見出し画像

長編小説『くちびるリビドー』第1話/1.もしも求めることなく与えられたなら(1)←全文無料公開中♪

「私がウニみたいなギザギザの丸だとしたら、恒士朗は完璧な丸。すべすべで滑らかで、ゴムボールのように柔らかくて軽いの。どんな地面の上でもポンポン弾んで生きていけるし、水の上ではプカプカ浮くことだってできる。それに比べて私は、ところどころ穴だらけで、形も微妙に歪んでて、ギザギザの棘だって見かけだけで実際は簡単にポキっと折れちゃうし。そのくせ『きれいな水の中でしか生きられな~い!』とか言っちゃって、とことん自分が嫌になる」//この“満たされなさ”はどこから来て、どこへ向かっていくのだろう……。あの頃、私の頭の中は「セックス」と「母乳」でいっぱいだった。



くちびるリビドー


湖臣かなた




〜 目  次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


1

もしも
求めることなく
与えられたなら


(1)


 私の場合、そのモチーフには不思議と『歯』が選ばれる。
 ずるずると手繰り寄せた夢の先、それは誰かに向かって話しているとき突然ボロリと抜け落ちてきたり、咀嚼する食べ物の中にゴリッと不意打ちで混ざり込んでいたり、息もつかせぬ不快さで向こう側の私を縮み上がらせる。ほかの登場人物には一切伝わることのない、主人公である私にだけ刻まれる地味だけれど確実性のあるサイン。
 そこに痛みが存在しないだけマシだとしても、あの感触(たとえば殻の入った玉子焼きや砂抜きに失敗したアサリなど、知らずに口にしたときのあの食感)に虫唾が走るほどの嫌悪感を覚えてしまう私にとっては、もはや立派な「悪夢」なわけで……。

 目覚めた私は、その厭わしい感触を振り払おうと上下の歯茎に沿ってすぐさま舌を走らせる。――大丈夫、ちゃんとある。ぐらぐらしている歯もない。
 そうやって、まずは迅速に確認行動を終えること。そして瞼の向こうをチラチラ浮遊している夢の残像から、ベリリと意識を引き剥がす。
 しかし、それでも私の中のどこかには微かな怯えが残り、それは何度味わおうと慣れることのできない知らぬ間に口の中が滅んでいくような静かなる恐怖と結びついていて、形を変えては忘れた頃にやって来る。
 おそらくは、ここ数年。なぜか頻繁に現れるようになったこれらの夢を、こんなふうに意識するようになったのはごく最近のこと。今の私はまだ、無意識から繰り返し送り込まれてくるこのメッセージを正確に受け取れきれずにいる。

 だから、なのだろうか? さっきもまた『歯の夢』をみていた。
 ころんと靴下ごしに察知した、足元に転がっている小さな白い物体。拾い上げるとそれは誰かの歯で、私は(いかにも夢の中っぽく)鈍く、それが自分の一部を成していたはずのものであることになかなか気づかない。「ん?」とスローモーションのように時間が流れ、ひらりと理解が舞い降りたときにはもう(それは唐突に訪れる)、唖然としたまま打ちのめされている。
 だけど本当は、最初からわかっていたのかもしれない。
 そこにはまるで用意されていたかのような「諦め」があって、私は手の平の上に鎮座する真っ白とはいえない物体をまじまじと見つめながら、抗うことなくその事実を受け入れている――……。

 ……と、うっすらとした尿意に呼び覚まされ、いつの間にか自分が眠りの狭間を浅く漂っていたことを知ったのは数分前の話。そして今、トイレの中で早朝の冷えた空気に尻をさらしながら私は、いつものように丹念に舌先で歯の裏側をなぞりつつ、ひとり記憶を巻き戻している。
 蘇るのは数時間前の私たち。「やっぱりこの夢は、恒士朗へのモヤモヤとした気持ちが関係しているのだろうか……」なんて考え、どこかに吹き飛ばしてしまいたいのに。


 コチ・コチ・コチ・コチ……。
 秒針の進む音が妙にくっきりと耳に届く。
 もう確認する気も起きないけれど、時刻はとっくに深夜三時を回っているはずだ。
 この部屋で一人暮らしをはじめて、もうすぐ二年。私の仕事が休みの日には、会社帰りの恒士朗と一緒に夕飯を食べることが定番の過ごし方になっていて、祖父母と暮らす彼がうちに泊まっていくこともすっかり多くなった。彼の仕事が早く終わりそうなときは待ち合わせをして外食し、忙しそうなときには私がごはんを作って待っている。恒士朗が休みの日には、うちで私のために腕をふるってくれることもある。
 二十六歳の私と、二十八歳になったばかりの恒士朗。私たちはほとんど喧嘩をすることもなく(怒ったりいじけたりするのはいつも私。彼が感情的になっているところなんて、まず見たことがない)、まるで老夫婦のような落ち着きっぷりで、かなり仲良く過ごせていると思う。彼にとっての自分がどんな存在なのかはいまいちよくわからないけれど、私の中では隣に居てこんなにも安らげる人、彼以外には考えられない。
 だけど、いつからだろう。
 最近の私は、恒士朗と一緒の夜はどうしてもうまく眠りに辿り着けない。
 そして抱き合うたび、眠りは私からどんどん遠ざかっていくような気がする。
 相変わらず、今夜だってそう。冷えた空気と闇に降り積もる静寂は、この世の片隅に置き去りにされたような私の虚無感をいっそう確かなものへと凍結させていく。
 唇を合わせただけの子どもじみたキスも、胸を撫でる乾いた手の平も、浅く挿し込まれた指先も、無骨に淡々と私の表面を通り過ぎるだけ。重なり合う肌の向こうには、いつもと同じ手順でやさしくスマートに果てていく彼がいて、こちら側には八方塞がりの欲望を抱えたままの惨めな私。いつものように「こんなんじゃ全然足りないよ」なんて心の中で吐き捨てながら、怒りにも似たやりきれなさの底へと打ち沈む。

