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時を超えてつながる地域社会

先日、今期最後のパークらぼデザインDAYが無事終了しました。包み隠さず言うと、この数ヶ月、容易くはなかった・・・
個人的には何度かくじけそうになったり、このメンバーでこんな大きなこと成し遂げられるのか??と、苛立ちのようなものも感じたり、、それぐらい、真剣でした。。

・玉川野毛町パークらぼについてはこちらから

●形のデザインからしくみのデザインへ

以前の記事を書いてから約9ヶ月。パークらぼの取り組みは公園自体のデザインや設計の話から、開園後を見据えた管理運営の話に移行して、何をどう作ればいいのか?そのフレームも無い状態で手探りなフェーズに入ってきました。日本にまだそれほど事例が無い、官民連携での公園づくり・運営を、どういう組織や手法で実行していくのか?本格的な議論は4月以降ですが、その準備をある程度完了した、ということになるわけです。

2022年12月ぐらいまでは、眼に見える公園のかたちについて、プロの方が先導しつつも、パークらぼメンバーを始めとした地域住民の意見を汲み取りながら、丁寧にプランに反映してくださいましたが、その後しくみのデザインとして、組織や運営手法、そのコンセプトについて考えるというのは、ある意味「住民の意見を丁寧に汲み取って反映してもらう」というものではなく、「住民が自分ごと化して自分たちで考える」という文脈になってくるので、ゲストではなく本当にプレーヤーになっていく、ということです。

またこの数ヶ月で、各チームの継続的な活動に加えて、新たに発生した住民発案の象徴的なイベントもありました。

1. 樹木伐採について意見を交わし、有志で地鎮祭を実現した

2. 動物との触れ合いを目的に、アクティブデイにヤギが来た w

こんな出来事を通して、誰かがやりたいと思ったことをみんなで実現させることがもたらす達成感や交流、新たな発見、そういう貴重な経験が得られました。これらは、今後の組織運営を考えていく上でも、ポジティブな原体験になったと思います。

●ようやく漕ぎ着けた1つの成果

その上で、私たちがここ数ヶ月ぶち当たってきたモヤモヤは、

・この公園はどういう公園なのか?その理念やコンセプトのようなものは必要なのか?

・パークらぼで大切にしたいこと、してきたことは何だっけ?

・この数年の活動で得た気づきってなに?

・一般市民がどこまで関われるのか?関わっていいのか?

・新旧メンバーのいろんなギャップをどう解決するの?

・責任をどう捉えるのか?

ざっとこんなことです。

こういうことを日々議論したり、遡ったり、すれ違ったり、ふたたび共感しあえたりしながら、ようやく一時的な場所に漕ぎ着けた具体的な成果としては、開園後の正式な組織になる前身として、推進準備会というチームを形成する合意が図れたこと。これは大きいと感じます。そしてここで言う官民連携というのは、単なる区とボランディアとの協働ではなく、ひとつの意図を共有し、この公園を共に大切に育てていく共同体のようなイメージだと理解していて、そのために中間支援組織という役割が肝になってくるわけです。(この詳細や具体は4月以降じっくり考えていく)

第一形態 現段階の組織構造
第二形態 準備会スタート時のイメージ
第三形態 推進会議(仮称)設立時イメージ
参考資料

●パークらぼでしか得られないたくさんの気づき

組織図や議論自体もまだ抽象的な段階ですが、それでも個人的にたくさんの気づきが得られたので、備忘録的に記しておくと、

・やるならやるで、住民としてある程度本気で参加しないといけないのはわかるけど、重すぎるのも違う気がする

・目指したい世界って、そんなヒエラルキーみたいな重たい組織だっけ??

・坂倉先生がおっしゃっていた、ここに来ると知り合いが5,6人いる、そこから世界が広がっていくような場所、ってすごくわかりやすいし、それこそ目指したいイメージ

・この公園から湧き出すみんなのアイデアや出来事を、課題ではなく機会や価値の種と捉えて大切に育てていきたい それこそがこの公園の唯一無二のアセットなんじゃないかな?

組織の形態についても、組織を地面から見上げるようなアングルだと、どうしてもピラミッド型のヒエラルキーになってしまいます。けれど、鳥瞰するようなイメージで風に乗って上から大きな視点で見ると、それは同真円状に広がりを見せていて、圧力や重力よりも波紋のような有機性を感じるから不思議。地の時代から風の時代って、こういう物を見るアングルのことなのか・・・??と、ちょっとスピったことも頭に浮かびます。笑

●葛藤を乗り越えて目指したい、時を超えた景色

「何かあった時、誰が責任を取るのか?」
「誰も彼もがやりたいことやり始めたら大変なことになる」
「そんなに重い活動は参加できない」

当然、そんな不安の声もたくさん上がってくるわけですが、それにしてもこのパークらぼへの参加を通して改めて気がついたのは、自分という人間がだいぶ楽観的な人間だったということ・・。人が想像する楽観と不安のインジケーターがあるとしたら、自分の目盛はだいぶ楽観側に寄っていて、不安側にそれほどの目盛が存在するということに気がついたことすらありませんでした。単純に世間と自身との意識のギャップですが、そんな当たり前のことも、ひとりの区民としてこの場に身を置いて初めて得た気づきなのです。

でもでも、私はそれでも、美点を凝視したい。

理想を強く描きたい、そういう人です。。だから、今日の後半の古墳時代の話はとても胸に残りました。(玉川野毛町公園には古墳があります)

「古墳を作ってた人たちも、遠い昔のこの地域の住民で、自分たちと同じなんだ。」

確かに・・・!

きっと昔の人も同じように、この地域で新しいことに挑戦したり工夫したりして、少しでも毎日を豊かにしようと色々試行錯誤してきたのです。。。

ここで都市大の坂倉先生がまた快心の発言をしてくださいました。

「今みなさんがやっていることは、まさにコモンズの再構築だという気がします。これまでの時代で置き去りにされてしまった、本当に大切にしたいものを見つけて、みんなで守っていく作業です。」

本当にその通り・・。

この数ヶ月で悩んで煮詰まって、でも諦めちゃいけない気がして、その度に誰かが掬い上げてきたものは、これからの100年で本当に大切にしたい何かだったんだと思います。それを次の時代に繋げたいのだと、思うのです。

今でもはっきりと覚えている、このプロジェクトの初回シンポジウム。
坂倉先生が壇上で、「100年先の未来を考えてこの公園を考える・・」という話をされていた時、公園の間近に暮らしている私はバリバリクレーマー脳だったので、「自分の明日の暮らしがどう脅かされるかも不安なのに、100年先のことなんて考えられるか!!何言ってんだこのヒト・・」とだいぶ失礼なコメントを心でつぶやいておりました。。

それがどうでしょう。今私は本気で、
100年前、もっともっと前の古墳時代の人たちと自分たちが遥かにつながっている感覚を持てているわけですから、自分の進化に驚くばかりです。www

そして、今の自分たちの生活を少しでも良いものに前進させようと試行錯誤することで、100年後、ここにいる人たちが誰もいなくなった世の中に、何かを繋げられるのかもしれないと思っています。

さ〜〜〜てパークらぼ、これからが本番中の本番です!ぜひ今後の展開もお楽しみに。。。♪

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