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I am in love for 39 years

こころのこり、と題したNoteの終わりに触れたおじの突然死。62歳。先月、ようやく仕事のリタイアメント書類の手続きを終え「これからじゃんじゃん遊ぶぞ!あはは」と先月会った時に言っていた。昼寝をするといって、眠ったきり、叔父は目を覚まさなかった。

「お前ら信じられる?退職の書類さ、なんで退職するのですか?なんてこの世で一番、馬鹿バカしい質問があるんだよ。しかもそれ、何度も聞かれるのよ!そんなもん、もう働きたくないからに決まってるだろうよ!ばかばかしい」先月、遊びに行った折、おじはプンプンしながら私たちにそう言った。持病があったわけでも、高齢だったわけでもなく、彼は昼寝をしているうちに起きることを忘れてしまったのだ。

夫アルゴのママは10人きょうだいの真ん中であり、亡くなった叔父は「ママのお姉さんの連れ合い」という間柄なのであるので、おばさんの連れ合いの死にそんなに落ち込むのはなぜ?と聞かれたのだけど、そんなことを含めて書き記しておきたい。

私が夫であるアルゴに出会ったのは父の死から半年後のことであり、その後、ものすごい勢いでアルゴの家族、親族にじゃんじゃん紹介された。そもそもアルゴママのきょうだいは、幼い頃に母親を失っているので非常に結びついが濃い。なので後々、私は自分の家族と絶縁してしまうのだが、こちらの家族・親族にそれはそれは大事にされていたため、あまり寂しいと思うこともなかった。

アルゴ祖母が亡くなったのは、10人きょうだいのうち、アルゴママを含めた5人が18歳以下という年齢で一番下の弟は当時5歳。新婚ほやほやであったアルゴママの姉(当時20代前半)が、2人の弟たち、1人の妹を引き取り、育てたのだという。

アルゴママの姉の旦那さん。亡くなった叔父はMichelという名前だったのでアンクル・ミッチと呼ばれていたのだけど、なんにつけても強烈な人の多いアルゴファミリーの中において、もちろん、ものすごく強烈な人であった。

アンクル・ミッチは、英国人である。ステレオタイプ、典型的であるけれど、映画だとかでみる『ものすごく英国人たる英国人紳士』であり、アメリカに40年暮らしているくせに「アメリカとかクソ。大嫌いだよ」「アメリカ人はアホ」などと公言し、ものすごくディープなキングス・イングリッシュ。ビールとサッカーが大好きで、強烈な皮肉屋だった。

(注:アメリカ英語とイギリス英語は発音や単語が諸々異なり、色々なとらえ方があるが、キングスイングリッシュは、丁寧で礼儀正しい教科書的な表現を好む傾向にある)

例えばこんなことがあった。トイレの前であるふくよかなご婦人とすれ違った折、ご婦人はなぜか「ヒッ!」と小さな声を上げて大げさジャンプして、おじを避けた。単に驚いただけかもしれないが、なんとも大げさで、平たく言えば人種差別的行動だった。白人女性が、黒人男性とすれ違い、大げさなアクションをとる、という。

だが相手が悪かった。できる限り忠実な日本語訳でお伝えするが、おじは

「そんなすれ違う男をいちいち警戒したり、恐れるような美麗なお顔・スタイルであらせられるのか?いやいやいや、冗談だよなぁ。こちらからご免こうむりたい。俺にだって好みというものはあるし、見知らぬ牛のようなご婦人にいきなり襲い掛かるほど飢えてはいない。黒人にあったことないのかな?あぁ、そうか、農場に白い牛しかいないのだろうなぁ、かわいそうに。はやく農場に戻るといいよ。あなただけの白い世界に」

と、いうようなことをものすごくなディープな英国英語、一語の侮辱言葉も入れずにものすごく丁寧な英語で言った。件のご婦人は顔を真っ赤にしてブルブル震えていたが、おじはかまわずにアルゴと私に言い聞かせるといった体で「いいかい、他人を傷つける、意味もなく侮辱するということは、自分もそうされて当然ということだ。自分がしたことを、他人に仕返しされたからって、それを怒るなんてそれは大バカ者のすることなんだ。それを恥知らず、と人は言う」といった後、満面の笑みで女性に「ね?貴女もそう思うでしょう?」と言った。

一事が万事、この調子なのである。自重しない、声がでかい。女性が理不尽で、失礼なことをしたとは言え、牛呼ばわり。あんまりである。しかもおじの横でアルゴは大爆笑である。私は横でオロオロするしかない。ある意味、「何してんだ、ゴラァ」とか「は?今、何した?なんで?」と怒りながら迫られるより、よっぽど嫌な仕返しである。

そんなおじであるので、叔母(アルゴママの姉)はよく「ちょっと!あんた、静かにしなさいよ」「ちょっと、落ち着きなさいよ」「自重しろ」などとよくおじのそでをぐいぐいひっぱっていた。

