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ラボるとジョブるの関係 ~リビングラボで学ぶ価値観~

リビングラボという場所が、だんだん知られてくるようになり、自分が活動している玉川野毛町パークらぼの事も、「リビングラボの公園版みたいな感じです!」と、説明しやすくなってきた。

リビングラボの在り方、その場所で出会う人々やプロジェクトとの関わり方などが見えてきたものの、見えてくればくるほど、期待と困惑がグルグル回って、今何周目くらいだろうか、、脳内のグルグルを書き留めておこうと思う。

(この記事は2024,02,25に行われた東京都市大学 坂倉研究室 OYAMACHI LIVINGLAB MEETING FESTIVAL 2023-24 愛と希望の会議フェスに参加した際に得た学びを元に、自身の体験と活動を踏まえて作成しています。
また、文中のラボるという言葉は、そのイベント内”ラボをラボる出航準備カイギ”で用いられていた表現です。)



・ラボる、という価値観 7項目

リビングラボで体験した、新たな価値観。このラボるという感覚は、これまでに仕事で培ってきたものと対極に位置している。

その特徴をいくつか挙げておこう。

【ラボるの価値観】
1.計画通りを目指さない
2.理想とのギャップを悲観しない
3.誰が来ても何が起きても面白いと捉える
4.突拍子の無さを否定しない
5.ゴールは日々変化していい
6.専門性を尖らせない
7.送り手と受け手を分けない


1.計画通りを目指さない

ラボ、つまり実験の場なので、計画通りに物事を進めて達成させる場所だと思っではいけない。計画はしつつも、アクシデントを楽しむ、いやむしろアクシデントを価値創造の源泉にするような肝っ玉が必要。

2.理想とのギャップを悲観しない

理想を描くから失望する。理想をガチガチに固め過ぎるから、現状とのギャップが気になって、そのギャップを減点的に捉えてしまい、己を責めるマインドになる。そもそも理想を固定しなければ、そのギャップはマイナスポイントではなく、無限の可能性のはずだ。

3.誰が来ても何が起きても面白いと捉える

ラボは開かれていて、多種多様なステークホルダーとフラットにつながれるからこそ、面白いことが発想できたり実現できる。

そこで不要なのがマウントであり、誰が来てもすぐに馴染める場作り。ここでも、予定通りに物事を進めようと頑なにならないことが重要で、誰がリーダーでもいいし、役割が常に変化していいのである。大切なのは、みんながここに来たいと思えることだ。

4.突拍子の無さを否定しない

いろんな発言や発想が飛び交うことがむしろ理想である。突拍子もない意見が出たら、一度受け入れて、そこから逆に面白いんじゃない?とクリエイティブに考えたい。

5.ゴールは日々変化していい

1,2と通じる話だが、自分が活動しているパークらぼのチーム循環(住民が家庭の生ゴミで作った堆肥を公園に持ち寄って循環させたい)では、立ち上げ当初、近隣農家さんや農業大学と連携して堆肥を活用することを目標にしていた。農家や大学を突撃訪問して協力を仰いだものの、成果がいまいち上がらず行き詰まっていた。その時関係者の方から、公園そのものの土地で堆肥を有効活用するアイデアをいただいた。公園の土壌も、放置しておくと痩せていってしまうので、住民の堆肥を活用してフカフカにするというのはどうか?と言われ、ゴールを変更した経緯がある。そこから落ち葉堆肥を作る夢や、日本中の公園のモデルになる夢などが生まれ、今は循環を広義に捉え、地域全体が人や時間や知恵や経験を循環させるような世界観を目指している。(また変わるかも。w)

チーム循環が目指す、地域の小さな循環

6.専門性を尖らせない

これは東京都市大学の坂倉先生のインタビュー記事で目にした言葉で、衝撃を受けてしまった。なぜなら、自分はパークらぼで専門性を尖らせてしまった場面があったからだ。いや、それが大失敗だったわけではないと思うけど、(思いたい。。汗)今振り返ると、議論を抑圧しかねない行動だったなぁ、、と感じる。

7.送り手と受け手を分けない

サービスや商品の場合、それを提供する側と、お金を払って享受するユーザーがいて、この両サイドはどこまで行っても立場が違う。ラボるためには立場を分けず、全員が主体的になり共感しあい、ごちゃ混ぜになることが理想なのだ。スタックした状況に風穴を開けるようなしくみや体験、新しい価値創造は、何かが混ざり合うことから生まれる。文化と文化、人種と人種、朝と夜や、赤と青。この世はいつも、何かが混ざり合ったところに見たこともない美しい景色が広がるのだ。

以上が現時点で自分が感じる、ラボるという価値観の特徴だ。

・ジョブるという価値観 7項目

それでは、ラボるの反対はなんだろう?(なんだと思います。。?)

