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Q5.『何もしない』は最高の何かに繋がる

Doing nothing often leads to the very best kind of something.

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日本語訳:「何もしない」は最高の何かに繋がる。くまのプーさんより。

これは私の大好きな言葉の一つです。

「何もしない」ってどういう事だろう。そもそも、「何もしない日」なんて日はあるのだろうか?

機械とにらめっこ

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何もしない瞬間ってどんな時だろうか。

自分のここ最近の生活を振り返ってみる。

例えば、電車での移動時間。自分は今IELTSに追われているため単語帳とにらめっこしている時間が多い。ふと、単語帳から顔をあげて周りを見回したときにみんなも何かとにらめっこしている光景を見る。そのにらめっこのほとんどがスマホが相手だ。

信号で立ち止まった時、自分は何をしているだろうか?

LINEをチェックしたり聞いている曲を変えたりSNSをリサーチしたり。

自分が小学生のころと違って今はたくさんの情報に溢れており、そして誰でも携帯一つで簡単に情報にアクセスできる時代になってきている。

その情報をどれだけ正確に、自分に必要なものを大量に仕入れることがこの現代をうまく生きる「鍵」になっているような気がするのは私だけだろうか。

今考えたら、どこに行っても電車でもバスでもカフェでもみんなが機械とにらめっこしている状況って違和感を感じる。数年前はどうやってその時間を過ごしていたのか思い出せなくなっているような気もする。

「何もしない」が下手になっているような気がする。

どうして忘れてしまったんだろうか。

「何もしない」とはどのようなことだろうか?

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プーさんが言う、「何もしない」というのはぼーっと何も行動せず、何も考えない事とは少し異なると思う。

情報化社会を生きる私たちは、いつも「何かをしないといけない」「何かをしないと社会から遅れてしまう」という焦りから電車や信号待ちの時でさえも「何かをする」のに必死です。

「何もしない」が素晴らしいと断定するわけではないが、「何かをしないといけない」というプレッシャーをそこまで感じなくてもよいのではないだろうか。

プレッシャーに隠れて本当の自分の心と向き合えているだろうか?

私はこの一週間、自宅謹慎をくらっていたというのもありほぼ自分の部屋にこもって「何もしない」時間を過ごしました。

自分の身の回りはいろんな物に溢れていて、次から次にいろんな情報が流れる環境から少し身を置き、今自分は何を考えているのか、何をしたいのか考える時間にしました。最高の時間だった。

その時間でたくさん大好きな映画を観ました。

プーさんがいう『何もしない』はせわしない毎日から少し身を置き自分の心と向き合うことなのかなと思います。

周りの人の価値観に縛られずに、自分の人生を生きるためにも「自分と向き合う時間」は大切です。でないとこんないろんなものに溢れすぎている世界で生きるには自分を見失ってしまいそう。

「何もしない」ことは決してネガティブなことではなく、自分の人生を生きるためには大切な瞬間だと思います。

そしてその瞬間は自分だけのための時間だから自分のしたいことをする時間にすればいい、楽しんだらいい。

「何かを成し遂げよう」とするのは素晴らしいことだと思いますが、気づいたらそれがプレッシャーになっていないだろうか。

自分だけの時間を楽しめなくなっせたら息苦しすぎるな(笑)

いつまでも小さいときに感じた純粋な気持ちは大切にしたい。

さいごに

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この「何もしない」一週間を過ごしてみて思ったのは、最近何をするにしても生産性や効率、何をしたらもっとうまくいくのか、などあらゆることに意味を見出そうとしている自分がいることに気が付きました。

理由なんてつけなくてもいいのに、それも「何かをしないといけない」という焦りから来ていたんかな。もちろん、考えることはとても大切だと思います。けれども、一見「意味がない」と思うようなことでもそれが大切な事ってありませんか?

難しい言葉で言い表そうとしなくてもよくて、ただ「好きだから」「一緒にいたら落ち着くから」。自分の気持ちをストレートに表したときに、シンプルな言葉でも自分が本当にしたいことだと思うなら気難しく考えなくてもいいんじゃないかなと思いました。

なんか今日もまとまらんかったし1000字越してしまった。

まあいっか。

プーさんが悪い。

おやすみなさい。


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