
この話を聴いた恵虹は、うるうると目に涙を溜めていた。
「舞林さん……なんて良い方でしょう……」
歌龍も感銘を受けた様子で、うんうんとうなずいた。
枢基は言った。
「でも、僕は心配です。お金も食料も絞りとられて、普通苦しい顔をするはずのに、ここの皆は明るく笑顔で、それをアイツらはどう思うでしょう」
これに歌龍は苦笑いを浮かべて言った。
「流石に、笑顔を嫌うなんてことは……」
「そんな心優しい奴らなら、そもそもこんな暴挙などやっていないです」
「確かに、舞林さんを疎ましく思い、何かしらの危害を加えるかもしれませんね」
「……最悪、命さえも危うい。……そうなるくらいなら、兄には、じっとしてて欲しいです」
「それで枢基さんは、舞林さんに否定的なのですね」
「僕は……皆を笑顔にしていく舞兄を誇りに思ってる。……でも、幹兄の言うことも、分かるから、手放しで称えられない」
重い空気がずんとのしかかっていた。枢基も萌右助も背中を丸めて、俯いた。
恵虹が口を開いた。
「支配者の長の名前って、分かりますか」
その声に、俯いていた二人は顔を上げた。
「姓を黒松、諱を慶子、字を刃賀と名乗っていました」
場所は変わって、福楽実の最上階にある、福楽実城。只今、この国を支配する王に、一人の黒鬼の青年が訪ねた。
「やあ、刃賀殿。調子はどうだ?」
「……闇神様の玉子か、何しに来た?」
「ひどい口だな。開口一発目がそれなら、友達など到底出来ぬぞ」
「吾輩を童扱いするな」
「それで、調子はどうだ? ここに来る前、市街地に立ち寄ったが、民たちは幸福そうであった。其方は、良い為政者なのだな」
「? そんなはずはない。奴らからは、金も食い物も鱈腹絞り取っているんだ。幸福になどなるものか」
これを聞いて、青年は目を丸くした。
「まさか、知らないのか?」
これを聞いて、刃賀は目を丸くした。そして、側近に立つ、緑鬼の少女に指示を出した。すると少女は、しばらく目を閉じた。青年は、少女をじっと見た。
「確かに、民の皆に苦の表情は、あまり見られません」
「何だと!? 何故だ!?」
「何の一芸だ? 自分の支配下にある民の顔も知らないで、何故玉座にどっぷりと付かれる?」
「五月蝿い! 貴様のような青二才が舐めた口を!」
青年は呆れ、ため息をついた。
【悪魔の鏡】
十一頁
青年は、自身の持つ闇の力で、楕円形の黒い縁の鏡を生み出した。
【鏡よ鏡、この国の民の様を映せ】
「かしこまりました」
鏡に映し出されたのは、陽気に笑顔を振りまく白玉の体をした青年と、笑顔で彼を取り巻くその他の民たち。
皆の笑顔を見た刃賀は、眉間にしわを寄せ、あからさまに不機嫌な顔になった。
「何故だ! 何故、此奴らは笑っている! 何故、絶望に打ち拉がれない!」
「其方は最悪だな。そりゃあ、ふわふわの彼が皆を元気付けてるからだろう。素晴らしい奴だな」
青年の眼前に、刀の切っ先が突き立てられた。怪しい気配を放つ、奇妙な黒刀。
「吾輩が見たいのは、塵共の苦痛と絶望に満ちた顔なのだ。邪魔者は排除するまでだ」
「僕も協力しよう。僕の目標は、彼のすぐ隣にいるからな」
「お月食堂、開店です!」
舞林さんたちが無事に買い物から帰り、葉緒ちゃんが昼食の調理に取り掛かった。