 ――結局、テクニックしだいなんじゃないか?
 ――男はズルイよ。わかりやすくゴールが設定されてるんだから。

 そうして気づけば、またここ。無垢な顔で眠る彼の横で、カラカラと私の思考回路が自転をはじめている。
 問題は彼のテクニックの無さにあるのか、それとも私の心の奥底に潜んでいるのか。
 そんなことを考えるのはもう飽き飽きしているはずなのに、今夜もまた虚しい自問自答の輪に取り込まれている。

 どうして抱き合えば抱き合うほど、私の中の何かは枯渇していくのだろう。
 私たちの間からセックスさえ消滅してくれれば、彼は最高の恋人なのに――。


 街中が赤やピンクのハートで埋め尽くされる季節に便乗して、思いきってチョコレートを選び、渡した。ちょうど五年前の冬だ。
 緊張もあったけれど何より胸が高鳴って、彼の名前を知ることができたあの日から、こうなることは「決まっていたこと」のように思えた(だけど私が動かなかったら、きっと何も起こらなかったに違いない)。
 そうしてなんとか交際をスタートさせることになった私たちは、ふたりとも、お互いが初めての恋人だった。
 だから彼との相性を(いわゆるカラダの)ほかの誰かと比較検討することなんて私には不可能なのだけど、それにも関わらず「合わないんだろうな」ってことは薄々感じてきた。思えば初体験のときから、私たちは濡れず入らず、成功に至るまでには数ヵ月もの期間を要したのだ。
 私は無知で純粋な処女だったし、彼はそんな私を思わず冷めた気分にさせるほどの知識と技術しか持ち合わせていなかった。そしてそれは今もほとんど変わらない(ムードもなく、どこまでもぎこちなく、たとえば「キス」一つとっても恒士朗のそれはあまりに淡白で――別に潔癖症ってわけでもないはずなのに――いつだって私は、まるで自分が小さな男の子に「チュー」を贈られているかのような素朴な気分へと引き戻される。……うん。全然エロくない。むしろ母性全開になる。まったく求められてる気がしない。本当に恒士朗は、キスの延長線上にすら何も想定してないんだね……)。

 だけど二十六歳になった私の肉体は、勝手に大人のメスとしての自覚を芽生えさせ「あなたは現在、妊娠・出産に最適なときを迎えています。さぁ早く、健やかな精子をゲットしなさい」なんて声を強めてきている。
 その本能が発するメッセージに気づかぬふりしたまま、上昇気流に乗せられてしまったような性欲をうんざりと持て余しているのが今の私の現実で、「こんなセックスじゃ、私は一生満たされないよ!」というのが密かなる心の本音。そして馬鹿みたいに「ほかの人としたら、どんな感じなんだろう……」なんて妄想を膨らませている。
 だって男の人に求められるって、本当はこんなもんじゃないはず。好きな人に「全部知りたい。全部丸ごと食べちゃいたい」って夢中で全身くまなく調べあげられたら、頭真っ白になって壊れちゃうくらい大変なんじゃないの――?
 あきれるくらい、そんなことばかりが内側を駆け巡る。
 きっと相手が恒士朗である限り、この想いは爆発し続けるのだろう。
 それなのに。目の前の恋人に手を伸ばすことをやめられずにいるのはいつだって私のほうで、抱き合うたび、その不器用さも埋まることのない不一致感も、もう嫌ってほど思い知らされているのに……こうして懲りもせず求め続けては「どうして私を欲してくれないの?」「これじゃまるで私に何の興味もないみたいだよ」なんて冷ややかな虚しさばかり募らせている。
 そう、つまりは「してもらう」ことばかり期待しているのだろう。
 何一つ言葉にしなくとも、巧みに私を満たしてくれる存在を、そんな瞬間が与えられることを――勝手に夢みては、勝手に期待し、勝手に裏切られたような気になって。
 だからって、もしも私が「もっともっと体のあちこちに触って欲しいんだ。指先で、手の平で、唇で。そして耳元で『好きだよ』って、たくさんたくさん囁いて欲しい」なんて幼稚な願望を素直に口にすることができたなら、こんな私にも「満たされる瞬間」が訪れるのだろうか。


