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そもそも自由にはたらくとは。


現代の日本において、
はたらく事に関しては、
既に自由な世の中だと思う。

そこからどういう選択をするのかで変わってくる。


何をもって自由とするのか。

これが自分の中で定まっていれば、
誰に何を言われようと、
自由なはたらき方が出来ると思う。


それは周囲が決める事ではない。
個人が、自分が決める事なのだ。


職業が自分に適しているかどうか。
それは誰が決める事なのだろうか。


基本的には自分だろう。
例外はある。
あまりにも仕事が合っていない、出来ない、
また、体調を大きく崩していたりという事があれば
周囲が干渉する必要がある。

しかし、基本的には自分が決めるのだ。


自分で決めるから自由なのだろう。



だが、やりたいことが自分に適しているとは限らないのが現実。

やりたい、なりたい職業に就いたとしても、
自分に適していなければ、
それは「はたらく」ということに関しては、
不自由と言えるのかもしれない。


そんな時、変化をどれだけ自分で決められかで、
自分に適した、「自由にはたらく」ことへと繋がるのかもしれない。


これまで積み重ねてきた、知識や経験、
時間や周囲からの評価、自分の気持ち。


これらを捨てなければならないかもしれない。
これらを変えなければならないかもしれない。


そんな変化を自分で決められるかどうか。



このハードルが今の社会では、
非常に高いものになっているのではないかと思う。

環境的な要因もあれば、
個人的な要因もあると思う。
それらが複雑に絡み合っている結果なのだと思う。


しかし、結局最後に決めるのは自分なのだ。

自分が自由と思えば、それは自由なのだ。
自分が不自由だと思えば、それは不自由なのだ。


不自由だと感じたのなら、
自由な環境を作ればいいのだ。

それを行動に移すか移さないか、ただそれだけ。
それだけの差なのだ。


その差が現代だと、フリーランスと呼ばれるようになったり、
経営者と呼ばれるようになったりしているだけなのだ。


しかし、サラリーマンだとしても自分に適している、
自分が決めたのだとしたら、
それもまた、「自由にはたらく」という事なのだと思う。


結局は自分次第。

自由も不自由も自分次第。

はたらくを自由にするのも自分次第。

そういうことだと思う。






かもめ



そのお気持ちが私の支えとなり、励みになります。 ゆったりじっくり一緒に生きましょう。