「お待たせしました! “お野菜ごろごろカリ煮込み” です!」
目の前に運ばれて来たそれは、一般的なカリ煮込みよりも、赤みが強いものだった。トマトが一緒に入っているからだろう。
ちなみに、これにかけるお米も、付けて食べるパンもない。そんな贅沢な食べ方ができるほど、裕福ではない故だ。その代わり、大雑把に切られたジャガイモやピーマンなどの野菜がごろごろ入っている。
皆は「いただきます」と合掌し、レンゲで一つ掬って、口に運ぶ。
そして咀嚼し、香辛の香りや柔らかな酸味を感じた。
『美味しい!!』
皆それぞれ、驚嘆や嬉嘆を交えた舌鼓を打った。
「すごい! 本当に美味しいよ! リン!」
「ウンウン」
「なんだか心がスッキリするよ〜」
つい先程まで、置かれた立場や考えがそれぞれ違っていた三人が、今ではもれなく笑顔で、息を合わせていた。これが葉緒ちゃんの料理の力……。
素敵だな、と口元を緩めた。
「ん、どうしたんだ、恵虹?」
「いえ、なんでもないです」
「さすがは葉緒だな!」
歌龍さんにも褒められて、満更でもない様子の葉緒ちゃん。
器を平らにすると、舞林さんは立ち上がった。
「葉緒ちゃん、これとっても美味しかったから、近所の人たちにお裾分けしていい? リン!」
「いいですよ」
十二頁
「ありがとう! リン!」
舞林さんはお礼を言うと、カリ煮込みの入ったお鍋に蓋をして、両手に持った。
「私も、同行してもよろしいでしょうか?」
私が志願すると、舞林さんは動きを止めた。
「すみません。こういうのは僕の仕事なので。……リン」
そう言って、舞林さんはすぐに家を飛び出した。
舞林が訪れたのは、簡素な木の小屋。だがその戸の前には、二人の黒鬼の武士が立っていた。
舞林は、小屋の屋根に着地した。
【眠りの空気】
武士どもの意識が飛び、倒れるように眠りに落ちた。
その隙を突いて、舞林は飛び降り、小屋の戸を叩いた。
「はい」と返事をして、出てきたのは、中年辺りの黄鬼の男だ。男を前に、舞林はひざまずき、頭を垂れた。
「こんにちは、天伸様。本日も清々しい晴れの日でございますね。リン!」
舞林の挨拶の先に立つこの男は、かつて福楽実の国を治めていた王、天伸である。
「舞林か。また正面から堂々と。監視なんかに見つかれば大変だ。中に入りなさい」
「失礼します! リン!」
小屋に入る舞林、その上空には、一匹の蝙蝠が飛び回っていた。
小屋には、天伸とその妻の峰、長男の若大、長女の空姫の四人で暮らしていた。舞林は、この小屋にしょっちゅう来るらしく、妻子たちも喜んで迎えた。
「お昼のお裾分け、カリ煮込みでございます! リン!」
持ち出した鍋を食卓に置き、蓋を開けた。
「わざわざ、番人を眠らせてまで、我々のために」
「王家の皆様は、この狭い部屋に、四人で閉じ込められて、見張りも付けられて、長いことご不便な暮らしをされて、私のことなど、皆様に比べれば大したことではありません!」
謙遜する舞林に、若大は言った。
「事の多少に差はあれど、貴方の暮らしも大変なことには変わりないでしょう。それなのにも関わらず、私たちのことを気にかけてくれて、本当に感謝しています。舞林さん」
続いて、空姫が口を開いた。
