高校苦登校から脱出したが2回休学した男が半生を語る❷-高2苦境編-

今を生きるのが精一杯で、将来に絶望した時、人は何を思うのだろうか。それは僕にとって過去のことではなく、今にも突きつけられた永遠の課題である。

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※この記事は「高校苦登校から脱出したが2回休学した男が半生を語る」の2作目です。前回の内容に関しては上の記事を参照してください。

先輩との出会い(2020・高2・春)


 頭痛に苦しみ、腹痛に苦しみ。社交不安の症状からか学校に再び行き始めた際、僕は教室に入るのが怖かった。戻ることが出来ないこともあった。ネガティブな思いは自分の中に押し留められ、腹痛や便秘・下痢などの形で返ってくる。課題への焦り、また学校への拒否感で、
「今日寝たら、また嫌な明日が来てしまうのだな」
という思いが脳を掠めた。寝たくなかったのかもしれない。翌日は当然眠気や眩暈や疲れに一斉に襲われるわけだが。
 そんなことで体調不良なら保健室に行くだろう、と読者諸氏は思われるが、この時の僕は保健室に入るのが怖かった。だがいちいち保健室の外で立ち往生しているのも不自然で他の先生に話しかけられることもあり、結局保健室には勇気を出し入ったと言うよりかは渋々入った。体調を悪くして保健室に入り保健室の先生に話を聞いてもらうわけなのだが、もう何をしても無駄だという(根拠があるわけではないが)絶望もあり、また、先生とすら話すのも苦痛だったということもあり、最初は先生から投げかけれた言葉に対して2,3分ほど考えてから、一言二言話すのが精一杯だった。保健室にいても心が落ち着かぬ僕に、養護の先生はある先輩を紹介した。

A先輩もまた、諸事情により教室に入れないことがあるらしく、よく保健室に来ていた。彼は鯉の餌やり当番(?)を1人で担当していた。
 我が校にはかつて役所があり、その名残として今でも堀が残っていて、学校の創立120周年記念とかで大量の鯉が放流されたらしい。ただその前年(僕が1年の時)に台風による氾濫に見舞われ、堀から水が溢れ出たのかその殆どが行方知れず。残った30匹程度の鯉に毎日餌やりをしているらしい。ちなみに市から予算もついてるのか餌が貰えるぞ。

 話したところで何になるのかという思いはあったものの、先輩の餌やりを手伝いに堀に来ては、その都度多少言葉を交わしたりするようになった。まあ確かに自分だけではないということが知れたのは良かったかもしれない。

高校にいられなくなったら将来どうなるのかわからず怖いという思いもあり、腹痛や頭痛に苦しめられたり保健室に通ったりしながらも、欠席回数はだんだんと少なくなっていった。頭痛は頭痛止めの対症療法で、結局原因は視力が落ちたことだったようだ。(その後も相変わらず睡眠不足だったので頭痛が完全に治るのはまた先になるが)腹痛はどんな原因があったのかは覚えていないものの、まあとにかく回復していったことは確かである。

2学期、そして復調?(2020・高2夏)

そして夏休み…になるかと思いきやコロナによる臨時休校が長引いたこともあり、夏休みは2週間ほどに短縮されてしまった。課題の量は変わらない。抱えていた問題はそのままだったので相談出来ず課題を再び溜め込むが、おっかなびっくりで先生に詫びを入れたりし、なんとか乗り切った。

 体調が安定してくると成績も安定してくるのか、数学を除いてだんだんとテストの赤点の数が減ってきて、最終的には入学して以来過去最高順位を定期試験で出すこととなる。(当社比、高いとは言っていない)

 それもあったのか、進学校の中で落ちこぼれ、何一つとして持つものがないとずっと未来を憂いていた自分の心の中に、少しだけ希望が出てきたような気がした。好きなアニメを楽しめるようになってきた。閑静な住宅街の中にある高校で、静かに生きて鯉に餌をやるのも悪くないのかなと思い始めた。読書を始めてみた。自分は何のために生きて、そしてどこへ向かうべきか。きっと正しい答えはないのだろうが、どこかで導いて欲しかったのかもしれない。難解な言葉が並ぶ哲学の本と睨めっこをしたりした。

