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Positive Discipline 1 アドラー心理学に基づく子どもとの関わり方

怒らない子育て、自己肯定感を育てようなどなど巷には様々な教育方法が溢れています。最近のブームはモンテッソリー教育でしょうか。

私が以前勤めていた学校でも「内的動機付け」「協働」に重きが置かれていました。

しかし、これまで多くの子どもたちを見てきて個人的に思うのは
●どの教育スタイルも一長一短であること
●子どもの性格によって教育スタイルに向き不向きがあること
●子どもの発達段階や目標で合う教育スタイルが変化すること

例えば、「内的動機付け」で言えば、ABA(応用行動分析)では自閉症児に内的動機付けで成長を促すことは適切でない、と言われているそうです。
これ、自閉症児に限ったことだけではないと思います。
だって、将来の目標が中学生で定まっている子もいれば、大人になっても迷走している人もいて、目標なんか必要ないよ、という人もいるわけで。興味があるものも人それぞれ。前者が幸せで後者が不幸せかと言われるとそうでもない。「幸せ」の基準は人それぞれ、つまり子ども次第。

一方、「子どもに幸せになってほしい」という想いはほぼ全ての親に共通する想いだと思います。そのために、より良い環境を、より良い教育を、と考えるのも自然なこと。

今回は、私が以前取得した資格「Positive discipline classroom educator/parenting educator」に基づいた視点での子どもへの声掛け一例を紹介したいと思います。(残念ながらこちらの資格は日本語で取得できません。ただ、この資格を取得し、日本語に訳した形で保護者向けの勉強会をしている方もいらっしゃいます。 )
前述したように、この考えが「正解」ではありません。あくまで、数ある教育方針・手法の選択肢の1つだと思って受け止めて頂ければ幸いです。

Positive disciplineはアドラー心理学に基づいた子どもとの関わり方を提案しているものです。
「肯定的なしつけ」と訳されることもあるようですが、この「しつけ」という言葉に私は疑問をまず覚えます。なぜなら、私がこのPositive discipline を学んだ時、最初に受けた印象は「子どもを一個人として尊重した向き合い方」だと感じたからです。確かに親が子どもに規律を教えるというところもあるので、「しつけ」が間違いというわけではないのです。しかし、どうしても「しつけ」と聞くと、親や大人が子どもに”教える”というイメージが拭えません。このPositive discipline で挙げられている実践例は「教える」ではなく「考える」を促す声掛けで溢れています。なので、私が訳するとしたら「肯定的な導き」でしょうか。

親が子どもに身につけてほしいスキルと性格

研修は、こんな質問から始まりました。以下がその時の参加者から出た言葉の抜粋ですが、みなさんはいかがでしょうか。

・自信
・忍耐力
・逆境に耐える力、打ち勝つ力
・共感力
・思いやり
・愛
・自己規律
・リーダーシップ
・柔軟性 (心の広さ、偏見のなさ、新しい考えを受け入れる柔らかさ)
・好奇心
・助けを求められる人であること
・好きな仕事ができること、仕事を楽しめること
・感謝できること
・正直さ
・幸せであること

参加者には色々な国出身の人がいましたが、この辺りは万国共通に近いのかなと感じました。


さて、「やめなさい!」「~しなさい!」が口癖になっている方いませんか。
頭ごなしに指示を出していませんか。
私はこれ、教師になりたてのころの口癖でした。
この命令口調、とくに小さい子にとって、体の大きな大人に言われることは、とても威圧的に感じてしまいます。

この研修の最初に問われました。

「このような言葉を毎日聞いて育つ子どもは、今挙げたスキルを身につけますか?」


”○○な子に育ってほしい”という言葉にご自身の口癖を当てはめてみてください。
例えば
 「勉強しなさい」と言われた子にリーダーシップが身につくのか。
 「スマホ触り過ぎよ、やめなさい」と言われた子に自己規律が身につくのか。
 「喧嘩やめなさい」と言われた子に本当の思いやりが身につくのか。

Positive discipline の声掛け方法と結果の学び方

ジャケットを着たがらない子ども
最近寒くなってきましたが、外出時どんな声掛けをしているでしょうか。
「寒いからジャケット着なさい/着ようね」
となっていませんか?