「父上が刃賀と戦い、敗れてしまっても、命までは取られなかった。お城から追放され、ここに幽閉されてしまいましたが、四人が離れ離れになることにはならなかったこと、あなたが気にかけてくれて、よく料理を分けてくれること、とても嬉しくて、私は十分幸せです」
「でも、無理はいけないわ。貴方が目をつけられたら、貴方はもちろんのこと弟たちにまで危険が及ぶかもしれない」
「私たちのことはお気になさらなくて、結構です」
そう言って舞林は、同じく持ってきた器に、カリ煮込みを装った。
四人が食べている横で、舞林は、恵虹たちの話をした。
やがて、小屋の外から、何やら声が聞こえてきた。怪しく思った舞林は、戸を開けた。
十三頁
するとそこには、二十人程の黒鬼の兵士どもがいた。皆、陽気な笑みを浮かべ、地べたにくつろいで、談笑している。
舞林は呆然とした。あまりに意味不明な光景だからな。舞林の後ろから、外を覗いた天伸が言った。
「これは、刃賀とこの兵か。……何をしてるんだ」
「さあ……」
周囲を見渡す舞林は、気になるものを見つけたらしく、小屋から飛び出した。その先にあるのは、明度の低い紫色の四角い頑丈そうな檻。その中には、一匹の蝙蝠が飛び回っていた。
「これは……蝙蝠か。一体、誰が?」
「私がやりました」
そう言って現れたのは、言わずもがな、恵虹だ。彩色の杖を手にしている。
「恵虹さん!」
恵虹は、初めて会う王家一家に丁寧にお辞儀をした。
「初めまして、私、姓を石暮、諱を匡、字を恵虹と申します。しがない旅人ですが、お見知りおきを」
そんな恵虹に対して、天伸は言った。
「君たちのことは、さっき舞林から聞いた。この国を訪れて来てくれてありがとう。そして、この国の厄介ごとに巻き込んでしまったようだな」
「いえ、お気になさらないでください。私の魂の色である紫は、人と人とを繋ぐご縁の色でございます故、この身に降りかかるどれもこれもが、紫に導かれしご縁と構える所存です」
「魂の色? ……まさか、君」
その時、ピカッと眩しい一閃と、騒がしい叫び声がやってきた。
「恵虹、大変!」
「埜良さん!」
一閃の主は、埜良である。埜良は、萌右助を担いで、雷速でやってきた。この速さに慣れていない萌右助は、目を回していた。だが、すぐに覚ました。
「舞兄!」
「萌右!」
萌右助は、舞林に駆け寄り、その体に抱きつく——が、でっかい白玉に弾かれた。
その場にいた皆が、なんとも言えぬ顔をした。
「ごめんよ、萌右」
舞林が玉の両端を押さえ、シューと萎ませる。
「リン!」
『萎んだ!』
そして改めて、舞林は萌右助を抱きしめた。
「何かあったの? 幹は?」
「幹兄が……消えた」
この一言に、舞林の顔が真っ青になった。
「そんな……」
恵虹は埜良に尋ねた。
「葉緒ちゃんと歌龍さんは無事ですか?」
「うん、連れ去られたのは、枢基だけ。玉兎もいるし、大丈夫だよ」
「なら、よかったです」
「ところで、恵虹、こいつらは何?」
十四頁
埜良は、そこらで駄弁っている黒鬼どもを見て言った。
「この国の支配者が従える兵士たちのようです。小屋の前に突如現れて、良い予感がしなかったので、黄色の力で陽気にさせました」
「陽気?」
「陽気な気分になれば、邪悪なことなどしようと思わないでしょう?」
「分からんよ?
