たべたものはたべたかったもの?

と、目の前のきれいに食べ終わった皿をみてふと思った。

今日は納豆ご飯と味噌汁と魚のフライとりんご。

どれもこれもすきだけど、おいしかったけど、まさに今これらをたべたかったかと聞かれれば、違う。

わたしは明らかに、ハンバーグとポテトとシチューの気分だった。

でも、冷蔵庫の中に、賞味期限がもう少しの納豆と豆腐、お買い得パックのもう一切れを冷凍したい魚、ちょっと傷みそうなりんごがあったから、それらをたべたいように料理した。
ハンバーグとポテトとシチューの材料はなかったから、はじめっから納豆ご飯と味噌汁と魚のフライとりんごがたべたかったみたいに料理して、並べて、たべた。

料理ってそういうもの。いつもたべたいものをたべてるようで、限られた中から、わたしはこれがたべたいんだと思い込んで、たべてる。

そう考えたらなんか悔しくなってきたよ。

だってさ明日もし死んじゃうとしたら、死ぬ間際にやっぱりハンバーグとポテトとシチューたべておきたかったって思うと思うもん。

本当にしたいことして生きるって、超難易度高いのかもしれない。

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