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教師という仕事で得たもの

#私がこの仕事を選んだ理由

について今回考えてみました。

転職の決意

新卒で入社したのは地元の専門商社です。
幸い私の周りの人間関係は良好で、仕事も大きな問題なく過ごしていました。
しかし、働き始めて暫くすると
本当にこのままで良いのだろうか
という想いがふつふつと湧いてきます。

地元で家族もいる
会社も仕事も嫌いじゃない

私の人生、このままゆる〜く終わるのかな。

学校に行くのが当たり前
テスト勉強するのが当たり前
大学に行くのが当たり前
就職するのが当たり前

レールから外れるのを怖がり
周りに遅れをとるのを怖がり

結果何にも挑戦しないまま過ごしてきた学生時代。

私の人生これでいいのかな?

海外に出たい
世界を見たい·知りたい

そんな想いをどこか封印して、そういうもんだと過ごしてきました。

しかし、当時24歳
このまま終わりたくない!
と思うと同時に
楽な環境に居続ける恐怖も芽生え始めていました。

初めてレールを外れる恐怖で心臓バクバクさせながら辞表を出したのを今でも覚えています。最後は
ここで挑戦しないと後悔する
その想いだけが背中を押してくれました。

青年海外協力隊参加

会社をやめる前に日本語教師の資格を取りました。
理由
·海外で働くのに使える資格であること
·カナダの語学学校で出会った英語の先生たちを見て楽しそうだと思っていたこと
·学校という場所が好きだったこと

日本語教師養成講座の先生にいつも「政府派遣が一番安全安心、待遇も良く、今後の経歴にもなる」と言われていたこともあり、青年海外協力隊の募集を見ていたところ、どうも派遣先の多くは中国。(特に未経験者は)
当時、中国からの求人はたくさんあったので、中国へはいつでも行けると思っていました。
せっかく国の力を借りて行くのなら、一人ではなかなか行けない場所に行きたい!と一旦日本語教師になることは保留にし、理数科教師でアフリカを目指すことにします。

これが私の教員人生の始まりです。

教育で世界を変えたい!
教育で子どもの未来を変えたい!
という壮大な夢でも目標でも、高い志があったわけではありません。
青年海外協力隊で世界を救うぞ、なんて熱意もなく。

ただもっと世界を見たかった。
旅行でなく、住んで本当の姿を見てみたかった。
好奇心だけの自分本位な理由です。

教員にならなかった理由と結局なった理由

大学生のころは学習塾でアルバイトをし、教員免許も取得しました。
その経験から、就活では教員を目指さないことにしました。

一番の理由は、子どもの未来を背負う責任の重さを受け入れる覚悟がまだなかったことです。
どんな仕事にも責任はあると思います。私にとっては「人の人生に大きく関わること」「人の人生に直接影響を及ぼすこと」が一番重圧を感じる責任でした。特に多感で影響を受けやすい10代の子に自分が中途半端な気持ちで迷いのある状態で関わってよいのか不安でした。
加えて、24時間気持ちが休まらないと感じたことです。教員の仕事は毎日がプレゼンテーション。常に数十人を前にパフォーマンスをしなければなりません。常に人に見られ人に評価される仕事。もちろん慣れていない私は、教育実習中の週末遊びにでかけても頭の中は次の授業のことでいっぱい。休んでいても頭の中に常に授業のことがあり、何十年もその生活を続ける自信がありませんでした。

それでも教師として青年海外協力隊に参加しようと思えたのは、
2年間という限られた派遣期間であったことで、現地の子ども、教育に集中する覚悟を持てたからだと思います。また、教えること自体は好きでした。

実際、2年間「教師」という仕事をしてみると
心が休まらないと感じていた授業準備が逆に楽しく思えるようになりました。
授業準備の一番大変なところは、実際の準備よりもアイディア出しです。
どんな活動だったら興味を持ってもらえるか、どんな流れだったら生徒・学生が頭を使って考えるだろうか、どんな質問の仕方が効果的だろうか、良い教師は常に創造的です。
良いアイディア、試したいアイディアが思い浮かぶ度に、生徒・学生たちの輝く目を想像し、わくわくするようになり、授業が盛り上がると一日中幸せな気持ちでいられます。生徒・学生と過ごす時間が長くなれば長くなるほど、その子たちへの愛情も深まり、この子たちのためにもっともっと良い授業を、良い時間を!といくらでも自分の時間を使うことを惜しまなくなる自分がいました。
結果、結婚して子どもができたら続けられない仕事だなーとも思うようになってしまうのですが。
また、生徒・学生から得る愛と学びは無限です。私も数々の洗礼を10代の多感な子たちから受けてきました。信頼関係を築くまで、特に若い教師に対しては子どもたちは様々な角度から挑戦してきます。試してきます。この教師はどんな人なのか、信頼してよいのかテストされる日々。また、日々のちょっとした言動で一気に信頼関係が揺ぐことも。一人家で涙を流す日も少なくありません。学校に入る前、教室に入る前、怖くて全身震える日もありました。それでも、それ以上に彼らの愛で救われる日があります。素直にぶつかってくれるからこそ得られる学びも毎日のようにあります。
完璧も終わりもない仕事、子どもと一緒に進化していける仕事に魅了されていきました。