私は亡くなった叔父に少しばかり父の面影を見ていた。父は16歳で自分の父親を亡くし、幼かったきょうだいを育てた。とにかく働いて、働いて自分だけの力で財を築いた。人にも厳しかったが自分にはもっと厳しかった。そのくせ娘には甘く、何よりも妻を愛していた。そして、リタイアを目の前に、自分の時間とお金を自分のためだけに使うチャンスもなく逝ってしまった。私と会うたびに一緒にビールを飲んだ。いや、今日はやめとくと私が言うと「なんだ?病気か?飲め、飲め」と真顔で心配するところも自分の父親と似ていた。

同時におじは移民である私を特に気にかけてくれていた。イギリスから単身でやってきて、ナイトクラブで当時、モデルをしていた叔母に出会い、2人は恋をして結婚した。アメリカが嫌いだと言う癖にアメリカに永住することになったのはおばと出会ったから。自分で仕事をみつけ、異国であるアメリカで自分の家を買い、家庭を作った。

そんな叔父の姿は、私にとってお手本でもあった。親族の中で非アメリカ人である配偶者を持つのは彼にとっての甥であるアルゴだけだったので、アルゴによく「ちゃんと仕事して稼げ。しっかり支えてやれ。よその国から来て暮らすのは大変なんだよ」などと小言を言っていた。

幼い頃のアルゴにとってこのおじとおばの家は、聖域だったのだという。養父に虐待されていた彼にとって、温かい食事や、厳しいながらも「普通の子供」として扱ってくれる。クリスマスに行けば沢山の贈り物がある。おじの家に行くことは幼かった彼にとってとても大事な避難場所でもあったのだという。

教会に行ったりする人ではなかったので、おじのお葬式は宗教色のない珍しいお葬式だった。普通ならお祈りや聖歌、牧師さんの言葉などがあるのだがそれらのものは一切なく、息子(アルゴのイトコ)が進行をした。おじはハウス・ミュージックがとても好きだったのでずっとハウスミュージックがガンガン流れていたので、なんだか不思議な葬式だった。

イギリスに住む親族も駆け付け、弔辞では「彼はサッカーが好きで」という途中で、おじの兄は、フンと鼻で笑いぼそりと「まぁサッカーというのはアメリカ英語で、ここは正しくフットボール、と言い直します(ゴホン)」と言ったので、おじ兄もやはりおじのように濃い人なのかもしれないと私はぼんやりと思った。(注:アメリカ英語ではフットボール=アメフトであるが、イギリス英語ではフットボール=サッカーなのである)

皆がおいおい泣いている中で、おばは泣かなかった。

フリースタイルな式であったので、式では故人に想いを述べる形式で話したい人が壇上に上がりスピーチをする(一人につき2分以内)というものだったが、皆が制約時間を守らず、それぞれの言葉に少しだけ笑い、そして泣くということを繰り返していた。

そんな中、叔母は唐突にふらり、と立ち上がると無言でお棺の前にひざまずき、何度も何度もおじの顔を撫でた。皆がシンとなり、その背中を見つめていた。おばは、弔問客の方をくるり、と振り返ると一言だけ。

I am in love for 39 years. We love each other every single day for 39 years - nothing but love.  Thank you for everybody to come today.

(私は39年間、恋をしています。 私は、39年間の毎日、お互いに恋して、愛し合っていました。愛だけがここにありました。 本日は皆様のご来場ありがとうございす)

静かに、とても静かにそういって、深々とお辞儀をした。

白いドレスに黒のストールを羽織ったおばのその姿はとても美しく、会場にいた全員の涙腺が崩壊した。誰しもが、おじが心からおばを愛していたこと、おばもまたおじを愛していたことを知っていたからだ。

ベタベタするような2人ではなく、人前でキスをしたり、love youなどと言うタイプの夫婦でもなかった。いつも、やいやいうるさいおじをおばがたしなめていた。おばは物静かな人で、いつだっておじの横に立っていた。

昼寝から目覚めない叔父に気づいたのはおばで、発見時からお葬式までの1週間はずっと半狂乱だったのだという。苦しまなかった、介護だとか、闘病だとかそんなものもなく、ただ寝ているうちに亡くなったという事に私を含めたみんなが、『それがせめてもの救い』だと言ったけれど、日常生活にいきなり蓋をされるように、時間を止めるように、愛している人がすっぽりと抜け落ちてしまうというのは、怖い。

もしも自分がアルゴにこんな風な別れを言わなければならない日が来たら。もしもアルゴが私にこんな風な別れと言わなければならない日が来たら。

そんな日は必ずくることになるのだけど、それでもおばのように、亡くなった伴侶に静かに、穏やかに、けれど自分のすべての想いを込めて愛を囁く自信は私にはない。

I am in love for 39 years.

だからせめて、この人を愛していました。この人をずっと愛しています、そんな風に言える人に、言い合える夫婦になっていきたいものだと、ハウスミュージックの流れる葬式で私はそんなことを考えていた。

ヘッダーに使わせていただいた画像はブーゲンビリア。ブーゲンビリアの花言葉は「情熱」「あなたしか見えない」「ドラマチックな恋」

【終】







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