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連続テレビ小説『花子とアン』でみる英語教育 vol.1


グッドモーニング✋
グッドアフタヌーン✋
グッドイブニング👐


はなが最初に出会った英語。東京に向かう汽車の中で、おとうやんがジェスチャーつきで教えてくれた。

現在平日の夕方に再放送している「花子とアン」
これにハマっている。今更ながら。

花子とアンのあらすじを簡単に。

「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の明治・大正・昭和にわたる、波乱万丈の半生記です。山梨の貧しい家に生まれ、東京の女学校で英語を学び、故郷での教師生活をへて翻訳家の道へ進んだヒロイン・花子は、震災や戦争を乗りこえ、子どもたちに夢と希望を送り届けます。(NHKドラマ)


この朝ドラにハマったのは、主人公の花が英語を通して人生を大きく前に進めていたからだ。


百姓の長女として生まれた「はな」、父親がきっかけで東京の女学校に給付生として通うことになった。日本語の読み書きすらできなかったはなは、日本語だけでなく英語までも習得し、地元の小学校で教職に就くプロセスには驚きだった。

彼女は、日本人英語学習者及び小学校外国語授業を行う教員の参考になることに気がついた。

「花子とアン」を観て感じた英語学習・英語教育について、いくつか記録しておきたい。


今回は、


日本人英語学習者としてのはな。


彼女は、英語はもちろん日本語の文字にも慣れ親しんでいない家庭環境にあった。


初めて小学校の教室に入った花は、担任の先生に「あそこの机に座りなさい」と言われて、机の上に正座した。


言語が恣意的であることがよくわかる場面だった。


そんな花は、父の薦めで東京にあるミッションスクール「修和女学校」(東洋英和女学院がモデルらしい)に編入させられた。

寄宿舎で他の女学生や先生たちと生活を共にする中で、はなの日本語力及び英語力は伸びていった。



なぜ、日本語もままならなかったはなが英語をマスターすることができたのか。



はなは、英語を2つのタイプで学んでいた。


① 英語「を」学ぶ。


英語の授業では、ブラックバーン校長が考えた、1日の行動を描写する50のセンテンスを読み上げたり、英文学の精読などが行われいた。


これは、伝統的な文法訳読法が用いられた授業と推測できる。はなが想像を膨らませて訳した文章は、先生に全く受け入れられなかった。


英語を「言語」として「教科」として学ぶ。日本に住んでいて、日本語で不自由なく生活できる環境であったら、英語はあくまでも「オプション」である。


今の日本の英語学習環境とさほど変わらない気がする。今の方が、グローバル化のため英語の必要性を国全体で意識し、英語が話せる日本人の育成に力を入れているように思える。しかし「英語を話せる人はすごい」という風習は変わっていないと思う。英語は未だ「オプション」である。



② 英語「で」学ぶ。


学校や寄宿舎にいる間、カナダからきた教師たちによる英語のシャワーを浴びる。

朝起きても、学校で授業を受けていても、学校が終わって寝るまで、どこかしらで英語を話す書く機会、または英語を読み聞く機会。

はなが特別気に入っていた場所は、図書館。英語の本しか置いていない。はなはある出来事をきっかけに読書に夢中になる。そのおかげで英語をマスターしたのだ。


言語習得のプロセスとして、まずは大量のインプットが必要になる。はなは、英語のシャワーを大量に浴び、知らずのうちに英語でアウトプットできるようになった。


はなが翻訳家として活躍できるようになるまでの英語力を身につけたのは、イマージョン教育(英語で何かを学ぶ)だけでなく、文法訳読法のような演繹的学習の効果もあったのではないかと思う。


例えば、はなが英語で本を読む時、必ず辞書を引く。完全に感覚的に英語を学んでいたのではなく、分からない単語は日本語を介して習得していた。


詳しい言語習得プロセスは描かれてはいないものの、英語「を」学ぶことと英語「で」学ぶことどちらの重要性も感じた。


はなを見習って、英語学習頑張ろう。



画像引用:https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=hanako

やっぱり本を読む人は賢くなる。ちゃんと本読もう。


#ドラマ感想文 #ドラマレビュー #朝ドラ #花子とアン

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