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思ひ出夜行 ムーンライトながら・臨時大垣夜行

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。まさかの部署へ急にうつり、汗だくになりながら働いてゐる玉川可奈子です。

 先日、「阿呆列車 ひだ13号」で触れました紹介の話し。どうやら、相手は品定めをしてゐるやうで、私にもその白羽の矢が立ちました。
 私と同業者。姓名判断の相性はなかなか良いです。

 数通のメールでのやり取りをしました(私はLINEなどやつてゐません。あんなものはまともな日本人のやるものではありません。愛国を自認するものが、便利、みんなやつてゐるなどといふくだらない理由でやつてゐるのを見ると、心の底から烏滸だと思ひます)。

 それにしても、天涯孤独を覚悟してゐた身とはいへ、仕事後にお疲れ様といはれるのは嬉しいものです。
 仮にその人とうまく行かなくても、私は価値のある人間だと信じてゐられるやうにしたいものです。

 さて十回にわたり書き記してきたこの「思ひ出夜行」シリーズですが、今回で最終回になります。

 もしかしたら、今後、北斗星や銀河、ムーンライト高知、松山、ドリームにちりん、まりもなどを書くかも知れませんが、ここで一旦締めさせていただきます。

 今回もどうか最後までお付き合ひくださいませ。

 写真の一部はWikipediaより拝借いたしました。ご了承ください。

青春18きつぷの旅

 若者の貧乏旅行といへば、青春18きつぷであり、青春18きつぷ旅行で西へ行く際の相棒といへば、ムーンライトながらと9375M(大垣夜行)でした。

 私が、ムーンライトながらの名を知るのは、大学二年生の時。初めて青春18きつぷを使ひ、九州及び西日本への旅行をした時でした。

 大学の先輩から、

 「西に行くなら、ムーンライトながらに乗りな。名古屋の先の大垣まで行く夜行列車で、アレを使ふと九州まで一日で行けるよ。乗る前に、青春18きつぷの一回分が始まる横浜までの乗車券を買つておけば良いよ。ただ、人気があるから中々指定席取れないよ」

と聞かされ、そこで「ムーンライトながら」といふ名を知りました。

 そのことを知つた翌日、みどりの窓口に行くと、ぞんざいな口を聞く窓口氏に、

 「もう満席だよ」

と言はれ、あしらはれました。

 後に知るのですが、ムーンライトながらの指定席はいはゆるプラチナチケットといはれてをり、発売一ヶ月前の十時にみどりの窓口に並んでやつと手に入るものでした。
 中々手に入らないこともあり、何度かヤフーオークションで買つたこともありました。しかし、後に当日または前日にみどり窓口に行くとキャンセルが出てゐることが多く、さうして確保したことが何度かありました。

大垣夜行

165系 大垣夜行

 初めての青春18きつぷ旅行で利用したのは、この大垣夜行でした。
 列車番号は9375M、通称大垣夜行はムーンライトながらを補完する列車でした。品川駅を出発し、大垣駅まで行く列車で、私が初めて乗つた時には急行型の165系で運行してゐました。座席はボックス席でしたが、いはゆる通勤型のそれよりも広めでした。

 お盆の時期はとてつもなく混雑するといふ情報を得てゐたので、品川駅のホームに午後五時くらゐに並びました。さすがに、この時間には誰もゐませんでしたが、徐々に人が増え列車が入線する時間にはホームが人人人といふ有様でした。

 そして、列車がホームに入線し、ただちに乗り込みました。
 車内の混雑はゾつとする程で、ボックス席に座れない人が通路やデッキ、さらに洗面所に立つてゐました。その大半はいはゆるヲタクでした。それも鉄ヲタではありません。彼らは、コミケの帰りにこの列車を利用してゐたのでした。

 「車内が秋葉原になつてゐる…」

 初めての大垣夜行、青春18きつぷ、それにこの異様な雰囲気…一睡もできませんでした。女の子の客はパッと見、私だけでした。

 しかし、車内は楽しいものでした。前の席には、時刻表と私の顔を眺めながらニタニタしてゐる人がゐました。隣の人は、座席に座るなりすぐに寝てゐました。斜め前の人は、戦利品の薄い本を堂々と眺めてゐました。
 私は、見えない車窓を眺めてゐました。浜名湖のあたりを通過してゐる時、暗がりに見えた水辺と小さな漁船にテンションが上がつたことも何となく覚えてます。

 大垣駅でいはゆる大垣ダッシュをし、米原駅で新快速に乗り換へて姫路駅で降りました。姫路駅では、駅の立ち食ひそばが個性的であつたことが思ひ出されます。中華麺を使つてをり、塩味で薄口の出汁が美味しく感じました。