言葉でのコミュニケーションがまだ不可能または不安定な乳幼児期なら、親子のコミュニケーションとして問題ないかもしれません。
一方自分の意思をハッキリと示すことができる年齢の場合はどうでしょう。
何を着るのか、受け身の姿勢が身についてしまいます。子どもが考える機会を失っているのです。

「寒いみたいだけど、何着ていく?」
「お外の天気はどうかな? 何着ていく?」

子どもに考え決めさせましょう。

親心としては、
・外に出て寒かったら可哀そうだな
・風邪ひかれたら大変だな
・寒い、と不機嫌になったらやだな
などなど、できれば事前に面倒なことは予防して起きたいですよね。

しかし、これでは子どもが「ジャケットを着ないこと」で何が起こるのか学ぶ機会も失うのです。そして、これは子どもが自分の「決断」に対して「結果(責任)」を学ぶ機会でもあります。

寒くて辛かった
寒かったから一度ジャケットを取りに戻らなければならなかった
寒くて公園に長くいられなかった

これらは、ジャケットを着ないと決断した子どもが受け入れるべき結果です。

他の例を見てみましょう。

朝ごはんを食べてくれない子ども
試行錯誤、親ばかり疲れる結果になっていないでしょうか。
こちらも先ほどの例と同様、低血糖になって危険な年齢など発達段階によっては無理にでも何かを食べさせる必要があるかもしれません。
お昼まで何も食べなくても直ぐに健康に害の出る年齢でなければ、頑張るのをやめてしまっても良いかもしれません。

子どもが朝ごはんを食べない場合、そのままご飯なしで過ごさせましょう。
10時くらいになって「お腹空いた~」と泣きつくかもしれません。
そうなっても、おやつや軽食など与えてはいけません。

・朝ごはんを食べないとお腹がすく

ということを学ぶチャンスです。
ここで何か食べ物がもらえると、「朝ごはん食べなくても大丈夫」と子どもは学びます。お菓子好きの子の場合は、お菓子が食べたいがために食事しない、ということを学んでしまう可能性も。
「朝ごはんを食べなかったあなたが悪いのよ」と突き放せと言っているわけではありません。

「そうだよね。お腹すくよね。」
「お腹空いたよね。食べたいよね。12時になったら一緒にご飯いっぱい食べようね。」

と気持ちには寄り添ってあげてください。

小学生のお子さんであれば
「給食まで頑張ったんだね。」
寄り添ってあげることができます。

Kind and Firm (優しさと堅固さ)

 これはPositive discipline のキーワードと言っても良いくらい大切にされています。
子どもに愛情を示す、共感を示すといった優しさと譲れない線引き、ルールのバランスが大事だと言われています。

子どもの気持ちに寄り添いつつも、選択・決断による結果を自分で身をもって受け入れさせる、これを容易には曲げない堅固さも必要です。

Kindに偏っている場合、子どもはNegotiation(交渉)を学び欲求にキリがなくなり、
Firmに偏っている場合、愛着形成、親との信頼関係に影響します。

選択肢を与える

「子どもに考えさせたってハチャメチャな考えしか出てこないよ」とお思いの方、私も同じ考えでした。

そこで、選択肢を与えるようににしてみてはいかがでしょうか。

「朝ごはんはパンを食べる?ごはんを食べる?」

ここでシリアルが良い~と言う子にはスーパーで買い物する際に
「今週の朝ごはんはパンを買っておく?シリアルを買っておく?」と聞いてもいいかもしれません。

自分が選んだごはんです。途中で気が変わったとしても、それを受け入れさせましょう。

新しいことを始めて直ぐに上手くいくことは稀です。子どもにも適応期間が必要です。どんな手法もそうですが、まずは暫く続けてみて、その子や家庭に合う合わないを判断しましょう。
小学校高学年にもなってくると小手先だけの選択肢を与えても「どれも嫌」と言われて終わるかもしれません。相手が理解できる、納得できる話し合い、選択肢など年齢が上がるにつれて深い向き合いが必要になります。