教師という経歴の価値

青年海外協力隊としての2年を終え、もっと世界ではどのような教育が行われているのか知りたい!と思うようになりました。
そして、約1年間の日本語学校勤務を経て、次に得た機会がアメリカ・ハワイでの2年、それから縁があって日本で6年間教師という仕事をさせてもらいました。

教員歴が10年が迫ったころ、また新たに漠然と不安が押し寄せます。

教師になったばかりのころは、「企業での勤務経験」がどこかで心の支えになり、加えて20代だったので、いつでも転職できると思っていました。
しかし、企業での勤務経験が遠い過去の経歴となり、教員の経歴ばかりが私の履歴書を埋めるようになると、「教員しかほぼ経験のない私を誰が採用したいだろうか」と今後の人生教員以外の道が絶たれてしまう不安を持ち始めたのです。人生の選択肢が減っていく漠然とした不安です。
また、当時の勤務校では、海外のカリキュラムに沿って日本語と英語で理科を教えるという特殊な環境だったため、日本の受験指導経験もなければ全て英語で指導する経験も積めていません。自分の強みを最大限活かせる職場でしたが、一方この学校への依存度が高まっていくような感覚があり、それが不安を助長させました。

相変わらず仕事は好きでしたが不安と共に持ち始めた不満もあります。
それが仕事の評価です。

進学校や就職に力を入れた学校でもなかったので、”進学率” ”就職率” ”全国模試の結果”など数字で得られる客観的な評価が全くありませんでした。

全て誰かの主観的評価です。
仕事を任せてくれる、頼ってくれるといった点で”認められている”という手ごたえはあっても、客観的に自分がどのくらい仕事ができるのかを示す値がありません。

今後に向け転職を検討し始めたとき、余計に痛感しました。
職場内の主観的な評価は外では説得力を持たせることが難しい。

では、数字で示せないと何の価値もないのか。

そんなことはない、自問自答する中でた答えです。

教師の経験を通して磨いたもの
1. 状況を把握する力
  教員は教室(その空間)の責任者です。数十人の人間の様子を把握し、対応する力が求められると同時に1人1人にも目を配る力も必要です。学年全体、学校全体の状況も見ています。森も見て、木も見ています。
2. 先を見通す力と計画力
  子ども一人ひとりの成長に合わせて計画を立てていきます。何をしたら子どもがどのように反応するのか、どのようなスキルが伸びるのか学びの先にあるもの常に意識しています。
3. 柔軟さ
  全く同じ子ども、同じ集団は存在しません。計画通りに物事が運ぶことの方が稀です。それに合わせて常に計画を見直し、修正していく必要があります。
4. 危機管理能力
  学校で起こることの多くは監督した教員の責任になるのもあり、良くも悪くも子どもたちは結構好き勝手やってくれます。特に年齢が低くなればなるほど、悪ふざけや冗談と超えてはいけない一線の境界線が分からなくなります。教師は先を読んで色々な場面を常に想定して動いています。
  校外学習、理科の実験などでは特に先に先にと動いています。  
5. 瞬時の判断能力
  危機管理能力ともつながりますが、子どもが危険にさらされたとき、想定外のことが起きたとき、一瞬で判断し行動する必要があります。咄嗟の時の状況把握と判断力はかなり身に付いたと思います。
  集中できていない子にどう声掛けするか、授業が計画通り進まなかったときはどこで切り替えてアプローチを変えるのか、子どもたちの冗談をどこでいじりと判断し止めるかといった日々繰り返される場面から、怪我に繋がる状況まで、子どもと過ごす時間は1分1秒常に判断を求められる仕事です。
(その反動かプライベートでは極力判断・決断するのを避けるようになってしまいました・・) 
6. マルチタスク
  あの準備をしている間に、こっちの作業を終わらせる。ある子を指導しながら、別の子の進捗状況を確認する。クラス全体にも目を配る。
学校にいる間、頭は常にフル回転です。
7. 聞く力と共感力
  子どもの声、心に常に耳を傾ける必要があります。今目の前にいる子が求めていることな何か、この子に必要なものは何か、常に相手に寄り添い時には厳しく、時には包み込んであげることも子どもの成長には必要不可欠です。


教師の仕事って他の仕事でも使えるスキル盛りだくさんではないか!
胸張って言えるスキルがたくさんある!

