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四季を想う、祖父を想う。

「日本に生まれて良かったな」と、ふと思うのはいつも季節の変わり目。(皆さんはどんな時にそう思うでしょうか。)

一年の中で四つも季節があって、色づく花が変わり、木の葉の色が変わり、虫の音や鳥の声、香りや肌で感じる気温も変わり、私たちが生きるためにいただく食べ物も時の流れと共に移り変わります。

こんなに多彩な変化を楽しめるのは日本ならではかなと思うので、日本に生まれて良かったとつくづく思うのです。


どの季節が一番好き?とたまにそんな話にもなりますが、正直私は一番を決められません。
いつも次の季節の前触れを感じ始めると、楽しみな気持ち、終わってしまう名残惜しさ、一年後への待ち遠しさなど、様々な感情が混ざり合います。

つまり、季節を感じることが大好きなんですね。笑
四季の移ろいは一年ぶりに親しい友人と再会するような嬉しさがあって、そんなことを日々のあちこちで感じる私は、結構生きることを楽しめているんだなあ、と思ったり。

さっそく秋の果物を買ってきました。
葡萄からおやつにいただきましたが、もう、本当に美味しい!幸せです♡

日本には季節を表す言葉や文化がたくさんあって、歴史を見ても日本人は四季を大切にしてきたことがよくわかります。日本庭園なんかもまさにそうですよね。
季節を楽しむ因子はがっつりDNAに刻まれているようです。笑

花札から学んだ四季。

私が一番最初に四季を学んだのは、祖父から教えられた花札からでした。(賭け事などはもちろんしておりません。笑)

確か幼稚園くらいの頃。祖父母の家に行くと遊べるゲームは将棋と花札しかなかったので、絵がカラフルな花札の方に食いついた私。

花札は1月から12月まで各4枚ずつ種類があり、それぞれの月にちなんだ絵が描かれていて、役の種類や点数、絵柄の意味など、祖父から教え込まれたのをよく覚えています。
(正直母はそれを良く思っていなかったようです。今思うと6歳くらいの女の子が触れるにはかなり渋いですよね。笑)

思えばそれが、四季を知識として学んだ初めてのことでした。

確かにカラフルではある。笑

梅は2月、桜は3月の札なので梅の方が開花時期が早いこと。
藤、菖蒲、牡丹、桐などの花の名。
9月は重陽の節句と言う菊に纏わる行事があること。
旧暦と新暦で少しズレがあるので、実際の開花時期と絵札の月とでは違いがあること、などなど。

祖父母の家の庭には実際にその植物たちがあったので、覚えたものを直接目にし、触れることができたのは良い経験でした。
(特に牡丹の花は毎年美しく咲いていて、祖母の自慢の庭でした。)

祖父は良くも悪くも子どもを子ども扱いしない人で、幼い私にも「これくらい知らないとダメだ」と植物の見方や日本の四季、他にも歴史や文化、言葉や漢字など多くのことを教えてくれました。

祖父の幼少の頃は能動的に学ばないと知識が得られない時代。
「疑問に思ったことは難しいことでも自分で動いて学びなさい。」とよく言っていたのは、祖父の育った環境にあったんだなと大人になってようやく理解することができました。


そんな祖父は私が12歳の頃亡くなりました。
引っ越しなどもあり、頻繁に会っていたのは8歳頃まで。もうあの美しかった庭も手入れがされておらず思い出の中だけの風景に。

私のルーツになるものをたくさん教えてくれた祖父。
心残りは、その感謝を直接伝えることが叶わなかったことです。
(ある日突然の訃報で、今思うと”近しい人の死という経験"を初めて与えてくれたのも祖父でした。)
ありがとうと一言でもちゃんと伝えたかったな、と悔やむ気持ちはずっと残っています。

そんな想いもあり、敬老の日はもう一方の祖父母に手書きの言葉を添えて感謝を送りたいと思っています。(なかなか会いに行けないので…)
後悔しないように、感謝はできるだけ伝えていきたい。
できないことも多々ありますが、この言葉は教訓のように胸に留めています。

最後に。

気づくとちょっとしんみりした文章に…!笑
(あといつも文が長くなってしまうのも反省点。もっとスマートに書けるように意識していきたい。)

来週の9月9日は重陽の節句。今年は菊を浮かべて月見で一杯しようかな。
では、ここまでお読みいただきありがとうございました。

形見の花札。
そういえば私が貰っており、東京まで持って来ていたのをさっき思い出しました!思い出いっぱい。


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