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立場が弱い≠認められない

最近、年上の社会人の方と喋る機会が増えてきました。

僕はダンスをやっているので、先輩ダンサーとのひょんな関わりから、また新たな関わりが出来て、、、カメラもやってるから映像系の人と関わって、、、
という感じに。


今までは同年代(歳の差が1〜3くらい)の人しか関わってこなかったので、
6歳から10歳上の人と喋ることはめちゃくちゃ刺激になる。



でも、色んな大人がいる。

もちろん初めからすごい大人に出会えるようになったわけじゃない。
いろんな年上の人に会ってく中で、だんだん「すごい。。。」と思わされるような方々に会えるようになってくる。

関わる人のレベルを上げて行くことが、自分の感覚を研ぎ澄ますために重要なことだと感じる。


そこまですごくない人を「凄い」って勘違いしなくなるし、自分はまだまだだなって思い知らせてくれる。

自分が今まで、いかに低レベルの感覚でいたのかを思い知り、いたたまれなくなる。


その人が動いてるところ、言動を見てると努力量、人間性が桁違い。
コミュニケーションも100%の気遣いができる。
コミュニケーションや人との関わりなんて、8割くらいでできれば難なくやってけるけど、100%気を回した行動や対人コミュニケーションができるという人はほとんどいない。だからそれができると信頼性が格段に上がる。
「この人はそこらの人とは違うな」と周りは思う。

それは、他人への想像力を最大限に働かせられるということだと思う。

これやられたら嬉しいだろうな、これやったらあの人の行動変わるんじゃないか。
先の心理まで想像できる。

そして自分のやること、やったことには最後の最後まで責任持ってかたをつける。どんなに疲れてても。

そして日常的に忙しい。タフ。


自分の感性に刺さる人やその人達からの言葉を、どれだけ慎重に、自分の中に落とし込めるか。

様々な人に自分の足動かして会って、刺激受けながら人生経験を重ねてく過程で、「あーこの言葉ってそういうことだったのか」「こういう場合はこうすればいいよね」「こういうことを言う人ってこういうタイプの人だよね、だから別の人と関わったほうがいいな」みたいに、人生経験が今浅くて理解できなくても、実際に体験した時に、腑に落ちるスピードが速くなるはず。自分の本来の目的を実現させたり、立てたゴールに向かうまでに早くたどり着けたりするはず。非連続な成長を続けられるはず。

何にでも言えるけど、遠回りすることが結局近道であるのはこういう理由だよね。


自分がこれから迎えるであろう年齢の人たちだから、この人の年齢まであともうちょいだなとか考える。
その年齢になるまでにそれほどの人間性、感覚を身につけていたい。


いろんな種類の人たちと関わっていると、自分の好き嫌い(=こういう人になりたい、こういう人にはなりたくない、関わりたくない)っていうのが高い解像度でわかったりする。

「自分ってこういう人昔から嫌いだけど、こういう人も嫌いなんだ。」
とか、

「こういう風に考えてる人素敵だなー、好きだなー」っていうようなことが新たに分かったりする。


僕は結構人の中身がよく見えてしまう。人の自己顕示欲や、「これは優しくない!!!」って部分が見えてしまうと、気分が悪くなる、その空間にいたくない。ストレスになる。(しかも見えてしまうその人の嫌な部分の数も多い)(僕の心が繊細すぎる)


だからこそ。僕自身、関わる人選びに関しては、異常なまでの執着がある

嫌なストレスを抱えないために。

面白い結果を出してる大人であっても、好きになれる大人もいれば、こんな人にはなりたくないと思う人もいる。


尊敬できる人のようで、実はこんな奴だったのか。。。なんてこともよくあるから。慎重に人を見る。

この人すごそうだなと思ってとりあえず会って話聞く。↓

  → 「この人は金と名誉のために動く人だな」

  or

  →「すごくあったかい人だな。純粋に世の中がよくなって欲しいって本気で思ってるんだな」

みたいなのが分かってくる。


その人が発する言葉を、なぜこんなことを言うのか、これをこう言うってことはどういう理由からなのだろう。。というのを考えながら質問して聴くとその人の行動の原動力だったり、その人がやってきたことがなんとなく雰囲気でわかってくる。

最悪だった例が、2、3個くらいのビジネスを1人で手掛けてる、30歳くらいの方と飲んだ時、「とことん努力する訳じゃない生き方も、その人の幸せだからそういった人を見下しちゃいけない。あくまでストイックにやりたい人だけやればいい」とか言いつつ、酔いが回ってきた時に「映像見る側じゃなくて創る側に立ちたい、見てるだけで満足してる人は一生それだけ見てろ」なんて言ってた。見てるだけの人にそんなこと言うなよ。


最初は「この人行動力もあってすげーな」って思ってたけど、結局その人の高い行動のモチベーションも金だったり名誉のためだったりするんだよな。

そんなモチベーションでも、行動量が多かったり、口が上手ければ結果を出せてしまう。

単純なその人の経歴やスキルで目立ち、社会的地位を手に入れられるのではなくて、その人がそれをやっている意味や、内側の人間性で仕事が生まれたり、人が繋がる。っていう世の中になって欲しい。

それには社会のルール、固定観念を変えなきゃならない。


だから僕は、社会の優しくない風潮に疑問を投げかけたり、社会の意識に良い影響を与えられるコンテンツを作りたい。価値がイマイチ見いだされてない商品やサービス,プロジェクトも、見方を変えれば立場が弱い人たちに寄り添えるポテンシャルがあるかもしれない。なくても作ることができる。



過去の報われなかった理不尽な苦しみがあって、ほんとに純粋な気持ちで、『こんな惨めな目を喰らった自分を変えたい、誇りを持てる自分の力で、関わった人が幸せになって欲しい。自分のやったことの影響で世の中が、身の回りが平和になって欲しい。それが出来ることが自分の幸せで、そういう人になって人生過ごしたい」っていう気持ちが起点で、爪痕を残したいとか、社会問題を解決したい。起業したいとか願ってる人が、僕の中では正義なんだ。

僕は苦しみが理解できる愛が深い人になりたいし、そういう価値観の人と仕事をしたい。


美しい人間性を持ってる人こそ、周りに対しての影響力を持てる(周りに認められる)世の中が理想だと思う。




まだ僕の実力はまだまだだし、まだ仕事を好き勝手選べる立場じゃないのかも知れないけど、こんな時期の俺でも、そういう愛のある人としか仕事したくない。協力したくないって思ってしまう。

まだそういうふうに生きていけるには時間がかかるかも知れない。


でも僕の目標はそこかな。



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