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【キャリアインタビュー】京子さん

帰国子女。四大卒業後、日系の大手メーカーに就職。海外マーケターとして、海外を飛び回る忙しい日々を送っていた足立京子さん。勤続10年を超え、順風満帆に見えたキャリアを中断し、2019年夏よりコロンビア大学大学院への留学を果たします。

安定したキャリアを手放し、なぜ彼女はそんな選択をしたのか?その決断の裏にはどんな気持ちの変化があったのか?コロナによる厳しい外出制限の真っ只中にあるニューヨークから、オンラインインタビューでお話を伺いました。

「やりがい」との出会いは偶然に

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上記のキャリアを見ると、学生時代からバリバリのキャリアウーマン志向だったように思われるかもしれない。だが意外にも、最初の仕事選びに「自分の考えはなかった」と京子さんは振り返る。

「内定もらわないと!」と必死で。
とりあえず大手という思考が敷かれてしまっていて、まず商社を受けてダメなら次はメーカーを…という具合に、就活を進めていくものだと思っていました。
今思えば、迷いながらも就活サイトや攻略情報に捉われてばかりで、自分の考えが無かったな。「将来何がしたいのか?」なんて考える余裕も無かったです。

そんな中で内定をもらったのが、大手メーカーの医療事業部門。配属となったのが、海外マーケティングのポジションだった。

もともと英語は得意だったので、それを活かせるポジションを希望していました。でもマーケティングは、大学で勉強していた分野ではなく、配属されて初めて触れました。
最初の1〜2年は仕事を覚えるのに必死だったけど、社会人3年目くらいから、だんだんマーケティングの仕事の奥深さを実感して。じわじわと目の前の仕事の面白さが分かってきたんです。

最初の配属をきっかけに、やりがいのある仕事に出会えた京子さん。「専門性を高めたい」これが京子さんのキャリアの1つ目の軸となっていく。

だが一方で、この思いが会社の制度とぶつかることになる。

ジョブローテーションとの戦い

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日系の大手企業なら多くが当たり前の慣習としているジョブローテーション。一般的に、社内の人員配置のためだけでなく、社内の様々な部署で経験を積むことでキャリア育成を目的として実施される制度だ。

類にもれず、京子さんの会社にもその制度があり、「専門性を高めたい」という思いと相反することとなった。

キャリアマネジメントシートという、自社内で希望する職務や部署を年1回自己申告する制度があったんですね。会社としては組織の中でより広範な知識を身につけて経験を積む順序や道筋を提出してほしかったんだと思うんですが、私はずっと今と同じ部署名を書き続けて。「中長期的な考えがないじゃないか」と呼び出されて注意を受けたこともありました(笑) 
せっかく仕事のモチベーションがあるのに、マーケティング以外の仕事には興味が持てなかったんです。 

自分の意思を主張するだけでなく、やりたい仕事を手放さないために、京子さんは様々な努力を積み重ねてきた。

新製品の導入時期など、時には絶対はずしちゃいけない重要な場面があって。そこは死ぬ気で頑張りました。休日であろうと旅行先であろうと、寝る間を惜しんで働いたこともありましたね。
社内の動きにも、目を配っていました。どこの部署が統合・分割されるらしいとか、あの部長が異動らしいとか、今の仕事を続けるためにはあっちの部署に動く方がいいらしいとか…情報を早く仕入れて、都度ふさわしい動きを取れるようにしていました。

努力の甲斐あって、会社の組織変更などで部署名が変わることはあったが、仕事内容は変わることなく、12年間、海外マーケティングとしてのキャリアを築くことができた。

ジョブローテーションは、色んな部署を経験すればするほどキャリアが豊富になるという考え方に立っている。一方で、京子さんが大事にしたかったのは専門性を伸ばすこと。

社内では王道から外れた珍しい存在だったのかもしれないが、この努力が次のキャリアへの足掛かりとなっていく。

海外留学を決断した本当の気持ち

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社会人留学と聞くと、さらなるキャリアアップを目指す印象を持たれるかもしれない。事実、京子さんもこれからのキャリアに繋がる方向性で進学を果たしているのだが、彼女が留学を決断した理由はそう単純なものではないようだ。

海外マーケティング一本で走り抜けて10年が過ぎた頃、京子さんにある気持ちの変化が起こり始めた。

マンネリ化してきちゃったんですよね…変わりばえのしない仕事内容や、住み慣れた東京生活にも。職場の人間関係に恵まれて、運良くやりがいのある仕事に思い切り没頭させてもらいました。ただその分、やり尽くした感覚になってしまって。
実は駐在の話もありましたが、それは遠回しに断ってきたんです。駐在先でのローカルな活動と、本社でのグローバルな活動を両方経験することに越したことはないけど、本社だからこそできる幅広いスケールの仕事に魅力を感じていました。
転職も一つの選択肢でしたが、生活圏や人間関係を含めて、もっと視野を広げるような環境の変化を求めていました。