来年は?大学受験は?(2020〜2021)

しかしそんな日々も長くは続かない。困ったことになった。と言うよりは、元より予見出来ていたことだったのだが。そろそろ高校3年生、受験のことを考え始めないとならない時期だった。そろそろ始めなければ、また出遅れてしまう。せっかく収まってきた不安がまた再燃してきてしまった。高校の最初で出遅れただけに、焦りは余計にあった。

 そして更に事件は起こる。現代文の授業だった。指名というのが本当に嫌いだったことは前述べた。わかりませんと言えばいいじゃないかと思われるかもしれないが、そう言えば「考えてから言え」とか「調べて来い」とか「友達に聞け」とか言われるのではないかと不安で不安で仕方なかった。その後に続く言葉が何なのかわからないのが不安で、答えを言うことが出来ないと押し黙ってしまい、先生が次の人を指すのを待つのみだった。しかし、この先生の場合事情が少し違った。もう一度聞かれた。僕は固まったままだった。もう一度。強い語気で。フリーズ。恐れのあまり泣いてしまった。どうやら向こう方にとっては指名したのを完全に無視されたと思われていたようだ。結局その辺りのことを怒られ、次の人が指名されることとなった。

 この歳にして涙を見せた恥ずかしさと先生への苦手意識のあまり授業が終わるとすぐに次の授業のことなぞお構いなしに教室から逃げ出した。無人の美術室の中に逃げ込み、落ち着くのを待つなどした。そして保健室へ。この出来事を機に今までなんとか意識しないようにしてきた高校への拒否感、日に日に増してきていた受験への不安感などが一気に溢れ出し、しばらく保健室で放心状態だった。そして、保健室の先生に「高校を辞めたい」と口走った。周りと同じように出来ない。指されるのが怖い。授業がわからない。受験も怖い。高校にいるのは疲れた。教室にいるのですら辛いのに、これに受験の不安が加わることなど、耐え切れるはずもない、と。

 流石に高校を辞めるかどうかというのは大きな決断なのでとりあえず時間をとって考えてみることにした。友達…はいないので相談したのは美術室の先生(A先生)、保健室の先生(O先生)、祖母など……(親にはその後相談した)
 O先生はやはり学校という空間の中で苦しむ生徒を見てきたからなのか、自分で決めたことならば応援してくれると言ってくれた。
これから辞めるのか(という仮定での心づもりがある)と思うと学校で見える周りの景色も相対化されるような気はした。日々の苦しみも大したことのないような気がした。
 A先生からの答えは…学校を辞めることのデメリットを説くものだった。A先生は1年の時の美術の先生で、時々腹が痛くなり教室を出てトイレを出たまでは良かったのだが、その後教室に戻るのが怖くて右往左往している時によく駆け込んで話を聞いてもらっていたりしたので恩は大分あった。放課後美術室に残って勉強する時に暖房をつけてもらったり。が、その時に関しては少し心外だった。学校をやめてどうするのか、通信制に転校するのだとしても、僕が世話になっている先生などはもういない。その先でやっていくことは出来るのか、残った方がいい。
今にして思えば、残るにせよ辞めるにせよ、ただ自分のことを支えてくれる人を、言葉を望んでいただけなのかもしれない。
 祖母。考えこそ古いが数少ない僕にとって話が出来る人の1人だった。とはいえ考えがやはり古いのか、通信制は全日制に通えなかった人、貧しい人が行くような場所であるというような認識で、今ある悩みを言っても気にしすぎるなといういつも通りの紋切り型のような返答しかなく、僕が泣いたのか祖母を泣かせたのか流石に忘れてしまったが、随分と言い合いになったことだけは覚えている。
親も基本的には似たような認識ではあった。通信制なぞ、卒業出来るのか。出来るなら、全日制を卒業出来ないのか。ただ、せっかく僕自身が望んで進んだ場所であったのにこういう思いとなったことについて言われたのでそれに関しては大分心苦しいものがあった。応援もあったとはいえ、A先生・担任の先生・祖母などその後の将来について憂う意見が多いように感じた。

