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選択的夫婦別姓:既に社会に定着しているではないか。

日本はすでに「選択的夫婦別姓」なのではないかと思う時がある。もちろん、会社勤めの共働きの夫婦についての話かもしれないが、今はそういう人がマジョリティだ。

共働きの夫婦は、妻の方が仕事では結婚前の「旧姓」をそのまま使用するケースが増えている。むしろ、結婚後に姓を変えるケースを見つけるのが難しいのではないか。

それは、事実上の「選択的夫婦別姓」なのではないかと思うのだ。

我が家を事例にすれば、うちのカミさんは仕事で「旧姓」を使用している。我が家の表札は、「本名」と「通称」の両方の苗字が記されている。

郵便物は、「本名」と「通称」の両方のものが届けられる。書留や宅急便も、カミさんの通称で届くときがあるが、玄関で配達の人に「○○さん(カミさんの通称)ですか?」と聞かれれば、私は普通に「はい、そうです」と言って受け取る。

仕事中心のカミさんは、日常の大部分が「通称」だ。そして、私もその時、その時で、「本名」や「カミさんの通称」に適当に対応している。

要するに、カミさんの仕事だけでなく、家族として過ごしている時も、実態として「夫婦別姓」で過ごしているわけである。同姓と別姓を柔軟に使い分けているというかね。

これが結構、どこの家でも普通の光景なんじゃないかと思う。だから、経団連が「選択的夫婦別姓」の導入を主張しても、そりゃそうだろうなと思うのだ。

社会に目を向けると、経団連加盟のさまざまな企業で、女性社員が結婚して、そのまま「旧姓」を「通称」として使い続けることがあたりまえになっている。そのほうが、社内的にも、お客様との関係でも、スムースに物事が進む。

ところが、記事にあるように、通称とパスポートなどに記載された姓が異なるため、海外でホテルのチェックイン時にトラブルになったり、クレジットカードをつくれなかったりする事例など、通称使用には微妙な不都合があるのも事実。

それが、企業の現場で起こっていることならば、経団連が「選択的夫婦別姓」導入を主張するのは当然だ。

そうすると、逆に「夫婦同姓」とはなんなのかということになる。突き詰めると、役所に置いている「戸籍」「住民票」の話ということにならないか。

私の家族は、本籍は愛媛県だ。住んでいる場所から遠いところの役所に「戸籍」がある。私が最後に戸籍謄本・抄本を取ったのはいつであろうか?20年前?というレベルの話になる。

それくらい、「戸籍」というのは、日常生活から縁遠いものだ。「住民票」はそれなりに必要な場面があるが、カミさんが旧姓を使う「保険証」「パスポート」などと合わせて、上記の記事のように「面倒くささ」を意識させれらるものだ。

誰が、「戸籍」「住民票」という紙っぺら一枚から、自民党など保守派がいう「家族の絆」「伝統」を意識するだろうか?

そもそも、「戸籍制度」は明治時代にできたものだ。150年くらいの歴史しかない。保守派の主張を事実だとすれば、日本の歴史は2600年。わずか150年では伝統でもなんでもないではないかと皮肉を言いたくなる。

世界で唯一、夫婦同姓を強制している日本では、3分の1の夫婦が離婚しているともいう。「伝統」「家」がいかに息苦しいかの証明だ。

「選択的夫婦別姓」の導入は、私が会社員だった約30年前、すでに議論になっていた。それから何も変わっていないことにはため息がでる。他にもこういうことが多すぎる。それが自民党政権の本質なのだろう。そろそろ、何かを変えなければならないだろう。

ちなみに、私ら夫婦は「選択的夫婦別姓」の法案が通っても、夫婦同姓を選択すると決めている。それはカミさんは子どもの意思だ。だから、我々家族は全員、制度の導入には賛成である。

自分らは選択しないけど、制度には賛成。それもアリなのが、この制度の本質なのだと考える。





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