Natural consequenceとLogical consequence

Logical consequence、日本語訳だと論理的帰結と出てくるのですが、どうもここのポイントと違うので私なりの訳で話を進めていきます。

Consequenceは先に挙げた、選択・決断による「結果」です。
Natural とLogicalの違いは、自然に起こる結果か、誰かが決めた結果か。

Natural consequenseの例は
朝ごはんを食べないとお腹がすく
雨の中、傘をささないと濡れる
といった自然な結果

Logical consequenceの例を挙げると
テストで赤点を取ると補習を受けなければならない
兄弟で取り合いの喧嘩になったら、その日その玩具では遊べない
など、社会や学校、家庭のルールに近いものでしょうか。

このLogical consequence、よくPurnishment(罰)と誤解されがちですが、罰ではありません。
罰というのは、
・喧嘩したらおやつ抜きよ!
・遅刻したら校庭5周!
のように原因と結果が直接結びついておらず、単に相手に苦痛・不快な思いをさせるためのものです。

Logical consequence(論理的に与えられた結果)なのかpurnishment(罰)なのかを見極めるポイントとしては、特権・権利と結びついているかどうかが挙げられます。
例えば、教員時代生徒によく聞かれました。
「音楽を聴いたほうが集中できるので聴きながら課題をやってもいいですか。」
実際に音楽を聴きながら課題をやらせて、課題の質が上がった、課題を終える速度が上がったなど効果があれば、そのまま許可します。もし、質が下がった、課題が進まなくなった場合は逆にその子が課題中に音楽を聴くことを禁止します。
「音楽を聴く」という特権の有無がLogical consequenceとして提示されることになります。

その他にも挙げられている大切なポイントとしてLogical consequenceは、

・子どもの行動、選択に関連づいていること
・子どもの尊厳が守られていること
・妥当であること 
・子どもに役立つことであること

車で遊びにでかけるとき、車内で激しい兄弟喧嘩が始まったら嫌ですよね。ゆっくり運転に集中できません。そういったことがよく起きる場合の対処法として挙げられている例を紹介します。

事前に兄弟喧嘩が始まったら車を止めるということを話しておきましょう。
車を止める理由は、運転に集中できないからです。運転に集中できないと家族が安全ではありません。喧嘩が止まらないのであれば、遊びに行かず帰宅するという選択肢もあるでしょう。

この「車を止める(遊び場につかない、遅れる)」「帰宅する」というのがLogical consequenceになります。

他にも家庭で起こりそうな場面として
お弁当箱を夜8時までに出さなかったら翌日のお弁当なし。(お小遣いから買うか昼抜きか)
脱いだものを裏返したまま洗濯籠に入れたら洗濯しない(着るものがなくなる)
などでしょうか。

このように「結果」を受け入れさせることで、子どもは自分で考え選択、行動していくようになります。
言い方を変えれば、親が子どもの行動を決めるのではなく、子どもが自分で決めるのです。親は子どもの意思、選択を尊重します。


こうして挙げてみると、完璧に実践するには先にこちらが挫けてしまいそうです。相当な決意と忍耐力が親にも必要だなと感じます。

まずは、各ご家庭で「譲れること・譲れないこと」最低限の線引き部分だけでも実践してみてはいかがでしょうか。

(余談)
たまにテレビや実生活でインターナショナルスクール信者のような親に遭遇します。が、特に小さい頃は子どもの性格によっては日本の小学校で手取り足取り指導される方が向いてそうな子もいますよ、と実際にインターナショナルスクールに務めた経験から思います。
インターナショナルスクールにも良いところはありますが、日本の学校にも良いところはたくさんあります。表面上掲げられているものだけで優劣をつけても意味がないかなと。
響きや流行りに惑わされず、目の前の子どもに合った環境は何か冷静に考えられた良いですね。実際はそれが難しいのですが。




 

 


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