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トキワ荘14号室の神様に会い人生を変えた人々

かつて、東京豊島区にあったこのトキワ荘。この部屋番号に住んでいた住人をご存じでしょうか。そこにはマンガの神様、手塚治虫先生が住んでおりました。しかも、4畳半一間の狭い部屋。ここに神が籠って、ひたすら漫画を描いていたというのが信じられないです😂

今、深夜にNHKで『銀河テレビ小説』の一挙再放送をしております。銀河テレビ小説は、私が小学生の頃に放送されていました。見たことのある人は知ってるかもしれませんが、当時は夜にやっていて、9時のニュースの後だっと思います。流れ星が落ちる綺麗な夜空が印象的です。きれいなオープニングでいまだに覚えていました✨

つい懐かしくなって見ていると、なんと今やっているのが『まんが道』。ドラえもん、パーマン、笑ゥせぇるすまんを生んだ『藤子不二雄先生』のマンガデビュー当時の話です。

ドラマ自体(昭和後半)も古いので、昔の上野駅とか、セットでなくそのまま出てきます。あまり言ってはいけないかもしれませんが、昔の上野駅って汚くて、臭かったのですよ💦私は、変わった中耳炎になって、東京の耳鼻科に通っていたため、昭和後半の上野駅を覚えております。

さすがに夜遅くなので起きていられないので、私はNHKプラスで見ています。実は私は原作を読んでおりません😅
ですので、かなり興味深く見ております。

昭和27年。藤子不二雄先生が、まだ富山の高校生の頃から始まるのですが、この頃からマンガをコンビで書いていたのですね。しかも、この時代に、マンガで食って行こうと決めていたのはすごいことです。しかも、お二人とも母子家庭。そういうのもあり、意気投合して、漫画家になる!という強い気持ちがドラマで描かれております。

NHKの昔のドラマですが、これが、なかなか面白いです。
昔は、手塚先生に手紙を書いたら、熱意のあるファンや才能ある若者に返事を書かれていたのですね。藤子先生も、たぶん、熱い思いで書いたと思うのですが、ここで手塚治虫先生より、お返事がきまして、いそぎ上京。しかし、手ぶらで行くにはもったいないので、自分たちで書いたマンガを持ち込みます。これは実在する漫画UTOPIA 最後の世界大戦(1953年)です。

上京した2人は最初に大きな出版社にこの原稿を持ち込みます。
編集者にかなり感動されるのですが、当時のマンガの読者は小学生(1年生~4年生くらい)。UTOPIAは、今でいえば青年マンガに近い作品で、大人でも読み応えのある話です。ですので作品はいいけれど、雑誌に載せるスペースが無いと残念ながら断られてしまいます。この時、断ってしまった出版社は、もったいないことをしてしまいましたね😂

このあとトキワ荘にいき、神様(手塚治虫)にいきなり会い興奮状態。しかし、その後に、新作本のボツ原稿の山を見て絶句します。その場で全部読み、めちゃめちゃ面白いのに、ページ数の関係で大量のマンガがボツになっていることに驚いたのです。

さらに、出版社の原稿取りが14号室にやってきます。
しかし、手塚先生は居留守を使い回避(笑)。当時ものすごい連載を抱えていた手塚先生はそのまま徹夜の作業に突入。今思うと、ブラック労働の極みとも言える状態ですが、これが週刊連載を多数抱える人気漫画家の実態だったのでしょう。すさまじい💦

という流れで、青春群像ドラマともいえる藤子不二雄先生の漫画家へのスタートが繰り広げられていきます。

現在は、全15話で9話まで公開されており、残り6話はいつやるか未定との事。朝ドラのように、1話20分程度で短いですので、興味のある方は見ると思い白いです。ドラマのセットも撮影した時期が昭和なので、ノスタルジックな感じそのものです✨

なにより『藤子不二雄先生』お2人のマンガへの情熱が熱いですね~😆


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