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子どもが欲しい、と、赤ちゃん産みたい、はなんか違う

いつか結婚して、子供ができて、親子の家族になるんだろう。
自分が物心ついたときから、父と母と、きょうだいがいたから
あたり前に、そういうものだと思っていた。

けれど。

今25歳の社会人になってみて、
そして産婦人科の助産師で働き始めて、

結婚すること、子どもができること、
赤ちゃんから子どもを育てることが、

ただの“しあわせ”でもなければ
ただの“奇跡”でもなく

泥臭い日常の積み重ねでできあがっていて。
喜びと不安と、焦りと、イライラと、後悔と、そのなかにみつける楽しみで
なんとか成り立っているものだということが
身に染みるようになってきた。

妊娠が、出産が、育児が、

絵にかいたような、写真のようなものじゃなくて、
現実的なものになったとき、

10か月もの間、つわりや腰痛など様々な症状に悩みながら
お腹の中で命を育て、
食生活にも、仕事にも、睡眠にも、通勤にも気を使い、
元気に育っているか、異常がないか、
健診でドキドキしながら、何回も受診して、
どんどん重くなるからだと、大きくなる体を受け入れて、

出産のときも、
耐え難い陣痛が、どんどん強くなり、声にならない叫び声をあげて、
もう耐えられないと思いながら、力を振り絞り、
歯を食いしばって、新生児を体から出す。
一緒に出血もしながら、そして体の一部となっていた胎盤を剥がして出しながら。

やっとお産が終わって「おめでとう」の声に囲まれながら、
そばには、大人がなにかしなければなにもできない生物との
24時間365日の生活が始まる。
自分の身体は、まだ出産でぼろぼろなのに。

泣く以外の感情表現ができず、昼夜関係なく起きて泣く赤ちゃん。
言葉だって通じない、大人の都合なんて関係ない。

抱っこして、あやして、授乳して、ミルクをあげて、
着替えて、おむつを替えて、
数か月したら、離乳食を作るようになって。

もういちど。

妊娠、出産、育児は
“家族のしあわせ”なんて綺麗な言葉でまとめられるわけもない、
泥臭くて、試行錯誤の、日常の積み重ねでできあがっている。

喜びと不安と、焦りと、イライラと、後悔と、そのなかにみつける楽しみで
なんとか成り立っている。

【女の子なんだから、いつか子どもほしいと思ってるでしょ】
【何人子どもほしいなら、そろそろ一人目なんじゃない?】
【結婚したら、つぎは、妊娠だね】

好き勝手に言わないでほしい。
私たちは、少子化だから、子どもを産まなきゃいけないんじゃないし、
女性だから、赤ちゃんが好きなんじゃないし、
子どもが好きなんじゃない。

もちろん、自分の大切な人との
血がつながった子どもが欲しいと思うことはある。
自分の大切な人と、夫婦だけじゃなくて、
子どもいれた家族になってみたい気持ちはある。

でも、簡単に一歩、私は、
踏み出せないかもしれない。
子どもは欲しいけれど、
自分が、身を削って、赤ちゃんを産みたいか、ときかれると
わからない。
その覚悟が、今は、ない。

妊娠することも、出産も、育児も、
すごい覚悟がいることで、
すごい覚悟があっても、幸せを感じながらでも、
途中の道では、不安や心配や恐怖や、
“もう二度と前には戻れない”という後悔と
それを感じる自分に自責を覚えながら、
きっとなんとか、楽しみと幸せをみつけて、過ごしていこうとする。

大切な人との子どもは欲しいけれど、
それまでの人生をリセットするくらい、生活も価値観も変えるだろう出来事に
踏み出せないし、踏み出したくない私を、
【子どもが欲しくないから?】ではまとめられない。

少子化だの、きょうだいの数が減っているだの、
妊娠出産する年齢があがっているだの、
総数で、数で、みないでほしい。

そのひとつひとつに、
本人や周りが、意識しているかは別としても、
大きな覚悟と、変化と、気持ちの揺れを、
抱えている女性がいる。
それぞれの女性の思うこと感じることは違うとしても、
なんにも変わらない人なんていない、はずだ。

妊娠するということは、出産は、育児をするということは、
【子どもがほしいね】の幸せだけでは成り立たないことを
知ってしまった女性が、日本社会には多いんじゃないかって、
最近思う。

私だけだろうか。

結婚しろ、産め、育てろ、なんて
環境整えるから、なんて
簡単に言わないでほしい。

特に、育児を奥様にお任せだったような、
上の世代の男性からは。

今回はわりと毒吐き記事になりました。

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