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少しづつ子供に戻りたいという話。

 子供の頃に比べて感性が衰えた気がする。昔より何かに感動したり、喜怒哀楽を感じ得ることが少なくなった。毎日仕事に追われ、家に帰れば風呂を浴び、布団に入り寝るだけ。そうやって過ごしていくと日々はあっという間に先へ行ってしまう。何かに浸るような感覚も、夢中になるような時間も、なにも無い。

 大人になれば自由な時間とお金ができて、たくさんの人と出会い、仕事やプライベートの時間を楽しむものだと勝手に思っていたが、実際社会人になってからの私は真逆の日々を送っている。唯一の楽しみと言えば週末に特定のバーに飲みに行き、いつも会うお店の人や、名前もあやふやな人たちに会って会話をすることだけだ。上京してきた地元の友達とはほとんど休みが合わず、なかなか遊ぶことがない。だから寂しさを紛らわすためにお酒を飲んでいる。私が思い描いていた大人の像とはまったくもって違う形となってしまった。

 こうやって生きているうちに、何かを失っている気がして私はふと、昔の自分を思い出してみた。学生の頃はほぼ毎日のようにバイトに勤しみ、たまったお金で友達と遊んだり、好きな本や漫画、CDやレコードを集めたり、2.3か月に一回は好きなバンドのライブに行ったりなど、忙しいながらも充実した日々を送っていたし、毎日を必死に楽しもうとしていた。もう少し幼いころで言えば、小中の私は毎日自転車で山を越え学校へ行っていた。標高800mほどの山の中で育った私は、登校中の山の景色や、空気、虫や鳥の鳴き声を楽しみながら生きていた。春になれば桜の花が舞うグランドで友達と遊び、落ちた花びらで花笛をし、夏になれば近場の川で友達と虫を取ったり、バードウォッチングをしたり、魚を捕まえたりなどして遊んだ。秋になれば紅葉した葉が舞う中、葉っぱを追いかけて走り回ったり、夕暮れで橙色に染まって輝くトンボの翅を眺めたりもした。冬になれば降り積もった雪でかまくらを作ったり、友人と炬燵で温まりながら本を読んだりした。朝起きて感じる日の匂いや、雨が降る前の独特の匂い。夏の夜の蛙の大合唱を背に、扇風機から来る生暖かい風で寝る。夕日を吸込み黄金色に輝く稲穂。積もった雪に残る小鳥の足跡。一生かけても数え切れぬ数の星が浮かぶ、紺色の夜空。それらすべての美しさや、情緒に私は常に感動し、四季を、毎日の楽しさを、一つたりとも逃さぬように私は生きていた。

 今の私はどうだろうか。昔の自分のように一つ一つの出来事に何かしらの感情を抱けているのだろうか。言葉にできないほどの美しさや、感動を感じているだろうか。今の私はあの頃のように、何でもないような事に感動したり、涙を流したり、喜びを感じたりしない。どちらかと言えば仕事に対する怒りや、辛さ、人間関係の苦しさなどの負の感情ばかり感じてしまっている。そういった負の感情を無くそうと、お酒を飲み、限界まで自分の体を活動させ、死んだように眠らせる。眠ってる間は何も考えなくてもいいから。

 私が中学校の頃に、何度も繰り返して読んだ本を久しぶりに読み返した。まるで宝石のような美しさをまとった文は、当時の私を夢中にさせた。学年が上がって言葉の理解が深まるたびに、その本は美しさを増した。重要ではない文の中の一言でさえ、私にとっては魅力的なものだった。そんな素晴らしさが詰まった本なのに、今の私は「いい話だった」という感想しか出てこない。昔の私の方がよっぽど抒情的な感想を抱いていたはずだ。

 大人になるってこうなんだろうか。昔より気持ちを表す言葉だって、何かに例える知識だってあるはずなのに、何も思い浮かばなくなってしまった。私はいったい大人になって何を得たのだろうか。こんなにも失うものが多いものなんだろうか。

 それならば私は大人になるより少しづつ子供に戻りたいと思った。

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