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心の修理始めました。

約15年間抗ってきた。
自分の心に。

きっかけは何でもないよくあること。
小学生の頃ハブられた。急に。2年間。
中学に上がるとハブられなくなった。急に。

潜在的に本能的に気付いた。
嫌われてはいけないのだと。
好かれなくていい。嫌われなければ。

10歳の少年が15年に及ぶ、
自問自答を始めた瞬間だった。

中学、高校、大学、会社、その他集団の中で、
椅子取りゲームをしていた。
真ん中に残ってはダメなのだと。
鬼になっては嫌われると。そう思っていた。

集団とは色々な個性の集合体。
隙がある。必ず。
そこに座れば嫌われることはない。
だからどんな自分にもなれた。
でもどれも自分ではなかった。

苦しいことにも気付いていなかった。
歳を重ねるごとに精度が増していったからだ。
自分じゃない自分になる事に。
その空間で空いてる人物像になる事に。

でも苦しかった。
理解されたかった。理解してほしかった。
私を表に出したかった。
でも出来なかった。やっぱり怖かった。

当然人付き合いはあまり深くはならない。
広く薄く、それが最善だと思っていた。

お陰で人間観察が飛躍的に成長した。
いや、せざるを得なかった。
自分じゃない自分が生きていく為には。
生きる事は自分を偽る事だった。
だから誰にも理解してもらえない。
してもらいたくもなかった。
自分が消えてしまうと思っていた。

一言交わせば大体どんな人か分かる。
接し方が分かる。嫌われない接し方だ。
そこから、表情、仕草、声色、クセ、口調、目線etc
挙げだしたらキリがない程、観察点を見ていた。
そして言葉一つ、仕草一つ、ふるいにかけられた
精鋭達が私となって誰かと接する。
私であって、私ではない。

言ってしまえば、セルフ多重人格とでも言えるのだろうか。

相手、環境、状況等、
その時々に最適な私が作られ表に出てくる。
私が出ていった事は15年間1度もない。
出番が無かった。他に適任がいた。それだけ。

素の自分を出して見える人が羨ましかった。
そして妬ましかった。
自分には出来ない。一生出来ない。
そう思っていた。


今になって気付く。
小学生の時ハブられた瞬間、私の心は私の手によってハブられた。15年も。ごめんな。

15年間ハブられた心は壊れてしまった。
重度のうつ病という形になって私の元に帰ってきた。おかえり。


15年振りに向き合った。
向き合わざる得ない状況だった。
これ以上ほっておいたら、
壊れたまま自分で処分していただろう。
生きてはいられなかったと思う。
私自身が。

怖かった。
自分の心の接し方が分からなかった。
何年振りか友達に会うかのように、
接し方を忘れていた。

「外へ出よう」そう言われた気がした。
だから、こうして文章を書く事を自然と始めたのだと思う。
少しずつ吐き出され、会話をし理解をする。
これの繰り返し。
これで向き合った。
これで向き合えた。

ようやく心が何をしたいのか分かってきた。
素直に正直で居てほしかったみたいだ。私に。
たったそれだけに15年も掛かった。

何処かで誰かになるのでなく、
何処でも私で居てほしかった。
きっとそういう事だと思う。

私は心が壊れたのでなく、
心が自分で心を壊したのではないかと、
少し思っている。
知らせる為に、気付いて欲しいが為に。


それだけ心に抗い、無視してきたのだろうと。


今はうまくやれてると思う。

まだ壊れた心の修理をしている途中だが、
心と一緒に、ああでもない、こうでもない、と言いながら、私と私の心との本当の心を作っている最中なのだと思う。


かもめ




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