『イェーイ! テメェらを拘束してやるぜー!! イェイ! イェーイ!』
みたいな奴がおるかもしれんし』
「それ、絶対ヤバい奴ですよね……」
ぜってぇ精神がやられてるな、そいつ。
恵虹と埜良の些末なやりとりを聞いた天伸は、恵虹に近づいて尋ねた。
「恵虹、其方の持つ力はもしや、色の力ではないか?」
「そうです」
恵虹はそう言って、彩色の杖を取り出し、鮮やかな虹の弓形を創った。その場にいた全員が虹に釘付けになり、感嘆を漏らした。
『虹だ!』
「これが……色彩宇宙様のお力。例え願っても、簡単に賜ることなど叶わない。それを持つ其方は、只者ではないな」
恵虹は、決まり悪そうな笑みを浮かべ、謙遜した。
「私はしがない旅人ですよ」
すると、舞林がぴょんと空に舞い上がって、来た道を辿っていく。
「舞兄、どこ行くの!?」
「ちょっと用事!」
「用事って……まさか……」
「私もお供いたします!」
恵虹も、白雲丸に乗って、空に上がった。
「埜良さんは、葉緒ちゃんたちのところへ行っててください」
「恵虹……」
「白雲丸、出発進行です!」
「あいよっ!」
その背中を見た埜良は、何かを決めた顔で、萌右助に声を掛けた。
「萌右助、行くよ!」
「うん!」
埜良は、萌右助を抱え、雷速で地を駆けた。
【追い風】
天伸は、遠ざかる恵虹たちの方向へ手をかざし、風を起こした。
舞林と恵虹は、舞林たちの家を通り過ぎ、風樹の幹へ向かう。
「お待たせしましたぁ。こちら、“海月籠” でございまぁす!」
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今度の籠女は、ぱちぱち弾けるような若い雰囲気を持っていた。
「第十層に行けるかい?」
舞林がそういうと、籠女は驚き狼狽えた。
「第十層って……お城ですよ?」
「僕らは、そこに用があるんだ。大事な弟が連れ去られてしまって……お願い、僕らを十層に運んで!」
必死に頼み込む舞林に、籠女は「舞林くんの頼みなら、いいよ」と二人を籠に乗せた。
「第十層へ参りまぁす!」
場所は福楽実城。刃賀が
座る右の手前には、大きな鳥籠が吊るされていた。その中には、先程部下が連れて来た黄鬼の青年が、手足を拘束されて入っていた。彼は少々震えながら、周りの者たちを睨んでいた。
そんな彼に、刃賀は嘲るように言った。
「実に気の毒なものだ、貴様は。あんな馬鹿者を兄に持つせいで、こんな目に遭った。全てはあの馬鹿を憎め」
すると彼は俯き、眉間にしわを寄せ、歯を食いしばった。
【茨の鞭】
城の床から、先の鋭利な棘のついた太い蔓を生やし、刃賀の頬を狙う。
しかし、その攻撃は、蔓と同様の太さ長さの黒い手に防がれた。
青年は叫んだ。
「兄は何も悪いことしてねぇよ! 全部、お前のせいだろ!!」
今度は刃賀が眉間にしわを寄せた。
「貴様、誰に物を申しておる!!」
「お前だよ! 黒松刃賀!!」
堂々と言い張る彼に、さらに怒った刃賀は、拳を握り、力いっぱい鳥籠を殴った。
鬼人族の者は霊人族の五倍ほどの筋力を持つ。その拳で殴られた鳥籠は、大きく傾き、大きく揺れた。手足を拘束され、捕まることもできない青年は、頑丈な檻に額をぶつけた。
痛みに悶える彼に、刃賀は言い放った。
「お前もまた、あいつに似て馬鹿者のようだな。我輩を怒らすような真似ばかりしよって!!」
刃賀は、怒りのままに叫び、鳥籠を殴る。
「兄は、何も悪いことなんてしてねぇよ!! 国の皆を笑顔にする、勇敢な英雄だ!」
そうだ、兄は英雄だ。心の中では、誇らしくも思っていた。でも怖かった。こいつに捕まって、酷い目に遭うんじゃないかって。最悪、命を奪られてしまうんじゃないかって。
だから、表面上では、兄を否定した。兄の邪魔ばかりした。それでも兄は諦めなかったけど。