さらに、様々な国の人たちと一緒に働く中で、現状に対する不安が芽生えていった。

「日本ヤバイ」と不安になりました。国際会議に出席していても、日本人は発言できず、存在感も示せないという場面を何度も見てきて。世界とどんどん差を付けられている状況で、この先も日本にいて未来があるのか?と疑問に思うようになって。
人生100年時代と言われて、自分で思ってる以上にこの先はきっと長いのかもしれない。このまま日本でこれまで通りに働いていても、海外で出会った人達と対等にやっていけるとは思えない…だったら海外に行くしかない!と強い危機感を抱くようになりました。

そんな不安は次第に強い危機感となり、そして大きな決断に繋がっていく。「海外に拠点を移したい」それが京子さんの2つ目の軸となっていった。

また、一緒に働いていたアメリカ人の同僚のほとんどが、MBAなどそれぞれの専門性の修士号を取得していたことも、京子さんへ大きく影響を与えた。

彼らと同等に働くには、海外大学での修士号は必須なのでは・・・?

こうして大学院留学を目指して舵を切る決断をした。その時すでに4〜5ヶ月という受験準備としてはあまりに短期間だったが、危機感は強力な原動力となった。持ち前の情報収集力・集中力・行動力をフルに活かし、京子さんは見事コロンビア大学大学院への合格を果たした。

環境の変化で見えてきた「かつての自分」

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(コロンビア大学の授業風景)

渡米後、京子さんを取り巻く環境は一変した。世界中から集まった聡明なクラスメート達、アウトプット前提の授業、そしてニューヨークでの生活。そんな変化の中で「今までどれだけ狭い世界にいたか、たくさんの気づきを得た」という。

その気づきの一つが、かつての自分の日本での働き方についてだった。

授業では様々な社会問題を取り上げるために、自国の文化や問題を共有する場面がある。クラスメートとのやり取りの中で、今まで自分を取り巻いていた世界が普通じゃなかったことを痛感する。

「日本人ってめちゃくちゃ働くんでしょ?」とクラスメイトに聞かれるくらい、長時間労働の印象は強かったです。でも、新卒一括採用・転勤・ジョブローテーションなどの終身雇用についてはあまり知られておらず、とても不思議がられました。
「成果を出せなくても仕事をクビにならないって本当なの?」
「そんな制度なのに、どうやって高品質な製品を作ってるの?」
「異動や転勤を断れないなんて、従業員は幸せなの?」
伝統的な日本の雇用制度を悪く言うつもりはないんですよ。私自身、家賃を一部負担してもらった時期もあるし、福利厚生の恩恵を受けたこともたくさんある。でも、ランチの話題は組織変更の予想とか社内の噂で持ちきりで、当たり前のように人事異動の情勢を追いかけてきたけど、海外ではそれが普通じゃないなんて思いもしなかったなと…
それに気づいた時に「今まで何やってたんだろう」と思いました。残業、飲みニケーション、ホウレンソウなど日本独特の働き方は、他の国の人からすると奇妙なものだった。私が所属していた日本の雇用制度は、非効率で仕事のできない日本人の特徴にもなり得る。クラスメイトが同情して驚くものは、全部かつての自分の姿だったんですから。

ネガティブなことだけではない。これまでやってきた仕事がとても貴重で、恵まれていたことも見えてきた。

クラスメートの職務経歴を聞いても、マーケティングの他にも、広報やPR、メディア、広告代理店、政府関係者、警察官、CIA、小説家など、本当に幅広い職種の方がいました。
ただ、クロスカルチャーで仕事をしていた人は、意外と少ないことに気づきました。私がやってきたことは、グローバル展開している日本の大手企業に入社したからこそできたことだったんだと。
グローバルとローカルの両方で経験がある人に聞くと「グローバルの方が、圧倒的にインパクトが大きくダイナミックで楽しいよ」と話していて。自分のポジションでやってきたことはそんな貴重な経験で、恵まれていたんだなと気づきました。

「どうなりたい?」から「何のために働きたい?」

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そして、幼なじみとの再会をきっかけに、企業の社会的責任や社会問題への関心が高まりはじめた。

24年ぶりにニューヨークに居たころの幼なじみに再会したんです。彼女は小児科医として、ロサンゼルスの郊外の街で、どちらかというと裕福ではない家庭の子供たちを診察していました。

そんな彼女からの言葉に、京子さんは衝撃を受けた。

「医療機器メーカーが、医学の発展に大きく貢献していることは間違いない。でも最新技術の高価な医療機器は、大規模で予算がある病院しか買えない。私のクリニックではとても無理。その医療機器が助けられるのは、上位数パーセントの裕福な人々だけ。この地域にいる貧しい子供たちに、その恩恵は届いていないんだよ」

