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2枚のポストカードから「仕事の時間、子育ての時間」を考えた

突然ですが、これは我が家のトイレに飾ってあるポストカードです。
5年前のパリの新婚旅行で手に入れたものです。夫が「Life is Short」の方を、私が飼い主と犬のイラストの方を買いました。

今日は、この2枚のポストカードから話を膨らませたいと思います。

merciという人気の雑貨店(確かいまはもうない)で買った2枚のポストカード。

当時は深く考えることなく、夫婦でそれぞれ気に入ったものを買っただけでした。でも、子育てを始めてから、この2枚が同じテーマで真逆のメッセージを発信しているように見えてきたんです。

そのテーマとは「時間感覚」です。

左の「Life is Short」の方は「生産性」や「時間戦略」という言葉が似合います。「人生は短くて有限。だから生産性を高めて欲しい結果を手に入れよう。達成したい目標からバックキャストしてやるべきことを明確していこう。ほら、ぼーっとしている時間はもったいないよ!」というような。

対して右のイラストの方は、プールサイドで日なたぼっこでもしているのでしょう。暖かな日差しの下、飼い犬とのんびり過ごすほっこりした時間が描かれています。思いきりリラックスして、愛犬との心地いい時間に満ち足りた思いを抱いているように見えます。

つまり「Life is Short」はマクロな時間感覚、犬のイラストの方はミクロな時間感覚が表現されているのだと思います。そして、そこにある価値観もまた対極です。

飼い主と犬の時間は、マクロな感覚から見たら取るに足らない一瞬だと思います。なぜなら、何も生産していないし、達成に寄与していないから。

でも、飼い主はこの時間をきっと愛しています。こういう瞬間があったから俺は人生に満足している、と思うかもしれない。人生の終わりに走馬灯があったなら、こんな何気ない瞬間が幸せな記憶として出てくるかもしれません。

マクロな時間感覚には「過去」と「未来」を見通す視点があり、「現在」をその間にあるものとして客観視して捉えます。
対してミクロな時間感覚では「いま、ここ」を没頭して味わいます。

子育てをしていると「いま、ここ」の感覚でいる時間が増えます。

例えば、子どもの見せる表情に見入ったり、言葉に心を動かされたり。もしくは一緒に笑いあってる瞬間など。ふとした時に訪れるキラキラした瞬間に、あ、私の人生もう十分幸せだなー、こんな瞬間があってよかったな、と思います。

「Life is Short」的な観点から見れば何も生産していないゼロの時間なんですが、でもそれが輝いている。

でも、たまにふと我に返って、「この1年間、子どもは大きくなったけれど、自分は何も成し遂げていないなあ、何をやっていたんだろうなあ…」なんて落ち込んだりするわけです(笑)。これは、マクロな時間感覚の発動です。

病児保育のフローレンスの代表の駒崎さんが、以前「子育ての時間は『質より量』だ」と言っていました。それと似た話かもしれません。子育てでは時間をたくさん投入することで、子どもとの信頼関係が育まれたり、そのご褒美のようにキラッと輝く瞬間に出会えたりする。生産性の尺度では計ってはいけないと。

もちろん、ミクロな時間の連続だけでは現代の社会では生きていけません。要は2つの視点のバランスだったり、生活の中でどう2つの時間を組み合わせるかが大事なのかなと思います。

人生って、きっとこの2つの真逆の時間感覚や価値観が共存して成り立っているのでしょう。時間感覚がぐーんと伸び縮みする中を生きているような感覚を、この2つのポストカードを見ながら覚えた、というお話でした。

ちなみに、この記事のタイトルは、私が子どもの頃ヒットした『ゾウの時間、ネズミの時間』という新書のタイトルをもじっています。同じ時間を過ごしていても、身体のサイズの違うゾウとネズミの体感時間は全く異なるという内容です(とても面白い本ですよ!)。この投稿を書くにあたって、本の内容を確認しようとサイトを見ていたら、こんなレビューを投稿している方がいました。

一瞬が永遠にも、永遠が一瞬にも、人は感じ、生きる生物なのだから。

紀伊国屋のウェブサイトのレビューより

そう、私が言いたかったのはこういうことです!今回なかなか言語化するのが難しかったのですが、この方が一言で言ってくださいました^^
端的なまとめの言葉として紹介させていただきつつ、締めたいと思います。


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