「平成」と「令和」の挟間に、思考と感情を漂わせて。

やっぱり私は、書いていないとダメなのだ。心のバランスが保てなくなる。物理的にも、エネルギーバランスがおかしなことになってしまう。そして何より――と今一番に思うのは、“「謙虚さ」が失われていく”ということ。
そう、「謙虚さ」。私はこれを「書く(創作する=物語を綴る)」という行為の中で学んだ。いつの間にか自然と感じられるようになってきた・なっていた。そしてこの「謙虚さ」が、日々を生きる上でどれだけ私を“よい感じ”に保ってくれていたかを、創作の日々から離れるたびに痛感させられる・させられている。

なので、今日は久々に「書く」をしよう。この思考がどこに私を運んでいくのかなんて考えず、ただ黙々と、思いのままに言葉を打つ。綴る。
(そうすればまた「今日」を生き延びられるだろうことを、私の意識は“知っている”と言う。“だから書け”と指令を送る。私はそれをこうして受け入れる。自由。そうだ、せっかくこうして自由を生きているのだから、その“時間”をこれに使う、捧げる、選ぶ、実行する。そうして今ここ。ここに“いる”限り、私は「無」から解放される。それも知っている。)



2019年4月29日(月・祝)「昭和の日」。そして明日30日が「平成最後の日」で、あさっての5月1日が「令和最初の日」だなんて、あまりにパーフェクトな流れすぎて、なんだかわくわくしてくるね……。と、朝、布団の中でぼんやりと→はっきりと思っていた。たぶん圧倒的に車が少ないせいだろう、いつもより静かな街の気配に耳を澄ませながら、そして「今年のGWも相変わらず何の予定もないや……」なんて虚しいような平和なようないつもの気分に包まれながら、新しい時代がやってくることを「こわい」とか「さみしい」とか思うことは一切ない自分を確認し、なんらかの“変化”をいつだって待ち焦がれている自分に「おはよう」を告げて。
つまりは、“かなり静かな”いつもの朝、なのだろう。相変わらずここには、何の“変化”の予兆もない。ただ『元号』が変わろうとしているだけ……。


(うん。何を書きたいのか、自分でもわからず書いてます。)



長いな……。とにかく長いんだ、このフェーズ。
このマガジンのタイトルを私は『私は今、夜明けを待ちながら。』としたのだけれど(最初は違うタイトルだった。途中で変えた。しっくりきた)、

そして「待ってるだけじゃ現実は動かない、動く可能性すら生まれない」とこうして綴ってきたわけだけど、
いいかげん、やりたいことに愛をもって全力投球すれば、生きていける、つまりは「生活」していけるって時代が来てもいいんじゃないか???




「効率」を重視することで、結果、いろんなことが遅くなる。遠ざかる。


本当の、一番の、自分の中の「真実」に手を伸ばすこと・伸ばそうとすること、それをつかむこと・つかもうとすること、そして叶えるため・実現させるために時間を……じっくりと、たっぷりと、「時間」を注ぐこと、捧げること、つまりはそれを「生きる」こと。

それはこんなにも“目先の豊かさ”から人を引き離すけれど、本当の、自分にとっての“真の豊かさ”を追い求めようとするならば、たとえどんなに「効率」が悪かろうと、信じて、信じ抜いて、決してその手を離すべきではないのだと――今あらためて(この、どんなにGWのニュースにわく・わかせようとする社会の洗脳に絡め取られないぞと思っていても、やっぱりどこかで?明らかに?影響を受けているこの日々に……)声を大にして、いや、こうして静かに「文字」にして、自分自身に言ってあげたい。

勇気を、励ましのエネルギーを、贈ってあげたい。


だって、その先――叶えた先には、すべてが叶う(手にできる)「♡ALL OK♡」の世界があるんだってことを、そう、そのことまでもを私は貪欲にヴィジョンの中に入れてあるから。
だから今ここで踏ん張って、踏ん張り続けて、チャンスが来たら躊躇うことなく飛び乗る、飛び移る。その用意を、重ねていく。磨いていく。

いつだって自分の可能性に、未知なる無限の未来に、自分をひらいておく。

そして心が少し弱くなるたびに(それは「信じる力」がダウンすることとは違う。「信じる」はもう、いちいちそれを確認することを必要としない感じで、“ここ”にある)、こうして取り戻す。そのためには、私は「書く」のが一番で、結局「書いて生きる」ために、どこまでも「書いて励まして」いるのだなぁ……。


「効率」を重視していたんじゃ、こんな時間の使い方・生き方はしていられないはずだ。目先の欲望を、小さな・中途半端な欲望を、たくさんの小金を使って消費して、そのために消費されてることには蓋をして、そうやって目先の豊かさに包まれて生きて、自分の中の真実を見ることなく・問うことなく、死んでいくのだろう???(もちろん私はそれを否定しない。そっちの方が簡単&確実に「幸せ」を味わえると思う。本気で思う。ただ自分では「選ばない」ってだけだ。なぜか?  それは「人生かけて取り組みたいこと」を問い続け、ついにそれを見つけたから。そう「信じて」いるから。/さらに、上手に「両立」させられる人もいるのだろう。だけど私は「100か0」の人間だ。そういう自分の性格を、受け入れ、あきらめ、手放している。自分のやり方を、尊重している・させてもらってる。)



だから、どんなに道が長く険しくとも、呆れるほどに「効率」が悪くとも、
自分にとっての“真の豊かさ”をペロリと丸ごと全部おいしく味わいたいのであれば、そういう世界を本気で見たい・生きたいのであれば、

まずは覚悟を決めた人から、こうして体現していくしかないじゃないか!?



そしてこの先に、個々の「夜明け」があることを。
貪欲に信じ、生きる。今日もここを、生き延びる。




おまけの追記メモ。


“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