年上の友人と、心理学者と作家とわたし

河合隼雄さんのことを最近初めて知った。
地元で知り合った、年上の知恵のある女性に新型コロナの外出自粛中にLINEすると、わたしはこれまでに彼の著書を読んで、自分の物の見方と合うと思いました、というテキストが返ってきた。
早速スマートフォンで彼の名前を検索すると、大量の彼の著書の題名が表示される。全く彼のことを知らない者からすると、どれを選んでよいか分からないくらいの量なのだけれど、その中に 河合隼雄・村上春樹(1996)『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』岩波書店 というものがあったので、それを借りてみることにした。

村上春樹の著書なら知っているし、面白いと思って読んでいるので、村上春樹とわたしが信頼を寄せる感覚を持つ年上の友人(とお呼びする)が推薦する心理学者に会いに行く本なんて、なんだかわくわくする感じがする。

彼女が利用している図書館のオンライン予約システムは、予め図書館のカウンターで利用にあたっての登録が必要とのこと(自粛中は受付を停止)だったため、閉館しているけれども臨時の窓口を設けている地域の図書館に出向き、手書きの貸出用紙に記入して本を借りる手続きをとった。1週間くらいで準備が整いました、と連絡をもらった。

借りてきた本に起こされたお二人の対談が行われたのは1995年の11月、阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こった年だ。当時わたしは小学生だった。横倒しになった高速道路や連なって燃える民家、地下鉄の駅から運び出されるタンカに乗った人たちをテレビでみていて、本当によからぬことが起こっているという印象は、今でもわたしの中に喚起することができる。ただ、わたしはまだそれらのことを体系的に捉えようと試みたり、その上で思考したりするまで目覚めていなかった。その当時から大人であり、積極的な思考で社会をみてこられたお二人の対談を読んで、あぁ、そんな時代だったのかぁ、つまり成熟したものの見方をする二人の大人は、こんなふうに時代を捉えていたのだなぁ、と思った。過去のことを自分の中に、現在の発見としてみるのも面白い。彼らが日本人、というものを歴史を遡って捉えようとするところ、それを議論するにあたってのある程度潤沢な知識と、その知識をお互いが共有しているからこそのわかります、という多くの同意を含んだ会話を読んでいると、こちら側は若干の置いたけぼりをくらいながら憧憬し(どこの世界にもあることだと思うけれど)、しかしながらわたしも人間なので何となくわかる、というところが楽しい。

河合さんについては、精神的に参っている患者さんと対話するとき、必要ならば迅速にある種のアプローチをするけれども、基本的にはその人に寄り添って治癒するのを待っている、という旨をおっしゃっているのを読んで、この方は謙虚で懐が深くて、信頼できる人だなぁとわたしは思った。したり顔であれこれと指示を出すことばかりが好きな人たちを、わたしは好きになれないと思うから。

そういう河合さんと意気投合している様子の村上さんも、やはり謙虚な人なのだろうなぁと思う。
村上さんは小説を書くときの感覚をこの対談の中で、「壁抜け」と表現しているけれど、一つの物語を紡いでいくというのはたっぷりと体力と精神を使うとてつもないことなんだなぁ、と何となく分かる気がする。やったことないのでわからないのだけれど。村上さんはこの時『ねじまき鳥クロニクル』新潮社 を書き上げた後だということで、処女作からこの著書に至るまでも会話として簡単に記されている。処女作では暴力とセックスは扱わないと決めていたそうだが、『ねじまき鳥クロニクル』では暴力的なことを書いているそうで(この本は読んだことがない!)、著者である村上さんにも何故残酷な暴力を書くことになったのか分からない。今から何年も前に、同じく作家の川上未映子さんがおそらく朝日新聞で、作家は死んでも物語は生きる、ということを書かれた文章を読んだ記憶があるのだけれど、わたしはどういうわけか、そういう作家の方たちを信頼している。村上さんもあらゆる物語は繋がっている、というようなことをどこかで言われていたと思うのだけれど、本当に「個人的」な物語は、各々の人生という意味でも難しいのではないかとわたしも思う。だから完全な個人、というのが難しい立場において、そこから紡ぎ出される物語が個人的でないのはとても自然なことで、それがわからない、と言えるのは、やはり謙虚ではないだろうか。
そうしてわたしがこうして文章を書いているうちに思うことは、わたしはそういう謙虚さを信頼しているということ。
耳を傾けたいと思う人に出会って、本を読んで、文章を書いてみるのは、中々有意義に感じることである。

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