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歓迎されたら、そこは自分の居場所の入り口なんだ

先日、こんな体験をしました。
ちょっと気分転換にいつもより遠くまでドライブをしたとき、お昼も過ぎていたのでどこかで何か軽く食べたいな〜なんて思いながらGoogleマップで近くのカフェを探していました。

郊外だったのでそんなにお店が多くないのですが、現在地からも比較的近くて評価も良さげなカフェを発見。
「アットホームで…」「お店のお母さんの笑顔が優しくて…」という温かそうな雰囲気の口コミが多かったのでここにしようと車を走らせました。

いざ到着してみると、一見普通の家のような趣。
でもカフェの看板はあるし、せっかく来たからと思って引き戸を開けてみました。するとお客さんはおらず、お店のお母さんが何やらテレビを見ているようでした。

私「あの…お店やっていますか?」

お母さん「あ〜、お茶ですか?」

私「いや、ランチなんですけど…」

お母さん「あ〜…、ランチ…」

私がランチを食べたいということを伝えるとなんともバツが悪そうにされるお母さん。営業時間中のはずでしたが、この時点で私は歓迎されていないように感じます。

お母さん「うちのランチはね1,250円でごはんとおかずとサラダとデザートがついてるんですよ。準備に時間がかかるんですよね」

とにかく準備が大変だということを伝えられたので、私はランチをいただくことなくお店を後にしました。おなかは満たされず、言葉にできないモヤモヤした気持ちだけをもらって帰ることになりました。

このモヤモヤはなんだ??とずっと考えていました。

私も飲食店の経験があるのですが、私もあのお母さんのような振る舞いをしていたことがあるのだろうか?
あの時どんな風な対応だったら私は満足していたのだろうか?

そんな風に自問していて、行き着いた答えは「歓迎すること」でした。


お客様はいつも不安を抱えている

私が思うにお客様は基本的に不安な気持ちを抱えてお店に訪れているんじゃないかと思います。

「席は空いているだろうか」
「食べたいメニューはあるだろうか」
「ちゃんと提供されるだろうか」

など、言葉にするまでもないけど感じている小さな不安っていろいろある気がします。

そんな不安な気持ちをまず最初に緩和してくれるのが「いらっしゃいませ」という店員さんの挨拶です。飲食店に限らずアパレルでも雑貨店でも、入店していらっしゃいませと言われるか言われないかでお店の全然印象は違います。

入店してすぐのお客様と店員さんはまだコミュニケーションを取っておらず、お互いのことが何もわからない状態。
そこで迎え入れる店員さん側が「私たちはあなたを喜んでお迎えしますよ」という意思表示が「いらっしゃいませ」という言葉だと思います。

何気なく立ち寄ったアパレルショップでも、がっつり接客されるのは苦手だけど「いらっしゃいませ」と言われるだけでそのお店に居やすくなります。

私が販売員の頃、「いらっしゃいませ」というのは「私はあなたの存在に気づいていますよ」というサインでもあるということを教わりました。

どんなお店でもお客様側としては人の敷地に足を踏み入れるのだから、何も言われないと居心地は良くないですよね。


歓迎の効果

お店に限らず、新しい環境に飛び込むときも一緒です。
引越しや異動、イベントの参加など周りから歓迎されているかどうかで自分が出せるかどうかが決まると言っても過言ではありません。

安心、安全が確保されているかどうか。それがとにかく大事。
警戒心を持っていると素の自分をさらけ出すことはできません。

私はワーホリでオーストラリアに滞在していた時、ウルルの近くで住み込みで働くことになったのですが、情報が少なくてどんな生活になるのかわかりませんでした。
しかし、すでに住み込みで働いているメンバーが歓迎してくれ、生活に関すること仕事についても親切に教えてくれました。おかげで砂漠地帯での生活にもすぐに馴染むことができたのです。
到着した日に、一人の子が「ここは安全だよ!」と言ってくれたのがとても印象的でした。

販売員の時も異動先の店舗で歓迎してもらえると、みんなの輪の中に自分の席が用意してあったようでとても嬉しかったのを覚えてます。
店舗でも仕事でもコミュニティでも歓迎することがスムーズなコミュニケーションのスタートになるんですよね。


歓迎することは相手を尊重すること

さて、前述したランチをいただけなかったあのカフェで私はどんなことを期待していたのでしょうか。

実際のところ、「いらっしゃいませ」と言われるだけで全然違っていたと思います。

私が入店した時にお店の女性にいらっしゃいませとは言われませんでした。
それからランチを出すのには時間がかかると言われたのですが、

「え?それって作るの面倒くさいとかそういう感じ?
お茶ならすぐ出せるけど、ランチは準備が大変だからあんまり注文して欲しく無さそう…」

そんな思いが湧き上がってきました。
でも、最初にいらっしゃいませと言われていたら。

「きっと今仕込みが切れちゃったのかな。タイミングが悪かったかな」

とその状況も肯定的に受け止められていたのではないかと思います。
それは「いらっしゃいませ」という言葉によって歓迎されているという感覚が前提にあるからです。

するとお店のことを理解しようと歩み寄り、お店に対する許容範囲も広がっていくのではないかと思います。たとえ求めていたサービスが受けられなくても相手を尊重した対応であれば、嫌な気持ちにはならないでしょう。


居心地の良い場所が提供しているもの

お店にしろコミュニティにしろ、居心地が良いと感じる場所に共通しているのは自分の居場所があるという安心感があることです。安心感の中には歓迎や尊重も含まれています。

お気に入りのカフェにあしげく通う常連さんは提供されるコーヒーだけではなく、この安心感を求めてきているのではないでしょうか。
仕事では見せない一面も趣味の仲間同士の間では心置きなくさらけ出せるのも、素の自分を受け止めてくれるという安心感があるからですよね。

自分が素でいられる場所で過ごすことで心身共に寛ぎ、癒され、そして他人軸に偏りがちだった自分や別人を装っていた自分もリセットされる。
ブレてしまっていた自分をニュートラルに戻す儀式にも似たことかもしれません。

そんな渡り鳥が羽を休める場所のように安心安全な居場所が、店員さんの「いらっしゃいませ」の歓迎の言葉と共に増えていくといいなと思っています。





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