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宅録家kamuidadの宅録雑記④

バンドを脱退した私は、京都市山科区のアパートとアルバイト先とをクロスバイクに跨って往復する生活を始めていました。かと言ってそこまで真面目に働いていた訳では無く、仕事はあくまでも生活の為。コンビニの副店長や、佐川急便の伝票仕分け、遺跡の発掘、コンサートスタッフなどなど。

当時住んでいたアパートは清水寺や知恩院などの背後に立つ東山のちょうど真裏(山の反対側)の、山肌にぴったりくっついた場所に建っていて、色んな動物を目にする事の出来る静かな環境。

そこに入居した経緯も変わっていました。大家さんがボートで世界一周をしたような人で、一般の不動産屋には募集を出しておらず、京都市国際交流会館に入居者募集のチラシを掲示していて、そのチラシを見て、直接大家さんに会いに行って入居しました。入居者はほぼ全員外国人でした。大家さんには不思議がられましたが。

ここはいかにも昭和の時代のアパートっていう感じで、隣人の話し声が丸聞こえな風情。木造2階建が二棟並んでいて、私の部屋は向かって左手の棟の1階の角部屋。玄関を入るとキッチン、左手にトイレ、奥に進むと6畳の部屋が縦に2つ並ぶ間取り。で、変わっていたのが、お風呂。後付けしたのか、何とベランダの脇に設置されており、脱衣場はなし。これが意外に良くて、お風呂に浸かりながら外の景色が見える。緑が多く、幸い人の目には晒されにくい場所だったから良かったけど、女性は無理でしょうね。鳥の囀りを聞きながら、緑を眺めながら、いわば露天風呂のような風情なんです。

この頃、当時としては画期的な一つのイノベーションが起こるんです。それは、MTRがデジタル化して行ったんです。私はその第一号とも言えるRolandのVSシリーズを手に入れます。確かVS880がハードディスク方式だったと思いますが、私は予算の関係もあってVS840を選んだんです。媒体は何とZIPディスク。今となっては「化石」ですね。このVS840を使って録音を開始していきました。

私はバンドを脱退してからのこの1年位を「緑の時代」と呼んでいます。緑に囲まれた静かな環境。ここで私の創作意欲は高まり、今振り返って、自分の中での名曲はことごとくこの時代に生まれている。
本当にクリエイティブな生活でした。仕事のない時は、自転車に跨って南禅寺へ下ったり、黒谷の金戒光明寺へ行って昼寝したり。行きつけのカフェ「saraça」でチャイを飲んだり、三条の書店「MEDIA SHOP」でシュタイナーの本を買ったり、御池の市役所脇にあった「グリルアローン」でランチを食べたり。その合間に思いついたアイディアを家に帰って録音する。精神的にも一番充実していた時期。

VS840での録音は面白かったんですが、今振り返れば、音はデジタルとしては最低限の音で、はっきり言って音悪かったです。でも、当時は「デジタル」というだけで興奮気味で、(この気持ちは今の若い人にはわからないかも、、)まあ、音が悪いという事にも気づいてなかったです。色んなエフェクターが内臓されていたり、様々な工夫はされていて、とにかく楽しかった。

ただ、それよりも、当時はギターシンセを購入したことが大きかったですね。これもRoland社のGR30という機材。下に詳細あります。

このギターシンセのアルペジエーターがとにかく僕は好きだった。このギターシンセで作った曲を紹介します。

この曲のリードシンセ、パッドシンセ類やベースライン、トランペット、フルート、ベルなど、全てこのGR30で演奏しています。マイクでの生録音はボーカル類とクラップぐらいです。特にベースラインは前述のアルペジエーターを上手く使っていまして、実はこれコード弾きすると、アルペジエーターがこのフレーズを勝手に作ってくれるんです。

ただ、当時どうしようもなかった大きな問題が3つありました。それは

① 良質なコンプレッサーが手に入らない
→ボーカルの音量がデコボコ
②良質なドラム音源が存在しない
→ドラムマシンではショボい
→サンプリングもまだ世に浸透してない
③いいマイクが安価で手に入らない
→ダイナミックマイクでボーカル、アコギの
録音はキツい

そんな時に私に大きな転機が訪れます。京都を離れることになったのです。

続く、、、

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