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宅録家kamuidadの宅録雑記②

前回初めての宅録について触れました。ギタリストの実家にあるスタジオで私の宅録人生は始まった訳ですが、私がボーカリストになり、新しいドラマーとサイドギタリストが加入して、全く新たなスタートを切った我々は、ライブも定期的にやり出し、デモテープを自前で作る様になりました。その録音も、やはり前述のスタジオでやっていました。その時の音源もバッチリ残ってます。

この頃、大体97年くらいでしょうか、私は自宅に録音環境を作る事を模索し始めるんです。当時私はアルバイトで遺跡の発掘をしていたんですが、きっかけはそのバイト先の知り合いから、deck 2なるパソコンソフトを勧められた事でした。その人は奥さんがアメリカ人。ヒッピーみたいな人で、Macについて詳しくて、色んなソフトウェアの事を知ってました。その人が雑誌の切り抜きとか何かのパンフレットとかを、頼んでもいないのに沢山僕にくれるんです。それで、当時無料配布されていたマルチトラックレコーディングソフトであるdeck 2を、持っていたAppleのperformaというデスクトップパソコン(今のiMacのご先祖様にあたる)にインストールしてみたわけです。マルチトラックと言っても、録音出来るのはたったの4トラック。しかもperformaにはサウンドカードなんて挿せないから、マイク端子にカラオケマイクやエレアコを直挿しする、という乱暴な手法で録音を恐る恐るしてみたわけです。

そのカラオケマイクというのが前述のスタジオから拝借してきたもの。このマイク2本でドラムを録音したらなかなかいい音で録れた、というのは前回書いた通り。このマイクで録ったボーカルの音が、今聴いてもまるで真空管マイクで録った様な艶のある音で、今聴き返しても感心するレベルです。使っていたギターはタカミネのSantaFeシリーズという、アメリカンインディアン風の装飾を施した20万円位のエレアコ。このギターは鳴りが素晴らしく、マイク録りにも充分対応できるほど。ラインで録ってもピエゾ臭さが無く、当時の僕にはうってつけの機材でした。その頃作った曲が、僕の宅録人生の原型なんです。この頃書いた曲を未だに再録音しているくらいですから。

その新体制のバンドは2年くらい活動したでしょうか?次第に私の心は離れていきました。当時レッチリがblood sugar sex magicで一世を風靡、バンドは次第にアメリカンロック色からレッチリやprimusの様な音楽性に以降し始めるのです。ファンクビートにスラップベース、ギターも単純なリフの繰り返し。もうそこにはメロディの入り込む余地は無かったのです。

98年の夏くらいでしょうか?私は名古屋でのライブを最後に、バンドを脱退します。そこから本当の意味での宅録人生がスタートすることになるのです。


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