本心を塞いで、大好きな兄を否定し続けるのは苦しかった。
それでもこうなってしまった以上、もう塞ぎ続けるのはやめよう。
「馬鹿はお前だ! 人を苦しめることしか能がないのか! お前のような蛮族はこの国にいらない、『福楽実』から出て行け!!」
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何度鳥籠を揺らそうと、屈することのない青年に、痺れを切らした刃賀は、腰に下げている刀を抜いた。
「もう良い、貴様は打首だ!」
「そこまでだ!!」
王の間に正面から堂々と突入した舞林。
「幹! 大丈夫か?」
「……兄」
その時、枢基の入っている鳥籠の上が全て切れて、檻と枢基が下へ落ちていく。しかし、落ちたのは檻だけで、枢基は途中で落下が止まった。まるで、誰かに拾われたように。
理解不能な状況に、枢基は動揺を見せた。
【緑の力、回復の術】
「この声は……恵虹さん?」
そう、透明化した恵虹だ。だが、やつは、枢基の声には応じなかった。そのまま、戸口へ向かう。
その時、急に部屋の中が暗闇と化した。
【昏冥の魔王】
刃賀は、暗闇の中で刀を構え、舞林たちに向かって突進する。
「舞林さん、危ない!」
その一歩手前の頃合いで、恵虹が舞林に警告する。
【空気押し返し!!】
舞林は両手を前にかざした。すると、突進する刃賀の動きが止まった。
【青の帳】
恵虹の色の技で、奴の頭を冷やす。
そして恵虹は、月の光で、暗闇を明るく照らし、冷静になった刃賀の前に立ち、透明を解除した。
「其方が刃賀殿だな?」
「何だ、貴様」
「私は、姓を石暮、諱を匡、字を恵虹と申す。其方に問いたいことが幾つもある」
「全く最近の若者は、どいつもこいつも生意気な口ばかりだ」
「何故、枢基さんを攫った?」
「……我輩の支配下にある塵共を笑わせて、明るくするような、目障りな馬鹿への天罰だ」
刃賀のこの一言に、舞林が叫んだ。
「だから、何で幹が捕まらなきゃいけないの!! 『福楽実』の皆を笑わせたりしたのは、僕だ! 幹じゃない! そもそも幹は、そんな僕にいつも否定的だった!」
「だから、お前への罰で、弟が捕まったんだ! いつだって、馬鹿者のツケを払わされるのは、その周囲の者だと決まっている!」
舞林は言葉を失った。
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「戯言を吐くも大概にしなさい!」
怒りが頂点に達し、髪を赤くした恵虹が言い放つ。
「元来、舞林さんも何も悪いことはしていないでしょう。人を喜ばせて何が悪い! 寧ろ罰せられるべきは、人から幸を奪い、苦しめてばかりの其方だ」
「黙れ! 塵共がのうのうと笑っているのを見るのは、腹が立つだろう! だから、金も食い物も搾り取って明日も見えぬ状況にしたのに、何故奴らは笑っている? あり得ないだろ?」
「……其方は、人の上に立つ器にない。人を思う『仁の心』を欠く者に、本当の誉れな未来などやってこない。
私は貴方に……」
「ちょっとまったあー!!」
そう叫んで出てきたのは、埜良。その後ろには、葉緒と歌龍、萌右助が付いている。萌右助は、兄たちの元へ駆け寄り、葉緒は恵虹の右に立ち、歌龍は皆より少し後ろに立つ。
「み、皆さん!」
埜良は、皆より一歩前に出て、刃賀に言い放った。
「さっきの会話聞いてたけど、アンタ、酷すぎだよ!」
(ずっと聞いてたのですね……)
「……誰だ、貴様ら」
「アタシらは、恵虹の仲間だ。やるなら四人、みんなでだ。ねっ、恵虹」
目配せをする埜良に、恵虹は目をそらした。
「彼女の言う通りだ。一人だけで勝とうだなんて、余りに無謀で傲慢なことに思うぞ。一人は皆の為、皆は一人の為にとな」