ジョブる。である。

ラボるの対義語、ジョブる。

それでは、ジョブるという価値観の特徴を以下に挙げ、ラボるとの違いを考えてみよう。

【ジョブるの価値観】

1.計画通り最短でゴールを達成する
2.理想は120%を描くぐらいじゃないと足りない
3.役割分担は明確に、リスクヘッジは基本
4.突拍子の無い意見を聞いてる暇なし
5.ゴールは絶対ブラさない
6.専門性をフルに発揮し最短コースを目指す
7.送り手としてプロフェッショナルの責任を持つ


これは、、、、

まるで仕事ができる人の信条ではないか、、、

そう、かくいう私も、仕事ができる人です。

(自分で言うのもアレですが、、)

そりゃーできますよ。25年くらいやってんですから、プロジェクトをゴールまで持っていく、そのためのあらゆる能力が研ぎ澄まされちゃってて、ベテランてやつです。

だからこそ、、

ジョブることが身に染み付いていて、ラボると言う意識変容が難しい。

つい、ブレずにゴールを目指したくなるし、培ってきた専門性を役立たせようとしてしまう。パークらぼのこれまでの5年は葛藤の日々で、その中でだんだんわかってきたのは、このラボる行為が今、時代に求められているんじゃないか?ということ。

周囲を見渡すと、リビングラボのみならず、企業内でもラボが生まれていて、変化の激しい時代に試行錯誤や実験を繰り返す場所、チーム、スタイルが、広く求められているのかもしれない。

・良いとこどり、が現時点での答えなのか?

自分も勤めている会社でビジョンを描くためのビジョンデザインラボを立ち上げようとしている。

その理由は、きちんと隙のないサービスに仕立ててリリースする、というスピード感では、時代の変化に追いつけず、もっと構想やアイデアの段階でクライアントと一緒に模索しながら進みたい!と思うからだ。

「プロフェッショナルが提供する隙のないサービスです、どや。」

というスタイルがこれまでのやり方だったが、正直新しいことなんて、すぐに実績が蓄積されるわけでもない。実績とリスクヘッジが伴った状態を待っていたら、今目の前で起きているクライアントのニーズや変化のチャンスに良い影響を与えることができなくなってしまう。

チャンスの神様は前髪しかない。

というけれど、この時代、変化のチャンスはものすごいスピードで目の前を通り過ぎていく。今なにか機運が巻き起こりそうだったら、立場を超えてフラットにラボる。そこから一緒にトランスフォームしていくことが大切なんじゃないだろうか。

問題はマネタイズである。

リビングラボも運営費用の捻出に頭を抱えているケースが少なくない。それが企業内ラボとなれば、「それお金になってんの?」という無言のプレッシャーが生まれるのは目に見えている。前述のラボるの価値観で商品やサービス開発を進めていては、収益計画が立てにくい。これまで通りジョブるという価値観が持つ確実性が求められてしまう。これがサービスデザインと呼ばれるビジネスの難しい点でもあると感じる。

ラボるとジョブるの良いとこどり。そんな腑抜けた答えしか今は浮かばないが、両者の中和点を模索することを、最近は日々考えている。

・人生も、もう少しラボっていいんじゃないか?

それにしても、人類はラボるに慣れていない。と思う。

特に日本はこれまで、経済発展をジョブるという価値観で推し進めてきた。成長、成長、また成長。成長こそが正義。目標を定めて現状との差を明確にし、あとは努力あるのみ。自分の人生もそんな正義によってここまで形成されてきたなーと思う。

でもどうだろう?がんばってたくさんの目標を達成してきたからこそ、そろそろラボってもいいんじゃないか?じぶん。

10年後にはこうなって、20年後には・・

そういうイメージやたどり着きたい場所のビジョンを描くのは悪くない。

けれど、そのためにどういう道筋を辿るのか?それはもっと成り行きに任せてもいいんじゃないか?積み上げ式ではなく、ラボる価値観を胸に、偶然の出会いやひらめき、流れや心地よさ、そういう直感的な感性で進んでいった方が、むしろたどり着きたい場所の本質部分にたどり着ける気がするのだ。全人類的な視点で、ラボる価値観で創造できる未来があるんじゃないだろうか。

とまぁ、楽観的な締め括りになってしまったが、現状での私のラボリポートはこんなところ。プライベートでのラボ体験を仕事で立ち上げるラボにも活かせるのか?!その辺もまた引き続き、リポートをしていきたいと思います!

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