 こうして冬の間ずっと、まるで性欲とは無縁のような彼との関係について不毛な考察を続けた結果、私はどうしてか『母乳』のことばかり思い浮かべるようになっていった。


          *


「とにかくよく泣く赤ちゃんだった」
 それが幼い頃から何度も母から聞かされた、嬉しくもないエピソードの一つ。
 だけど、赤ん坊の私にどうしてそんなにも泣く必要があったのかについて、母が何かしらの見解を示したことは一度もないし、そもそも「赤ちゃんは泣くのが仕事みたいなもんだからね」という一言ですべてを解決できてしまう彼女にとっては、私の涙の理由など、当時から何の疑問にものぼらなかったのだろう。
 二十歳で私を産んだ母はお乳の出がとても悪く、赤ん坊の私が乳首を口に含んでも毎回おっぱいはほとんど出ず、いつも私は真っ赤になって泣いたらしい。
 そんな記憶、幸いにも私の意識の中にはいっさい残っていないのだから(ほとんどの人間が赤ちゃんの頃の記憶を持たないのには、何か特別な意味でもあるのだろうか?)、こうして母によって後付けされない限り、この悲しいエピソードが私の脳裏に刻まれることなどなかったはずなのに――。
 思い返すたび、不可解さが込み上げる。少なくとも私は「私って、どんな赤ちゃんだった?」などと積極的に昔話を聞きたがるような子どもではなかったし、母が悪気なく語る私についての定番エピソード(それは私にとって好ましくないものばかりだった。どうせなら、もっと心温まる話を聞かせてくれれば良かったものを……)を耳にするのも、正直言って嫌いだったのだから。
 しかし多くの場合がそうであるように、いつだって子どもの側には選択権などほとんどなく、私もそのときどきに一方的に与えられた(もしくは与えられなかった)もので精一杯、自己を形成していくほかなかったのだろう。
 その結果、大きくなった私が「こんな間接的な記憶、たとえ大事に持っていたとしても言葉にならない苦々しさを引き起こすだけで、何の役にも立たないよ」と思うようになったところで、すべてはきっと手遅れで、今さら「なかったこと」になどできるはずもなく、だけど私はもちろんそんなこと知りもせずに、不本意な思い出などまるで有していないかのような顔をして完全無視の姿勢をとったまま……生きてきたというわけだ。

 それなのに――(というのが心情だけど、正確には「案の定」なのかもしれない)。
「たっぷりの母乳で育ててもらえなかった、泣いている赤ちゃん」という情景は、いつしか私の中でタロットカードのようにシンボル化され、まるで透明なガラス瓶に収められた一枚の絵葉書のように、無意識の水底へと沈み込んでしまうことなくぷかぷかと、その水面を漂うようになっていた(イメージは湖と空。私の中には「無意識」という底の知れない湖があり、その上には「意識」という空が広がっている。深く潜るほど、湖の中は光の届かない未知なる領域と化し、空にはたいてい灰色がかった雲が浮かんでいる。もちろん、スッキリと晴れ渡ったクリアな空をいつだって望んではいるのだけれど)。
 もしかしたら『母乳』というキーワードだって、本当はもうずいぶんと前から湖面ギリギリのところにまで浮上し、境界線の狭間で揺れながら、私の意思とは無関係にこの意識の端をかすめるようになっていたのかもしれない。
 たとえば、そう……女性誌のインタビュー記事などで子育て中の女優やモデルが「やっぱり母乳で育てたくて。おっぱいマッサージ、がんばりました」とか「母乳をあげるようになって、私自身の食事への意識が本当に変わったんですよ」などと話しているのを目にしたとき。自分の中で何かがざわっと反応を示すことに、おそらく私は長い間気づくことなく過ごしてきたのだと思う。そこには、無自覚のまま「ですよね~。どうせ私は、ほとんど粉ミルクでしたよ」などと毒づいては、まるで幼い子どものようにいじける私がいて、だけどそんな気持ちがどこからやって来るのか――私は相変わらず、考えたくもなかったのだろう。



画像1


第2話へつづく



Copyright KanataCoomi All rights reserved.

ここから先は

0字
note版は【全20話】アップ済み(【第1話】は無料で開放&解放中☺︎)。全部で400字詰め原稿用紙270枚くらいの作品です。ここでしか読めない「創作こぼれ話」なども気ままに更新中☆ そして……やっぱり小説は“縦書き”で読みた~い派の私なので、「縦書き原稿(note版)」と「書籍のPDF原稿」も公開中♪ ※安心安全の守られた空間にしたいので有料で公開しています。一冊の『本』を手に取るように触れてもらえたら嬉しいです♡ →→→2020年12月22日より、“紙の本”でも発売中~☆

「私がウニみたいなギザギザの丸だとしたら、恒士朗は完璧な丸。すべすべで滑らかで、ゴムボールのように柔らかくて軽いの。どんな地面の上でもポン…

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