 姫路城まで歩かうと思ひましたが、やめました。その後、乗り換へに継ぐ乗り換へでした。姫路駅から岡山駅までがとても遠く感じました。岡山駅から快速山陽シティライナーに乗りました。途中、寝てしまひましたが、広島駅を出てしばらくして見える宮島に心をときめかせました。岩国駅周辺の蓮根畑も印象に残つてゐます。

 最終的に熊本県の八代駅まで行きました。八代駅で、朝まで過ごすのですが、ここで宮崎まで行くといふ女性と仲良くなり、人吉駅まで一緒に過ごしました。彼女は私と同い年。今、どうしてゐるか知る由もありません。

初めてのながら

ムーンライトながら

 初めてムーンライトながらに乗つた時は、その翌年の京都旅行と萩旅行の時でした。
 一ヶ月前に指定席を確保でき、当日の二十三時前に東京駅に来ました。今はなき、急行銀河が出発したのを見届け、ホームで待機してゐると、JR東海の373系九両が入線してきました。
 今はすでにありませんが、当時、東京駅5:20発の始発と、静岡駅19:34発の列車は373系で運行してゐました。それぞれ、ムーンライトながらになり、東京駅から始発になりと忙しない運用をしてゐました。

 念願のながらに乗つた時の感動は今でも忘れません。座席は座りやすいし、フットレストまで付いてゐます。車内は暗くなりませんが、特に気になりません(防犯のためだとか)。
 小田原駅では、七号車以下が自由席になるので、ホームの一部には自由席狙ひの人がゐました。

ムーンライトながら 車内

 熱海駅に着いた頃、眠くなりしばらく眠りました。目を覚ますと、名古屋駅に着く直前でした。名古屋駅を出発すると、清洲城が朝日に照らされてなんとも言へず美しい。濃尾平野を後にして、岐阜駅に着くと彼方に岐阜城も見えます。岐阜駅を出てしばらく行けばもう大垣駅はすぐです。

 大垣駅に着いたら、階段を駆け上がり、網干行きの待つホームへ走ります(いはゆる大垣ダッシュ!)。無事に座り、一安心。

ムーンライトながら 大垣駅

 そして、米原駅で新快速に乗り換へて京都駅へ行きました。
 京都では、京都霊山護国神社や大徳寺大仙院を参拝しました。

 若かりし当時、大徳寺大仙院の尾関宗園和尚のお話しが好きでした。

 和尚の「今こそ出発点」は、いつも私の背を押してくれました。

 この旅の続きですが、ムーンライト山陽に乗り下関駅まで行き、味一の肉うどんを食べ、今はなき特急いそかぜに乗り東萩駅まで行きました。轟々とエンジン音を響かせ走るいそかぜの姿も、よき思ひ出です。

参考 特急いそかぜ

 萩では、吉田松陰先生をお祀りする松陰神社を参拝し、他にも萩城などを訪ねました。

 萩から、再び山陰本線に乗りました。益田駅から大好きなキハ120系に乗り、出雲市駅まで行きました。
 そして出雲市駅からムーンライト八重垣に乗り大阪駅に行き、東海道本線に乗り東京に帰りました。

 その後、何度ムーンライトながらに乗つたか覚えてゐません。

 名古屋への出張で会社から新幹線代をもらつてゐながら、青春18きつぷとながらを使つたこともありました。

 伊豆初日の出号に乗るために東京駅から富士駅まで行き、富士駅から上りのながらに乗つたこともありました。

 卒業旅行の時にも乗りました。

 泥酔してデッキで寝てゐるおぢさん、床に新聞を敷いて横になる若者、バイト先で仲良くなつた人と偶然の遭遇、深夜の浜松駅ホームの散策など、たくさんの思ひ出があります。

ムーンライトながら 浜松駅

  九州、山陰、山陽、四国、そして福井(平泉寺白山神社)…西に行く旅のお供は、常にムーンライトながらでした。

 最後に乗車したのは、熊本地震の後、私が某女子校に勤務してゐた時でした。この時のことはこちらに書きましたので、併せてお読みください。

 そして、武漢熱禍のから騒ぎの中で、令和三年正月二十二日に廃止が発表され、三月二十九日の上り列車をもつてムーンライトながらは姿を消しました。
 それに伴ひ、「ムーンライト」を冠する列車は全てなくなりました。

ムーンライトながらの車両

373系 伊那路(玉川撮影)

 車両も数回、変はつてゐます。
 私が乗り始めた当初は、JR東海の373系で運行してゐました。この車両は現在も特急ふじかわや伊那路、飯田線秘境駅号などで運用されてをり、乗り心地が良いものです。