そう思えるようになりました。
それが見えたころ、面接にも呼んでもらえるようになった気がします。
(コロナ、家庭の事情で転職までは実現しませんでしたが)

アメリカと日本の教員経験に対する評価の違い

社会人経験を積み教師になると評価されるのに、教師になって企業に転職しようとすると敬遠されがち、教員経験があまりプラスにならないのはなぜだろう。
教員養成に携わっている大学教授とそんな問いを共有したことがあります。
教師は世間知らず
そんなイメージばかり先行している気がします。
先に挙げたように、教師という仕事は教科の知識だけでなく、様々なスキルが求められます。
勿論、教師になっても適当に授業をこなし、適当にやり過ごしている人、立場に甘んじている人はそのようなスキルも大して身についていないかもしれません。でも、それはどの業界、どの職種でも同じこと。
時代の変化と共に教育に求められるものも変わっていきます。
スマホが年々進化していくように、授業で活用できる新しい技術・プラットフォームにアンテナを張り巡らせ、今後社会で求められるスキルについて考え学び、それに合わせて授業のスタイルも変え、社会の傾向に教員も敏感である必要があります。
確かに、日本の学校は指導要領・受験までのスケジュールに縛られ、現場は遅れている印象があるかもしれません。しかし、一方で多くのしがらみの中、より時代にあった教育を目指し奮闘している現役教師にもたくさん出会ってきました。

それにも関わらず、なぜ教育の世界だけこんなにも他と違うと切り離されるのでしょう。


業種を超えた転職を具体的に考え始めたのは、パートナーとの結婚が決まり、いづれアメリカ移住することが現実的になったころでした。
アメリカで教員が続けられるか不明だったことに加え、今回話してきたような不安があったからです。
特にアメリカで、英語ネイティブでない私が仕事を得るには、実績や経験が必要だと考えました。そして、当時「教師は世間知らずのレッテルを貼られる」という呪縛に私は捕らえられていました。

ところが、
ある日営業職にも履歴書を送っていることを知ったパートナーに言われました。

「営業職の経験はアメリカではプラスにならないよ」

営業職が良い悪いではなく、教員経験が営業職の経験を十二分にカバーできるという意味です。

アメリカでは、誰が好き好んで教員になるの?!というくらいストレスの多い仕事として考えられています。
確かにアメリカの子どもをうまくまとめるのって日本の数十倍大変そうですよね・・・
モンスターペアレントのレベルも日本の想像を遥かに超えそうですし・・・

実際、日本で教師をしているアメリカの人たちでアメリカに戻って教師を続けたいと言っている人に出会ったことはまだありません。
また、アメリカにはTeach for Americaと言って、希望者を教員が不足している地域に送るプログラムがあります。参加者は教員免許を持っていなくてもよく、免許取得の支援を受けたり、さまざまなベネフィットがあります。
ハワイ大学でも教員が足りない教科の教員免許が取れる大学院のコースは全額奨学金が出るプログラムがあるなど教員不足への支援は多々あります。

話は戻りますが、そんな印象の仕事ですので、アメリカで教員経験は
・コミュニケーション力がある
・リーダーシップ力がある
・判断力がある
・ストレス耐性がある
・仕事をきちんと進める力がある
などなど、意外と高く評価してくれるようです。
目を見張る実績のない営業経験より信頼度も高いと。

教員以外でもアメリカでは日本より評価が高い職種もあれば、逆に日本で一般的には凄いと思われそうな仕事が最低賃金だったりします。所変われば、その仕事の印象・評価も変わるようです。


色々書いてきましたが、これまでを振り返ってみると、
どんな経験も強みになる。
広く浅い経験でも、狭く深い経験でも、そこにどのような価値をおけるか。そして、それを自信に繋げアピールできるのか。
捉え方次第なのだと思いました。
それは日米問わず共通しているのではないかと思います。

最後はまとまりが無くなってしまいましたが、今日はこの辺で。




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