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子どもはいらない、とわたしは強く言えなくなってしまった

「わたし、子どもは全然ほしくないんですよね。時間もお金も自分のために使いたくて」

これはこの前のランチでいくつか年上の女性社員に言われた一言。再婚で今の家庭を築いた彼女に子どもはいない。今の生活が楽しいことは知っていたけれど、語気強めに語られた主張を一身に浴びたわたしは、少し面食らってしまった。

しかし気持ちはわかる。数年前のわたしも同じことを思っていたし、今でもその気持ちを捨て切れてはいない。それでもずるずると不妊治療をしている今のわたしには、「子どもを産まない」とキッパリ言える強さがうらやましくて、それでいて純粋にそれに賛同できなくて、複雑な気持ちがぐるぐる渦巻いている。

その上で彼女に何か生い立ちの上で壁になったものがあるのかもしれないと勝手に勘繰ってしまったのは、わたしの悪い癖なんだろう。わたしのように家族のトラウマなんてなくても、「子どもはいらない」と思う人もきっといるだろうに。自分のものさしで彼女の価値観を測ってしまった自分にも嫌気が差して、何も言えなくなってしまった。

あれから数週間彼女の言葉を繰り返し考えているけれど、なんて答えたらよかったのだろう。彼女は賛同してほしかったのか、ただの世間話だったのか、それとも「わたしは不妊治療もしている」と打ち明ければよかったのか。波風を立てたくない上に自分の結論が出ていないわたしに、一体何が言えたのだろう。

「紆余曲折あって今はクリニックに通っているのだけど強く子どもを産みたいとは願っていなくて、でも罪悪感や折り合いのために治療しているので報われたらいいなとはほんの少し思っているんです。でも出産も子育ても恐怖しかなくて、家族に希望も持てないわたしはきっと心の底では同じように自分の人生に子どもがいてほしいとは思っていないのだと思います」

と言ってもよかったのだろうか。いや、これでもまだ補足したい行間があるのだから、あのとき伝えるには不十分すぎると感じている。それに彼女との関係はそこをわかり合えるほど深くない。

他者に思いを伝えるのは難しいな。自分の思いさえ曖昧なわたしには、なおさら。

「子どもはいらない」とわたしがちゃんと言える日は、来るんだろうか。まだわからないや。


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