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オンライン長編演劇「門外不出モラトリアム」は、なぜこんなにも心揺さぶられるのか


ここ数年にないくらい号泣した。


目が腫れた。

1日経ってもまだぼんやりしている。


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昨日、劇団ノーミーツ主催のオンライン長編演劇「門外不出モラトリアム」の再上演を観た。

「会わずに」全てを完結させる、Zoomを使った140分の演劇。

チケット2500円、何度かの公演を経て延べ約5000人が試聴された、オンラインでやる長編演劇という「新しいエンターテインメント」だ。


劇団ノーミーツは、自宅から作品を届けていく。一度も会ったことがない役者やスタッフ達と、一度も会わずに企画し、稽古し、本番を迎える。no meetsを守りながら、NO密で濃密なひとときを。


劇団ノーミーツのこちらの動画はバズったので観たことある方も多いだろう。


これらの短い動画(主に140秒)は、この2ヶ月の間にしか作ることができなかった「旬な」面白さであるとともに、多くのリモートワーカーが全共感できる仕様になっているのが素晴らしい。

(とはいえ、数ヶ月後、数年後に観たらまた違った趣があるだろう)


そして長編演劇「門外不出モラトリアム」はこちら。


【もしもこの生活があと4年続いたら・・・】

みんなが家から出なくなって4年、入学から卒業までフルリモートで過ごした大学生たちの物語。

もしもう一度、家から出られなくなったあの日からやり直せたら、、、未来は変えることができたのだろうか?

収束しない事態と、収束する運命に逆らう物語。


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最後の、再上演が終わってしまったので感想を熱く書いても誰ももう見ることができないのだけれど、これは第一章にすぎず、第二章がまた始まる、ということでぜひ次の劇団ノーミーツの公演を楽しみにして欲しいので書く。


「門外不出モラトリアム」は、今この人類が一度は全員味わった「家から出られない」ことへの共感を最大限に濃縮し、ありえた未来をいくつも見せることで「未来は一人一人の行動の集積できっと変えられる、変えていこう」という希望を見せる演劇だった。


4年間家から出られないという、ありえなくもない未来。

そこで自分ならどうする?を突きつけられる。

家から出なくても楽しく生きることはできるの?

世界が変わったら、自分も変わるの?変わらずにいるの?


笑ったり泣いたりして、途中からずっとティッシュの箱を抱えながら、没頭していた。あっという間だった。


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「演劇」というものを過去何度かしか観たことがない。

知人が劇団員だった頃に何度か、その後も数年に1度くらいのサイクルで何度か。

映画は好きでよく行くけれど、なんとなく「演劇」はハードルが高い、そんな気がしていた。


実際の「オンライン演劇」は、劇場へ向かうことを考えると驚くほど手軽だ。

peatixからチケットを購入したら、youtubeの限定リンクが送られてくる。

そこから家のPCなどで試聴するだけ。


その簡易な仕組みは初め「気持ちの集中が削がれる」イメージがあった。

演劇はリアルであることが重要で、そのちょっとしたハードルこそが演劇に気持ちを集中させるのでは?となんとなく思っていた。

けれど・・・

そんな素人感覚が全く裏切られた演出で、そこにはむしろ「オンラインでしかできない演劇の魅力」が詰まっていた。

手軽だからこそたくさんの人が見ることができ、この感動を共有できることその現象まで含めての「エンターテインメント」なんだということがはっきりとわかった。


私たちが毎日のように使うようになったZoomの機能をフルに使い、役者たちは全て自宅などから「誰にも会わずに」画面上で演劇を作り上げる。

Zoomやyoutubeを使ったことがある人ならわかると思うけれど、ネット環境が安定しなかったり機材の不調などでオンラインでのトラブルはとても起こりやすい。

それが全て「ライブ」で見せられているので、こちらもドキドキするし臨場感が半端ない。

同時に、お客さんのコメント欄も開放しているのでみんなで見ている感じがするし、時に画面の向こうでコメントを拾われるシーンがあったりなどの一体感がすごい。


誰にも会えてないのに、みんなそこにいる、という感じだった。

こんなことができるんだなあ、と、その仕組みにも感動した。


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打ち上げまで感動的で、終わってもなんだかぐしゃぐしゃな気持ちでぼんやりとしていた。

PCを閉じた瞬間に、また涙が出た。

キャストの皆さんは、あの打ち上げのあとはまた、PCの画面を落として、一人一人の部屋に戻るんだろう。

家族はいるのだろうか。

この感動を話せる人はそばにいるのだろうか。

もしかしたら1人かもしれない、でも、それが現実で、それだからこそのリアリティなのかもしれない。


関わったみんな、一人一人を抱きしめたくなった。

画面の向こうにいる誰か、

物語を作る側も、見る側も、

それは確実に「独りじゃない」のだ。




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