「自分が携わる仕事は医療に貢献している」という自負はあったものの、「それがどれだけのインパクトをもたらすか?」という観点は考えたこともないものだった。

彼女は、医師としての仕事に留まらず、地域の環境を良くする活動にも取り組んでいました。そのミーティングに私を連れて行ってくれたのですが、不動産ディベロッパー、市内のまちづくり課、市街地の再開発業者たちと衛生面、健康面から街の子供たちを守るために医師の観点からアドバイスする活動をしていました。「街のシンクタンクを目指しているんだ」と彼女は私に話してくれました。

この再会を機に、「私は何のために働きたいんだろう?」と初めて真剣に考えるようになったと京子さんは語る。

マーケティングとは、物やサービスを売る仕組みを作ることだけど、その結果何が起こるのか?誰を幸せにするのか?もしかしたら不幸になる人もいるんじゃないか?環境に悪影響を及ぼしていないか?
ビジネスの先にある環境や社会への影響を考えはじめました。

「気づき」から広がるこれからのキャリア

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在学期間は2年間。アメリカでは、就職活動を早く始めるに越したことはない。朝から晩まで図書館に通いつめ、毎日睡眠時間を削るようなハードな学業と並行して、キャリアセンターに届くインターン募集へどんどんエントリーしながら自分が興味のあるフィールドを探す。

渡米から半年あまり。留学して環境が変わり、さらに予期せぬ世界的規模の緊急事態にも直面する中、様々な気づきや経験をふまえて、京子さんはこれからのキャリアをどのように考えているのだろうか?

新型コロナによる緊急事態を期に、私が専攻している「ストラテジック・コミュニケーション」の重要性をより実感しています。日本ではまだあまり注目されていませんが、アメリカでは企業内のCCO(Chief Communication Officer)の役割が少しずつ増してきています。
様々な組織や企業で、対応が疎かになると信頼を失いかねないという危機的状況に直面し、適切なタイミングで適切なメッセージを伝える必要性が認識されはじめているんだと思います。具体的に何をやりたいかはまだ分かりませんが、専門性が必要とされる分野は今後広がっていくだろうと予測しています。
今は、ソーシャルセクターやNPOなどが気になってきました。社会にインパクトのある活動をしているところに興味がありますが、もっと色んな企業や団体と出会っていきたい。

勇気を持って環境を変え、そこでの様々な出会いから得た「気づき」をきっかけに、京子さんは新たな3つ目の軸を見つけようとしているのかもしれない。

インタビュー後記

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「専門性を高めたい」
「海外に拠点を移したい」

印象的だったのは、京子さんの軸となるこれらの思いは、最初から意図したものでなく、ある意味で偶然に出会った環境や人間関係の中で生まれてきたものだったことである。

スタンフォード大学教授ジョン・F・クルンボルツ博士が提唱する「プランド・ハプンスタンス理論」では、キャリアの8割は偶然による出来事で形成されているとされる。

京子さんのように、新卒の総合職採用の場合、与えられた環境でキャリアを始めることになるケースは多い。最近では『配属ガチャ』という言葉もあるくらい、入社早々から期待しなかった配属に直面する場合もある。また、社内異動や急なリストラで転職活動に迫られるなど、予期せぬ状況に置かれることも少なくない。

そんな時、私たちはどうしたらいいのだろうか?

クルンボルツ博士の論文によると、成功したビジネスパーソンの約8割が、自身のキャリアは予期せぬ偶然によるところが大きいと回答している。そんな偶然をチャンスに変えることで彼らは成功を築いてきた。そして偶然をチャンスに変えるには、好奇心・持続性・挑戦心・楽観性・リスクテイキングの5つのスキルが必要とされるという。

京子さんのように比較的ポジティブな偶然も、多忙な時期でも投げ出さない「持続性」や、厳しい場面を切り抜ける「リスクテイキング」といったスキルがなければ、やりがいやキャリアの軸として大事なものに育つことはなかっただろう。

期待していたものであってもそうでなくても、目の前の仕事と真摯に向き合う。その姿勢は、思いもよらない新たな世界へ自分を導いてくれるのかもしれない。

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また、自分の可能性を追い求めたはずの留学先で、「何のために働くのか?」という問いに行き着いたことも印象的だった。

自分のためのキャリアをどう築くか?
ではなく、
社会のために自分はどうあるべきか?

VUCA(Volatility:変動性/Uncertainty:不確実性/Complexity:複雑性/Ambiguity:曖昧性)とも呼ばれる、この変化の激しい多様性に満ちた時代において、さらに未曾有の非常事態に見舞われた世界の中で、自分でなく社会へベクトルを向けることは、グローバル人材であるための必須条件かもしれない。

そして、そんな気づきを素直に受け入れ、これからも京子さんは正解のない問いに真摯に向き合っていく。その先でどんな決断をしていくのか、これからも追いかけていきたい。

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足立 京子
神戸市出身。2歳から13歳まで海外赴任先のイラン、イギリス、アメリカ、インドネシアで過ごす。中学から日本で暮らし、神戸市外国語大学を卒業。大手日系メーカーで会社勤務を経て、2019年8月より米国コロンビア大学大学院でストラテジック・コミュニケーションの修士課程に進学。現在ニューヨーク留学中。

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