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趣深きクリスマス

11月1日。我が家では不敵な笑みを浮かべるジャックオランタンをしまうより前に、恰幅の良いサンタ人形が鎮座した。

愛するクリスマスの飾り付けを一秒でも早く出したかったのだ。張り切って、リースもミニ・ツリーも飾り付けた。オレンジのかぼちゃと赤帽白髭が共存する、まさにナイトメア・ビフォア・クリスマスな世界観となってしまったが、とりあえずスタートは切れたので良し。

それなのに、なんなんだこの暑さは。恐ろしくも25度超えである。暦の上では許されても、飾り付けの輝きと体感温度がちぐはぐで、気に入らない。

サンタと見つめ合っていると、達成感と共に違和感もわいてきた。脳裏に浮かんだのは、子どもの頃社会の資料集で見た「南半球は、日本と季節が逆!クリスマスは真夏だよ!」という言葉と共に添えられた写真、常夏のビーチで海パン姿に赤帽子、白鬚をたくわえたサンタクロースの姿。金髪の少年と共に、太陽にも負けぬ眩しい笑顔を浮かべていた。

それなりに楽しげだが、やはり違う。わたしの思うクリスマスは、こんな残暑の中で意識するものではない。冬の始まりに似つかわしくない。

同じサンタでも、真夏にやってくる彼はきっと恐ろしく陽気だ。そもそも夜ではなく太陽サンサン降り注ぐ真っ昼間に来るだろう。子ども達と肩なんて組んで、イェーア良い子にしてたかい!とはじける笑顔、グッドポーズで写真も撮ってくれそう。

違う違う、違う違う、そうじゃない。わたしの思うサンタは、雪の降る中、白い息を吐きながらやって来る。眠る子どもを起こさぬよう、そっと、そっと。どんなに寒くても、彼の笑顔、大きな体そのものが温かさを届けてくれる。そして、我々の心に灯りをともしてくれる。街は、寒さでキュッとしまった空気の中に輝くイルミネーション。そう、サンタを含めクリスマスは「風情」なのである。

信仰ではなく、年末のハッピー・イベントとしてクリスマスを捉えるのが大半の日本人であろう。そんな我々にとってクリスマスは、「冬の趣(おもむき)」なのである。この大イベントの支度は、年末を迎える心構えなのだ。寒さにかじかんだ手を擦り合わせ、年の瀬にしみじみするのだ。いとをかし。いにしえより風情を求める民族にとって、こんな素晴らしいイベントがあろうか。

わたしは、北風に冬の気配を感じ、身も心も引き締めながら色んなキラキラを飾り付け「よぅし冬がくるぞ、師走に向かうぞ」と張り切りたい。そして月日の流れる速さに驚き、嘆きたい。それこそがわたしの求める「趣深きクリスマス」。
この暑さではそれも興醒め。清少納言なら、わろし、と記すのだろう。

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