本音と嘘の匙加減。
昨日、少し悲しい出来事がありました。
去年から職場で仲良くしている方がいるのですが、その人はとても温和で優しく、誰の話も否定せずに耳を傾ける、周囲から「すごく良い人」と評されるような方でした。
そんな彼女と、昨日忘年会の後にもう一軒行くことになり、お酒を交えて普段より深い話になっていった時、いつも彼女から発されていた言葉の多くが、本心ではなかったことを知ってしまいました。
私はとても驚きました。
というのも、体裁を整えるような上辺の嘘や建前は結構感じ取れる方だと少し自負していたのですが、彼女の穏やかな笑顔と、いつも優しい空気感で発される言葉が、私には全く嘘に見えなかったからです。
彼女は私に「こんなこと話せるのはかなさんだけ。本当はいつもストレスを強く感じていたの。」と言いました。いつもの優しく穏やかな口調で。
私は驚きと同時にひどく悲しくもなりました。
こんなに優しく穏やかな雰囲気で、息をするように自然に嘘をつける人と出会ったことがなかったので、もしかしたら、呼吸と同じくらい自然な動作になってしまうほど、本音を隠して生きてきたのかもしれないと、勝手ながら想像してしまいました。
彼女の嘘には、悪意が全く感じられず、驚くほど自然だったのです。
「生きづらい」「人に心を開けない」
そんな悩みも吐露していましたが、それは本音で話していないからなのでは?と感じ、
「もっと本音で話してもいいんだよ」と伝えましたが、手ごたえを感じなかったので、この言葉はきっと届いていないのだと思います。
どこまでが本音で、どこまでが嘘なのか、彼女を理解することは今の私には出来ないのだと痛感し、未熟さを自覚すると共に、ひどく悲しい気持ちになる夜でした。
本音で話すと傷つくことがたくさんあります。
分かってもらえなくて悲しい。否定されて辛い。時には本音がぶつかり衝突することもある。
反対に「嘘も方便」という言葉があるように、嘘は傷つく心を守る防壁となり、メリットも多く、社会の中で生きるために必要な処世術であることは確かです。
しかし、その行為は”他者への信頼の裏切り”であり、「薬も過ぎれば毒となる」という言葉があるように、匙加減で自分自身をも苦しめる毒となることをしっかり念頭に置くべきかもしれないと、今回の会話で強く感じました。
私も自分が傷つくのが怖くて、空気を読んで嘘や建前を使うことがありますが、本音を話してくれている相手に対して、それはとても不誠実で、ひどく相手を傷つけうる行為だったのだと、反省の気持ちも沸き起こりました。
しかし本音すぎても怒らせたり傷つけたりする可能性があるので、「本音と嘘の匙加減」「相手への配慮ある伝え方」が大切だと感じた一日でした。
今日は少し愚痴のような記事になってしまいましたが、学びや気づきも多かったのでここに残してみようと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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