そう言って現れたのは、何とも妖しい黒鬼の男だった。尻に届くまでに長く伸びた闇の黒髪を、前に二本、後ろに一本の三つ編みにまとめ、紫の差し色が入れられていた。
前髪は恵虹と同様に分厚く、眉にかかるまで伸ばしたその上から、山高帽子を被っている。
衣には上はダンディなトンビコートを羽織っているが、下は紫のスカートを履いていた。
男なのには違いないが、女に見違えてもおかしくはない。そんな変わった風貌は、恵虹そのものだ。
奴の姿を見て、恵虹は戸惑いの顔になった。
「ここは、彼ら四人と、刃賀殿を含んだ黒鬼側の精鋭部隊四人で、この国の命運をかけた三本勝負と行かないか?」
刃賀は反発した。
「ふざけるな! 勝手に話を進めるでない! 誰がそんなものを……」
「おや? 其方ともあろう者が……こんな若人に臆するほどの小心者だったのか?」
「アン?」と奴の煽りにまんまと乗せられる刃賀。「んだとコラー!」と埜良も一緒に怒っていた。恵虹がそれを宥める。
そのまま、三つ編みの奴が勝負の決まりなどを設定し、説明していった。
決戦の時は明日、場所は、風樹の第八層にある闘技場。国を懸けた戦いと言うだけあって結構大掛かりだ。
しかし此奴、本当に妙な奴だ。
途中、舞林たち三兄弟を縛り上げたかと思えば、仕舞いには開放し、三人が連れて行かれることはなかった。
恵虹は、奴の背中を追って、問い掛けた。
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「其方は、一体、何者だ?」
奴は止まって、振り返る。
「音虫でも、福楽実の第一層でも見かけた、あの蝙蝠は其方だな? 音虫のあの騒動も、今回のことも、全て其方の仕業だな?」
恵虹の吐露に、周りの面子に衝撃が広まった。
対して奴は、穏やかに微笑んだ。
「どうしてそれが分かるんだ?」
「……直感」
「ほう、面白い答えだな」
「でも分からない。其方は……何なのだ?」
「僕は僕さ。君も似たようなものだろ?」
そう言って、奴は去って行った。
結局、城に押し入った皆は、無事に帰ることができた。
舞林さんたち三兄弟は自宅へ、私たち旅草は船へとそれぞれ戻る。
「聞いてください。『さらば、我が人生』」
明日に迫る戦いに悲観し、そもそも端から尻込んでいたという歌龍さんが、帰還早々、琵琶を片手に弾き語る。
「もー、しけったいなー! 大丈夫だって!」
突っ込む埜良さんに歌龍さんは反論する。
「何が大丈夫だ!! アイツの言ってたこと、もう忘れたわけじゃねーよな!! 三回戦のうち、俺らは一回でも負けたら、全員打ち首になるって! めちゃくちゃだよ、なんでお前らはすんなり受け入れてんだよ!」
「ごめんなさい、歌龍さん。反論する暇も与えられませんでしたし」
「負けなきゃいいんだよ! 絶対負けんなって意味でしょ」
「アイツがそんな気のいいヤツなわけねーだろ! 母ちゃんたちを苦しめて、俺も殺そうとした奴だぞ!」
すると葉緒ちゃんが私に近づいてきて、尋ねた。
「あの事件って、彼が張本人なんですか?」
「はっきりと答えてはくれませんでしたが、恐らく、そうだと思います。それに、今回の勝負も、アイツの策略だったのだと思います」
「えっ? どうして?」
「……分かりません、掴みどころが無さすぎます。まるで鰻」
「鰻って、掴みづらいですよね〜」
「そうそう、ヌルヌルしていて、すぐに逃げられてしまいます」
「恵虹さん、鰻掴んだことあるんですね ♪」
「昔、お祭りで……」
「葉緒、恵虹、話がズレているぞ」
いつの間にか、鰻の話になってしまったのを、玉兎様が注意した。
いくつもの疑問がふつふつと湧き出る。まるでシュワシュワと弾けるラムネのように。
私は、変わらず船縁でくつろいでいる色に尋ねた。
続き
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