373系 座席

 セミコンパーメントシートといふボックス席があり、この席を狙ふと指定席を得やすいです。なほ、指定席券には「ムンライトながら(コ)」と表記されてゐて間抜けなやうな可愛いやうな。ボックス席とはいふものの、583系の席のやうに広く、真ん中に大きなテーブルがあり狭く感じません。

373系 セミコンパーメントシート

 リクライニングはしませんが、特に困つたことはありませんでした。進んで狙ひはしませんでしたが、好きな座席でした。

 373系時代は、たまにワイドビューチャイムが鳴ることがありました。私がこの車内メロディーを好きになるきつかけは、ながらとの付き合ひにありました。

 平成二十一年三月十四日から、定期運用から外れ臨時列車化しました。同時にJR東日本の183系・189系に変はります。この車両のオススメは、十号車で、座席の質が他の車両と異なつてゐて乗り心地の良いものでした。しかし、一番後ろになるので、大垣ダッシュには不向きでした。なほ、大垣ダッシュに有利な車両は三号車です。

ムーンライトながら 189系

 平成二十五年十二月からは189系から、廃止になるまでの間、特急踊り子などで活躍したJR東日本の185系が充てられました。

ムーンライトながら 185系

 大垣夜行は平成十五年の夏にムーンライトながら91号・92号と改称し、運行を開始しました。座席も全席指定席車両となりました。これは、165系の老朽化によるもので、車両も183系・189系に置き換はりました。定期運用のムーンライトながらよりも一時間早く大垣駅に着くのが魅力でした。平成二十一年まで運行してゐました。

ムーンライトながらのダイヤ

 以下の内容は少しマニアックです。ご了承ください。

 JR時刻表平成七年八月号によると、この時は「ムーンライトながら」を名乗つてゐません。

 下り列車は東京駅23:40発、小田原駅まで各駅に停車。熱海駅に1:22着。静岡駅2:33着。浜松駅3:39着。以降、ほぼ各駅に停車(三河塩津駅と尾頭橋駅を通過)して、豊橋駅4:49着。名古屋駅6:08着。終点、大垣駅には6:56に着きました。
 品川駅を23:55に発車する9375Mには浜松駅で抜かれます。こちらは、名古屋駅に6:02着、大垣駅には6:47に着きます。

 JTB時刻表平成十一年十二月号によると、この時にはムーンライトながらの愛称が付されてゐます。
 下り列車は東京駅を23:43に発車し、品川、横浜、大船、平塚、国府津、小田原、そして熱海駅には1:23着。小田原駅まで全車指定席で、名古屋駅から全車自由席になります。これを悪用する客がをり、国府津駅で知れつと乗車し来る輩もゐたとか。
 その後、静岡駅2:31着。浜松駅3:38着。豊橋駅4:23着。以降、三河塩津駅と尾頭橋駅以外の各駅に停車し、名古屋駅に6:05着。終点、大垣駅には6:55着。
 9375Mは浜松駅で追ひ付き、豊橋駅で抜かれて行きます。こちらは、名古屋駅6:02着、大垣駅には6:38に着きました。

 JR時刻表平成二十年三月号では、過去と大きく変はり、下り列車は東京駅を23:10に発車し、品川、横浜、大船、小田原、そして熱海駅には0:50着。その後、静岡駅1:49着。浜松駅3:09着。豊橋駅4:00着。以降、三河塩津駅と尾頭橋駅以外の各駅に停車し、名古屋駅に6:06着。終点、大垣駅には6:52着。
 豊橋駅から大垣駅間が全車自由席となつてゐます。
 9375Mはムーンライトながら91号と愛称が付され、東京駅23:20発となつてゐます。浜松駅で追ひ付き、豊橋駅で抜かれて行きます。こちらは、名古屋駅5:19着、大垣駅5:55着。

 ムーンライトながらが廃止され、何年。今は、名古屋駅までは新幹線を用ゐるやうになり、あつてもなくても特に困らなくなりました。ドリームなごやなどの高速バスも充実してゐますし、夜行便もバスを利用すればながらよりも便利です。ドリームなごやのプレミアムシートは新幹線以上に快適ですし、バスにはWi-Fiもコンセントも付いてゐます。

 ムーンライトながら、そして大垣夜行の、あの混沌として、落ち着かないけど、ワクワクとドキドキのあつた当時の雰囲気は過去のものとなりましたが、私の中で永遠に生き続けるでせう。

 また、ムーンライトながらや夜行快速列車については、以下の書がとても面白いです。

 ぬばたまの 夜更けを駆ける まがな道 月の光の さやけきを見む 可奈子

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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