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頑張れば不満

頑張れという言葉が、昔から嫌いでした。
割と簡単に、私たちは頑張れという言葉を口にしてしまいますが、相手が頑張っていた場合、その言葉は相手を追い詰める刃物になると思うのです。


私は運動音痴で足が遅くて、運動会の徒競走ではいつもビリでした。アナウンスは決まって、最後に走っている人に
「○組、頑張ってください」
と繰り返しました。
私はいつも思っていました、頑張ってこれなんだからもう頑張れないよ、って。
ゴールして並ばせられる時、とても不満でした。
頑張っているのに頑張れと言われ、ビリなんだからと言わんばかりに乱暴に腕を引っ張られ、砂埃の中で整列させられるのが不満で仕方ありませんでした。


頑張れという言葉がうつ病の人には禁句、ということはもうかなり知られていると思うのですが、どんな人にも禁句のように私は思います。


人間、頑張りたい時には何も言われなくとも頑張るのです。だって、好きなことを無理にしている人っていないじゃないですか。頑張りたくない時には、何か絶対に無理をしていると思うのです。
だから私は、最低限のこと以外に関しては、頑張らないことをもっと大事にしていいと思います。


最低限しなくてはならないことをしたら、頑張りたくないことを無理に頑張らないでいいこと。頑張りたいことを頑張って、社会に貢献すること。
皆がそうあるのが、あるべき社会の姿なんじゃないかなぁって、そんな気がするのです。
頑張らないことも時には重要です。頑張り過ぎないのも、一つの能力です。だって、頑張りすぎるのは意外と簡単で、手を抜くべきところで上手に抜くのも才能だと思うから。


とりわけ、心が弱っていたら頑張るなんて無理だと思うのです。
だから、頑張れって言いたくありません。言うべきことが見つからない時に、安易に頑張れなんて言いたくありません。
それよりも、頑張ってるね、って認めてあげられる自分でいたいと、そう願います。



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