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2 折り畳み傘(胸キュンときめき短編集 1)

「あー、やっちゃった、私……。失敗したー。もう、ダメだなあ、ほんと……」

 どんよりとした曇天の空が、私の心を的確に表現している。梅雨時期特有の、今にも雨が降りそうな空。下を向いてばかりじゃいけないと思って上を見上げたら、灰色で覆われた空が目に飛び込んできて、私の心をさらに暗くさせちゃうのよね。

 いや、空が悪いわけじゃないの。雨が降らないと作物は育たないし、ダムの水が溜まらないと、夏に水不足になって困るからね。適度な雨は大事なのよ、ほんと。

 だけど、雨が降る日は古傷が痛むのよね。何年前だっけ、信号待ちしていた時に後ろから追突されて、むち打ちになった首が時々痛い。特に雨が降りそうな時に痛くなる。

 この歳で、じいちゃんばあちゃんみたいな天気予報が出来るようになるとは思わなかったな。私まだ、二十九だよ。

「お~い、田口さ~ん!」

 呼ばれて振り返ると、牧野さんが走ってくるのが見えた。若いなあ、あの人。三十五じゃなかったっけ? 私より六つも上なのに、元気な人だなあ。

「すいません、牧野さん。ご迷惑おかけしちゃって……」

 私が大事な資料を忘れてきたばっかりに、先輩の牧野さんを取引先に走らせてしまった。本当は私が取りにいかないといけないのに、「僕に任せて。陸上部だったから走るのは得意なんだよ」って言って、代わりに取りにいってくれた。

 牧野さんはすっごく優しい。怒ったところなんて見た事がない。どうしてこんなに優しい人が、離婚なんてしちゃったんだろう。

 事情通の里菜ちゃんによれば、別れた奥さんは美人だけど、気が強い人だったみたい。牧野さんは優しいから、奥さんの言う事を何でも聞いてあげたみたいだけど、真面目で面白味がないからって、若い男と浮気したらしい。

 それで一方的に離婚を迫られて、慰謝料もらったって良さそうな話なのに、優しいから一円ももらわずに別れたんだって。もう、こんな良い人を裏切るなんて、とんでもない女だわ。私だったら絶対、牧野さんを悲しませるような事はしない。

 私が、当時付き合ってた彼に浮気されて落ち込んでた時、自分だって大変なのに牧野さんは励ましてくれた。「僕も実は浮気されてね」って、笑いながら慰めてくれた。

 あの日から、段々と牧野さんに惹かれていった私。お世辞にもイケメンじゃないけど、男は顔じゃないわ。大事なのは心よ。尊敬できる人じゃないと、結婚しても上手くいかないと思う。

 ああ、私、なんか良い事言ってる。なんだか、自分の言葉に酔っちゃったみたい。目から涙が……。涙……。えっ、涙? 違う、冷たいと思ったら涙じゃない、雨だ!

「田口さん、雨が降ってきた!」

 そう言って牧野さんは、カバンから折り畳み傘を出して私に差し出してくれた。

「田口さん、傘はある?」
「あっ、いえ、あの、傘は、ありません……」
「そうか、じゃあ僕の傘に一緒に入りなよ」
「すいません、ありがとうございます!」
「家は近いの?」
「隣の駅なんです」
「そう、じゃあ、雨が止みそうにないから、このまま家まで送ってってあげるよ」
「えっ、良いんですか?」

 うっそ? こ、これ、本当? 夢じゃないよね? なんて優しいの、この人。ああ、もう、私だめ。こんな漫画みたいな展開、信じられない!

「じゃあ、あの、良かったら、うちでご飯食べていきませんか? 今日はいろいろとお世話になったので、お礼をさせてください」

 えー? 私ってだいた~ん! こんな事言えないよ、普通。恥ずかしり屋の私が、こんな事言うなんて、自分でも信じられない!

「えっ? でも、嫁入り前の娘さんの部屋に、独身男が行って良いのかどうか……」

 もう、真面目! 真面目すぎます! 私、覚悟できてるんですよ。部屋だって片付けてありますし。いつ牧野さんから誘われても良いように、頭の中で予行練習しているんですからね。

「良いんです。牧野さんは良いんです。私、牧野さんが好きなんです!」

 えっ? 言っちゃった、私……。どうしちゃったの? 牧野さんに嫌われないかな?

「牧野さんは私の事、どう思っていますか? 恋愛対象になりますか? 私、牧野さんと結婚したいんです!」

 言っちゃった! ついに言っちゃった! 逆プロポーズしちゃった! 

「どうですか? 私じゃだめですか?」

 ちょっとここで、目を潤ませてみよう。女の武器を見せつけるのだ。上目遣いにして、弱い女をアピールするのだ。前の奥さんとは違うってところをアピールしなきゃ!

「だめって……。そんな事ないけど……」
「そんな事ないって事は、オッケーって事ですか?」

 私って強気! 攻める攻める、ここは一気に攻めるところよ、真澄!

「そう、だね……。まずはお付き合いからって事で、良ければ……お願いします」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします!」

 やったー! やったね、真澄。もう、腕も組んじゃえ! ここだったら、会社の人には見つからないし、ラブラブでも良いと思う。

 本当は、カバンの中に折り畳み傘が入っているんだけど、それを言ったら送ってもらう口実がなくなるから、黙ってたほうが良いよね。

胸キュンときめき短編集

1 雨の日の出来事
2 折り畳み傘
3 雨の河川敷
4 約束の日
5 雨の日の思い出
6 野球部の彼
7 ハネムーンの朝
8 雨の日の初恋
9 クリスマスの贈り物
10 幼馴染み


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