インプットの罠/Instagramとかtwitterとか
インプットの罠。
このワードがふと、思い浮かんだので書いてみます。
インプット。
それは、変化し続けるために、成長し続けるために、必要な一要素。
このアイディアに「否っ!」と叫ぶ人は、少ないかなと思います。
本を読んだり、セミナーに行ってみたり、日々ニュースキャッチアップしたり、学校に行ってみたり...様々なインプットがありますよね。
もちろん私も、いちホモ・サピエンスとして、インプットを意識はしていました。
で、気付いちゃったんです。
私、インプットを口実に逃げていることが、たくさんありそうだなーって。
極端な例ですが、Instagram。私にとっては、これも結構インプットの場なんですね。仕事で女子高生をターゲットとするようなトピックがあれば、女子高生をフォローして生態系(よく行くカフェとか、流行りの写真加工の傾向とか)を探ってみたり...我が家にはテレビがないので、Instagramのストーリーズに流れてくる中身で大きめのニュースをキャッチアップしていたり。
そのため、実は、だら〜っと惰性で眺めている時間も多いのですが、その時間も「まぁ、インプットしてるしぃ」と、自分で自分に言い訳しているんですね。
でも、一通りだら〜っとした後に、絶妙な倦怠感と、罪悪感、自己嫌悪がついてくる....おぉ...これは質の良いインプットではないな...と
じゃあ、何が質の良いインプットなんだろう、と思った時に出てきた案がこちら↓
アウトプットと対になっているインプットは、質の良いインプット
だよね〜〜〜 ですよね〜〜〜〜
って感じですが、きちんと、改めて、こう、ね。体感できたのがよかった。
なのでこう完成形でなくてもいいから、書いておく、自分の脳の外にだす、をやっていこうと改めて思った夜なのでした。
まとめ。
1. インプットにはだらっとタイムを正当化してしまう罠がある
2. 質の良いインプットは、アウトプットと対になっている
それでは皆さん、良い夏を。
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