 考えはしたが、結局答えは分からなかった。確かにやめることによるリスク、自分で勉強を進めていけるのか──また将来のことを決めていけるのか──この先の進路は大丈夫なのか──などあるのかもしれない。それは勿論怖かった。しかし、先述した高校に対する拒否感や大学受験に対する不安感の方がやはり自分の心の中で先行していたので高校をやめようか──と思っていた。

答えを出すのは

 答えを決めかねる中、救世主となったのはA先輩だった。先輩は受験が忙しいのか餌やりにもなかなか顔を出さなくなってきていて、連絡先も知らなかったので忙しいのにもかかわらず自分の都合で邪魔をするのは申し訳ないのではないかと考え(まあそもそも会えなかったというのもあるが)て会っていなかったのだが、僕が将来のことを大分思い悩んでいるとA先輩が聞き、話をしてくれることになった。正直なところ、どんな話をされるのか不安だった。先輩と僕は違う。先輩は大変な中、学校にちゃんと行き、受験も乗り切ろうとしている。かたや自分は、その途中で音を上げようとしている。

高校サバイブの法

 だが先輩はそうした僕の一つ一つの不安に対して丁寧に答えてくれた。無理のない、生き抜く術を伝授された。鍵となるのはは高校側の配慮と、高校の卒業に関してである。
 まず精神的にしんどいのなら、精神科に行って治療してもらうこと(紹介してもらった)。指されることが不安であるのなら、事情を説明し、指さないように取り計らってもらう。そうすれば指されることに対する不安が無くなる。授業中座ってさえいれば良いということになる。受験云々ではなく、まずは卒業を目標とすること。
しんどいのであれば、保健室で休む(尚、1日1限までしか休めないという制約はあるが)。休むことは悪いことではない。心の不調は体調不良。学校に行きたくない時、欠席する時は「体調不良」である。

※卒業のための決まり

 そして「欠席数」として学校を1/3までなら休んでも良い(文科省だかの規定、裏を返せば単位の認定というか卒業のためには2/3以上出席しなければならない)。そして「欠課数」として各授業に対してこちらも1/3まで休むことが出来る。ちなみに我が校の場合体育は見学でもなぜか出席扱いになっていた。あとちゃんとテストを受ける。赤点でも構わない。追試も受ける。逆に言えば出席欠課数に気をつけた上でテストや追試をちゃんと受ければ卒業することが出来る…

 では大学受験はどうすれば良いのだろうかという疑問がまだ残っている。ここに関しては基本的に参考書などを用いて自分で勉強を進めていくことが勿論重要なのだが、それより受験というのは特に何の問題ない人間ですら成功するか失敗するかわからないということを認識することが何より大切である。確かに地域では進学校として扱われてはいるがその中は実に格差社会であり、東大から名も知らぬ私大まで…そして毎年約1/4が浪人する。だからこそ、どんな結果になっても気にしないということ。
敢えて言うなら、未来どうなるかわからない状況を静かに受け入れるための方法を教えてもらったような気もする。

理解者がいた

 と、以上のように考えると高校に行くこと、卒業すること、勉強していくことのハードルが大分低くなるのではないだろうか。
もしその上でやはりうまくいかないなどであればそれは高校の方が悪い(合わない)のだから、その時はやめれば良い。などのように教えてもらった。つまり僕の判断に委ねた上で、その上で選択肢を最大限に示していただいた、ということだろうか。何よりそのことが一番嬉しかった。驚きなのはこのような話を後期の勉強の合間を塗ってしていただいたことである。
 僕としてはまだ不安な部分は抜け切れていなかったが、高校をやめるのはやはり不安だったのと親も高校をやめて欲しく無さそうだったので空気を読んで(やはりこういうところで自分の意思の薄弱さを感じざるを得ない)先輩の言葉に自信を貰い、いろいろ工夫をしたり配慮をしてもらいながら高校を続けるという意思を固めた(固め切れたのか謎だが)。先輩は卒業してしまうが、今度は自分が卒業する番だ。そして、鯉の世話役としても。

高2編です。捨てる神あれば拾う神あり。

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