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【チェンマイ】クラニオはいいな

クラニオバイオダイナミクスのクラスが終了した。

今回のチェンマイではこつこつ日記を書いていきます!
と、宣言してみたのはいいけど、
いやー。
書けないよね!クラスが始まると!

私がクラニオを学んできたローズマリーのクラスでは、知識や理解を深めたり技術を学ぶことももちろんだけれど、それ以上に一人ひとりのプロセスを進めることをすごく大切にしている。

プロセスとは、生きてきた文化や環境の中で身につけてきた制限や思い込み、条件付けを手放して自由になっていくこと。本来の自分にもどっていくこと。

ファシリテーターとして誰かのプロセスをサポートでするためには、自分自身のプロセスを進めていくのがすごく役に立つ。人は、自分自身にゆるしているスペースと同じだけのスペースしか相手に提供できないからだ。

自分が自分でいることをほんとうにゆるしている人は、そこにいるだけで人に自由を与えることができる。
私はそれを、ローズマリーに出会った時に体を通して実感した。
 
制限や思い込みを手放していくことは、こわかったり、痛みをともなうことが多いし、自分の見たくない部分を見なくてはいけなかったり、感じたくないことを感じなければいけなかったりする。
ほんとうはいらないものであっても、その時は生き抜くために一生懸命に身につけてきたものなのだから。
だから、自分を自由にしていくプロセスは、時にものすごくしんどいし、勇気がいる。

でも、私たちはみんな、そのための力と体の知性を兼ね備えている。

体というシステムを知れば知るほど、その精巧さと完全さに驚く。
そして、どこまでも自分を破壊し歪めることもできれば、いつでもどこからでも変容し、進化し、ひらいていく可能性も秘めている、人間って、自分も含めて、なんてやっかいで興味深くて美しいんだろう、と、心から思う。

そんなプロセスががっつり起こるので、これまでは毎回、クラスに参加するたびに今までこれが自分だと思っていた輪郭ががらがらと崩れ、柔らかく頼りない絹豆腐みたいな気持ちになっていた。

二年前に最初にTHREE(レベルではないのだけれど、ONE、TWOと来て今のところ最後のクラス)を受講した時には、豆腐をさらに床に落としたようなぐちゃぐちゃな状態で、息も絶え絶えになった。
その直後に日本で講座を開催して通訳したりしていたのだから、あれは自分に対してすごい無茶振りだった。でも、いろいろな意味であの時じゃないとできなかったし、あの時に起こるべきことだったんだとも思う。
 
今回のTHREEの再受講でも、やっぱり自分の内側がたくさん揺さぶられて、夢は毎晩見るし、体も勝手に動くしで、大忙しだった。おかげで外に向けた日記を書く余裕まではなかったのだけれど、豆腐にはならずに人間のまま六日間を終えることができた。
輪郭をぜんぶ崩して再編成しなくてもいいくらいには本来の自分に近くなってきたのかもしれないし、クラス期間中も周りに流されないで自分の中で何が起きているのか、何を感じているのかに意識をおいておくことができたからだと思う。
この二年間で少しは成長してきたんだなあ、と、我ながら感慨深かった。

そして、二年近く会わなかったクラニオチームのみんなも、今回また一緒にクラスをとることになった最初の頃からのクラニオ仲間の友人も、ひさしぶりに再会したらお互いの変化や成長が感じられておもしろかった。

すべてはいつでも変わっているし、動いている。
自分も人も、関係性も、状況も。
時間をおいてみるからこそ、新しく見えてくるものや、変容がある。

そんなふうに、クラニオをする時みたいに、人のかかわりや人生の流れとともにあることができたらいいなと思う。無理に何かをしようとせずに、でも意識を向けて、必要な時間を与えて。

ローズマリーの伝えてくれるクラニオは、私にとっては生き方そのものだなあと改めて思った。

これからも、人に、世界に、自分に耳を傾け、「聴いて」いきたい。そして、その可能性がひらいていくのを見ていきたいと思う。

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いつもクラスにいてくれる、フラワーベアとスカウスマウス。
ひさしぶりに会えて嬉しかった!

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