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自分の名前を、また少し好きになれた話。

私は本名にも「かな」という文字が入ります。
(正確に書くともう一文字あるのですが、ここでは”かな”と名乗らせていただいています。)
昔はあまり好きではなかった自分の名前。しかし大人になるにつれ、少しずつ、少しずつ愛着がわいてきて、今では名前で呼ばれることが嬉しいと思えるようにまでなりました。

今日はそんな私がまた一つ、自分の名前に歩み寄れた出来事があったので、noteに書いてみようと思います。

よろしければ、少しお付き合いください。






今日は、あっという間に時間が流れる一日でした。

「この世は儚いなぁ」

なんとなく夕暮れ時の空を見て胸からこぼれた言葉。

私の心には儚くて切ない気持ち、どこか物悲しくて、でもそれを愛おしく想う気持ちが沸き起こりました。


そこでふと、

「あれ、これって一言で表すと ”かなし” という言葉なのでは。」


私の脳裏に、中学時代の非常に苦労した「古文」の授業風景がいっきに蘇ってきました。

かな・し(形容詞)

【愛し】
しみじみとかわいい。いとしい。
身にしみておもしろい。すばらしい。心がひかれる。

【悲し・哀し】
切なく悲しい。
ふびんだ。かわいそうだ。
くやしい。残念だ。しゃくだ。
「Weblio古語辞典」より

皆さん、この「かなし」という言葉を覚えていらっしゃるでしょうか。

昔はこの言葉に、現在使われている「切なく悲しい」というニュアンスと、「愛しい」という二つの意味があったようです。

確かに二つに分けた方が言葉として使いやすい気がするので、「愛し(かなし)」の方が廃れてしまったのは納得できますが、
今日、私が感じた気持ちが一言に美しく集約されているのを改めて考えてみると、昔は今よりずっと心の情動を豊かに表現する言葉があったのかなと、そんな想像が自然と浮かんできます。


昔は詩歌の文化が盛んであったため、短い文に、言葉一つで感情や情景など、多くの情報を入れる必要があったはず。今よりも心の機微を巧みに表現されていたのでしょうね。

現代まで残らなかった言葉はたくさんあるかと思いますが、それを少し残念に思う気持ちにもなりました。


愛し。哀し。悲し。


もう少しこの言葉を調べてみると、どうやら奈良時代の万葉集などでもどちらの意味合いか分かるよう、「愛」の意味は「かなし(仮名文字)」、「悲」の意味は「悲・哀・憐」など漢字が宛てられる形で区別が見られたようですね。

ちなみに沖縄には「カナサン」という方言があるらしく、意味は「愛おしい、愛してる」という意味なのだとか。
すごい。方言として今でも残っている地域がありました。歴史を思うととても感慨深い気持ちにさせられます。



漢字が本格的に使われるようになったのは古墳時代ですが、もしかしたらもっと前、縄文や弥生時代から「かなし」という音はあったのかもしれません。その音は古代より、心の繊細な動きを表していたのかも・・・



と、今日はそんな想像が膨らむ一日でした。

自分の名前として縁のある「か」と「な」という文字。
恐らく一生涯を共にするこの二つの音は、私が知るより遥か昔から隣合わせで使われてきたのかもしれないと思うと、なんだかとても光栄なことに思えてきました。


皆さんの名前にも、きっと多くの意味が込められていることでしょう。
ご家族、ご親族など人々の想い。漢字や平仮名など文字が纏う意味。そして音の響きが持つ意味。

もしかしたら、まだ知らない素敵な意味が潜んでいるかもしれません。



今日はそんなことを思う一日でした。
では、今日はこの辺で。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます!


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