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生と死について〜どう生きるか?〜私の死生観

今日は仕事量が少ないため、これを書いています。私にとって、もうかれこれ30年以上の関心事であるこのテーマについて、どうしても書きたくて。それは生と死に関わる、死生観というテーマです。 今の日本においてこのテーマは、考える対象には全くならず、また、世界中の様々な国や地域と比べると、関心を持ち、考え、自分なりの死生観を持つという観点においては、大きな開きがある様に思います。 かつての日本、例えば江戸時代くらいまではそうではなかった様に想像します。武士には確固たる死生観があった

    • 美しくない日本語

      父の書棚の脇に布団を敷いて寝ていた幼少期の思い出。朝目が覚めるとまず、書棚に並ぶ書籍の背表紙が目に入ってくる。さまざまな本の背表紙の印象が、そのままこの幼少期の印象に繋がっている。背表紙の紙の材質や、色合いやフォント、そして何冊も連なっている事で言わば「背表紙の集合体」と化しているその光景を布団の中、寝ぼけ眼でしばらく眺めているのが私の朝の日課だった。 ある朝、司馬遼太郎の「人斬り以蔵」の背表紙が気になって、これを書棚から引き抜いて表紙を見た時の不気味さと恐ろしさ。「どんな

      • 宅録家kamuidadの宅録雑記④

        バンドを脱退した私は、京都市山科区のアパートとアルバイト先とをクロスバイクに跨って往復する生活を始めていました。かと言ってそこまで真面目に働いていた訳では無く、仕事はあくまでも生活の為。コンビニの副店長や、佐川急便の伝票仕分け、遺跡の発掘、コンサートスタッフなどなど。 当時住んでいたアパートは清水寺や知恩院などの背後に立つ東山のちょうど真裏(山の反対側)の、山肌にぴったりくっついた場所に建っていて、色んな動物を目にする事の出来る静かな環境。 そこに入居した経緯も変わってい

        • 宅録家kamuidadの宅録雑記③

          ここまでで書き忘れていた事があります。私は1989年に生まれ育った北海道を去り、京都の大学に入学します。バンドに加入したのは1991年と記憶してます。ここまで書いた話は全て京都を舞台にした話です。それまでバンドをやった事のなかった私が、21歳の時、急にバリバリプロ志向のバンドに加入した経緯は、私にとってとても煌びやかなある思い出が出発点としてあるのですが、それについてどうしても書きたいので、今日は書きます。 私は外国語学部に通う大学生。この学部を選んだ全ての発端を遡ると、そ

        生と死について〜どう生きるか?〜私の死生観

          宅録家kamuidadの宅録雑記②

          前回初めての宅録について触れました。ギタリストの実家にあるスタジオで私の宅録人生は始まった訳ですが、私がボーカリストになり、新しいドラマーとサイドギタリストが加入して、全く新たなスタートを切った我々は、ライブも定期的にやり出し、デモテープを自前で作る様になりました。その録音も、やはり前述のスタジオでやっていました。その時の音源もバッチリ残ってます。 この頃、大体97年くらいでしょうか、私は自宅に録音環境を作る事を模索し始めるんです。当時私はアルバイトで遺跡の発掘をしていたん

          宅録家kamuidadの宅録雑記②

          宅録家kamuidadの宅録雑記①

          宅録をやり始めてから27年目になりました。このnoteでは、宅録と楽曲制作、作詞作曲や歌う事などについて書いて行こうと思います。よろしくお願いします。 宅録を始めたのは1995年だったと記憶しています。当時やってたバンドのギタリストのお父さんが大工で、彼の家にバンド専用のスタジオがあったんです。建材を置いておく倉庫の上、地上3階位の所に、後付けで作ったようなスタジオで、そこにドラム、ギターアンプ、ベースアンプからマイク、MTR、スピーカー、エフェクターまで全て揃っていました

          宅録家kamuidadの宅録雑記①