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大回り乗車の旅

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。
 どうか最後までお付き合ひください。

 某月某日、久しぶりに大回り乗車をしてきました。
 鉄道に明るい方であれば、大回り乗車について特に解説は不要でせうが、概要は以下のリンクをご覧ください。大雑把にいへば、JR線の特定区間内で140円のきつぷを購入して移動する場合、同じ駅を通らなければ、特定区間のどのルートを通つても良いといふルールを利用して鉄道の旅をするものです。
 例へば、東京から新宿へ行く場合、最短で行くなら中央線になりませうが、東海道線で茅ヶ崎に行き、茅ヶ崎から相模線で八王子に行き、そこから中央線に乗つて新宿へ向かふ…といふのがありませう。



 さて、今回の旅程です。
 上野駅から秋葉原駅まで。経由は、高崎線〜両毛線〜水戸線〜常磐線〜成田線〜総武線です。見た目も旅程もシンプルにしました。

乗り換へ案内のスクショ

 上野駅発8:31の快速アーバン号のグリーン車に乗車しました。天気は曇です。 
 この区間では読書をしてゐました。定刻に高崎駅に到着しました。
 朝食を食べてゐなかつたので、高崎駅のホームで立ち食ひそばを食べました。
 駅弁屋が閉まつてゐたので、峠の釜飯を買ふことができませんでした。残念。

たぬきそば
高崎駅 ホームの立食ひそば


 続いて両毛線に乗ります。車内はロングシートで景色が見づらくなりますが、私は特に気にしてゐません。しかし、曇つてゐて赤城山があまりよく見えません。赤城山といへば、国定忠治の「赤城の山も、今宵限り…」が想像されるでせう。
 私はそれよりも『万葉集』巻十四、東歌に歌はれたことが思ひ出されます。

 上毛野 くろほの嶺ろの 葛葉がた 愛しけ子ろに いや離かり来も(巻十四・三四一二)
  (上野の国のくろほの山に伸びる葛の葉ではないが、可愛いあの子からどんどん遠ざかつて行くばかりだ)

 くろほの嶺ろ、これが赤城山のことです。
 列車は東に進み、岩宿遺跡で知られる岩宿駅の次、わたらせ渓谷鉄道の始発駅である桐生駅に着きます。私は、都心から行きやすいローカル線としてわたらせ渓谷鉄道をおすすめしてゐます。渓谷の景色が美しいこともさることながら、わっしー号などのトロッコ列車など魅力に満ちてゐます。足尾銅山鉱毒事件の悲劇は、今はむかしのこととなりましたが、往時を偲ぶこともできませう。
 ホームには、一両編成の車両がさびしく停車してゐました。

わたらせ渓谷鉄道の車両

 桐生から先は栃木県に入ります。
 足利駅に着くと、発車メロディが森高千里さんの「渡良瀬橋」であることに気がつきませう。
 私は、「渡良瀬橋」が好きで、実際に足利の街を歩いたことがあります。「床屋の角にぽつんとある公衆電話」も見ましたし、渡良瀬橋から見る夕陽も見ました。歌の言葉も美しいし、心も純粋で、涙なくては聞けません。足利学校や鑁阿寺など、史跡も残されてゐますが、私は足利となると、「渡良瀬橋」と歌に記された街、夕陽の美しさを思ひ出します。

 あしかがフラワーパークも、大切な人と来たいところですね。特に、藤の花の盛りに。

 佐野ラーメンや、関東の三大師・佐野厄除け大師で有名な惣宗寺(天台宗)で知られる佐野駅を出てしばらくすると車窓右手に三毳山が見えてきます。実は、この三毳山も『万葉集』に歌はれました。巻十四の東歌に収められた歌は、次のとほりです。

 下毛野 三毳の山の こならのす まぐわし子らは 誰かけか持たむ(巻十四・三四二四)
  (下野の三毳の山に生える小楢の木の若葉のやうに、目にも美しいあの子は誰のお椀の世話をするのでせうか)

さういへば、今年は佐野厄除け大師のCMを観てゐませんでした。

三毳山

 両毛線の旅を終へ、小山駅に着くと、次は水戸線に乗ります。駅では三十分以上待ち時間があります。NewDaysでついお酒を購入しました。第一酒造の開華といふお酒ださうです。なかなか美味しいですね(私はウヰスキー派ですが…)。

とちまるくん可愛い

 しばらく水戸線に揺られてゐると、車窓右手に筑波山が見えてきます。筑波山は言ふまでもなく、『万葉集』にたびたび詠まれました。
 東歌には、

 筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも かなしき子ろが 布干さるかも(巻十四・三三五一)
  (筑波山に雪が降つてゐるのかな、いや違ふかな。大好きなあの子が布を干してゐるいのかな)

と詠まれ、防人には、

 筑波嶺の さゆるの花の 夜床にも かなしけ妹ぞ 昼もかなしけ(巻二十・四三六九)
  (筑波山に咲くさ百合の花ではないが、その夜の床でも可愛いあの子は、昼もまた可愛いものだ)

と詠まれました。
 他にも、高橋虫麻呂や大伴旅人?あたりのも詠まれました。「百人一首」にも「恋ぞ積もりて…」とありますね。

筑波山遠景

 下館駅は、関東鉄道と真岡鐵道とJR東日本の列車が重なり合ひます。SLもおか号もこの駅から発車します。関東鉄道常総線では、『万葉集』に詠まれた騰波ノ江や、北畠親房公の史跡である関城、大宝城へと通じてゐます。
 途中、新治駅を通ると、私は『古事記』に記された日本武尊の故事を思ひ出します。

 尊が甲斐国で「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と詠まれました。そして、この御歌に対し、「日々並べて 夜には九夜 日には十日を」と答へられた人がゐた、と。この故事がもととなり、連歌は「筑波の道」といひます。

 また、水戸線沿線の車窓はしばしば雉の姿が見られます。今回は、雌を含めて三羽見ました。雉つて可愛い鳥ですよね。私はとても好きです。初めて雉の実物を見たのも、大回り乗車で水戸線を訪れた時でした。

 友部駅に着き、すぐに常磐線に乗りました。佐久良東雄先生ゆかりの善応寺のある土浦を経て、我孫子駅。ここでは、弥生軒のからあげそばを食べます。なほ、弥生軒は、山下清が働いてゐたことでも知られてゐます。かなり大きめのからあげが、二つ乗つてをり、食味をそそります。

弥生軒のからあげ2個そば(630円)

 早めの夕食を食べた後は、成田線、総武線を経て秋葉原に帰り大回り乗車の旅を終へました。
 秋葉原から、らくスパ1010神田でサウナに入り、疲れを癒やしました。

今回の旅程

 常陸路に 妻あさりして 鳴く雉の 声の恋しき 時は来にけり (可奈子)

 お読みいただき、ありがたうございました。

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