【短いおはなし】2月24日は「クロスカントリーの日」
そこからのお母さんは早かった。
そことはつまり、お父さんが死んだときから。あっという間に葬儀が終わり、生きていたころより重いんじゃないかと思う骨壺を、お母さんは「ゆか持って」の一言で片づけ、親せきに愛想を振りまくのは喪主の務めだけど悲しすぎてそんなことまで気が回りませんという演技を続けていた。
秒速で納骨。
我が家に帰るやいなや、喪服のままお母さんはまず地域指定のごみ袋を準備。そこからは手当たり次第に、お父さんの使っていたものをぽいぽい入れていった。スーツ、ネクタイ、時計、本、DVD。しかもその全てを一度お母さんの手で破壊して、ごみ袋にぽいしていった。スーツにはハサミをいれ、時計はハンマーでたたき壊し、本はびりびりに破った。そんなお母さんは、とびきり元気で可愛かった。これが究極の若返り法! この一連の作業が終わったら満足して綺麗になったお母さんは死ぬんじゃないかと心配になった。
ウォークインクローゼットから獲物をもって出てくるお母さん。手にはカバーに収まったスキー板。いや、お母さんそれは折れないんじゃない? と内心思った。やさしく獲物を横たえ、そのカバーのチャックを親指と人差し指で静かにつまみ、初めてワンピースを着るときの女学生のように笑いながら、女学生とは逆にチャックを降ろしていった。
青いグラデーションがかかった獲物は、自分だけでは滑ることができないと30年ほど悩み自覚しながらもしぶとく青色に輝き続けていた。その表面をなでるお母さん。自分の背中をなでられてるみたいでぞくぞくした。両手で持って重さ、厚みを確認。また優しく床に置かれる獲物。可愛いお母さんを前に緊張し微動だにしない。
すっと立つと隣の部屋に行くお母さん。戻ってきた時には、手に趣味のキルト手芸で使う小さいピンクの電動のこぎりがあった。お母さん、なんだかたくましい。そのピンクでやっちゃうんだ。
ぎいいいいと獲物を切断するお母さん。気持ちが良さそう。しかし、一筋縄ではいかない獲物。最後の力を振り絞ってついに暴れだす。
「おさえて、ゆか早く!」
自分の名前が呼ばれたことに気が付くのにしばし時間がかかり、さらに獲物は威勢よくなってしまう。慌てておさえる私。女二人だってこれだけやれるんだとお母さんと力を合わせて獲物に対峙した。
くしゅん、とくしゃみがでる。部屋中には白い繊維の粉がまって、キラキラ光る。えらいことになっているが、我々の戦いの証はきちんと部屋の中心に重なっていた。どのような神様の儀式が始まっても神様に失礼のないように、お母さんと私で獲物の遺体を丁寧に並べた重ねた。切り刻まれ獲物だった者たちはすっかり事切れて、あの自慢げな青いグラデーションも陰りをみせている。
私もお母さんもさすがに疲れ、仰向けに大の字になった。遺品の無数のごみ袋、遺品の獲物の切り刻まれた遺体、遺品じゃないけど死んだも同然の刃こぼれして使えないピンクの電動カッター、今巷で一番元気で可愛い喪服に白い繊維をたくさんつけ笑うお母さんと、遺品でも可愛くもなくものすごく汗をかいたおでこに白い繊維をたくさんつけた私。だいたいそれらでこの部屋は構成されていた。
2月24日は「クロスカントリーの日」
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