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キャリア官僚は「立命館」から。それでいいのか?


うちの学校の事なので、あえて辛口に言っておきたいと思う。あくまで「あえて」ですよ(笑)。

これは要するに、国家を担うエリート官僚の偏差値が落ちて、官僚組織のレベルが下がるということを意味する。それは、行政の運営レベルが下がるということだ。

かつて、「世界最高に優秀」といわれたこともある日本の官僚が、世界の中位以下に単純に落ちると考えたほうがいい。

東大、京大、早慶(慶応は元々そんなに多くない?)などにとって、国家を動かす官僚という組織が、魅力的なものではなくなったということは、以前から指摘されてきた。

その結果、立命館など中堅私学に国家を動かす役割が回ってきたということだ。

その中でも、うちは「霞塾」でしたっけ?塾・予備校と呼べるものを作って、熱心に国家一種合格数を増やそうと努力してきた。その結果が出た。それ自体は、よくやったと思う。

ただ、塾・予備校というのは、大学受験と同じであって、試験に合格するテクニックを教えるところ。シンプルにいえば、国家を運営するとはどういうことかを教えているわけではない。

いわば、官僚になる方法を教えても、官僚になって、国家をどうするかを教える場所ではない。

私のゼミは、かつては国立大学院を経由して官僚になったゼミ生がいたし、5年ほど前までは、毎年国家一種に合格するゼミ生が出ていた。なかなか省庁訪問で合格できないのだが、それでも省庁に採用された人がいた。ところが、ここ数年、官僚を目指すゼミ生がほとんどいなくなっている。

これはどういうことか?うちのゼミに限ったことではないが、官僚を目指す学生が、「楽なゼミ」を選ぶ傾向が増えているんじゃないかと、私はみている。

かつては、官僚を目指す学生は、学問も人一倍やって、「忙しい」などということはいわなかった。ところが、近ごろは官僚を目指すのに「忙しい」からと、課題が多いとされている上久保ゼミは敬遠するというケースが増えているのだ。

つまり、塾・予備校でスキルを目いっぱい教えているのはいいのだが、本業である学問はできるだけ負担が少なくなるようにしている。そんな学生が合格するケースが増えているのではないか?(もちろん、そうではないかつてのような真面目な学生も多いが、単純に近年増えている分は、そういう傾向ではないかと疑うということ)。

大学側が、国家一種の合格数が増えたと喜ぶのはいい。1つの大学の格を上げるステップだ。

だが、その次を考えなければならない。大学の関係者は我々自身を謙虚に見直すことだ。果たして、我々は「国家運営を担う人材」をほんとに育てる学問をしているのか?

「官僚を目指すから勉強の負担が少ないように」と考える学生が少なくないのが現状なのだから、官僚を目指すスキルを得る学生に、官僚としての魂を注入できているかと言うと、そりゃできてないだろうと思う。

大学の教育内容が、10年前より大幅にレベルアップしたとは思えない。。旧態依然たるところも多く残っているのが現状だ。それではダメだ。我々は、ゼロから教育システムを見直さ名ればならないのではないか。

東大や京大、早慶が国家運営への関心をなくしつつあっても、そのまま日本のレベルが下がっていいわけじゃない。新たに担うのが我々ならば、むしろエリート的な「お役所仕事」を排して、雑草らしく、たくましく国家を運営する、むしろレベルを上げる人材を育てなければならないのだから。

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